暗闇の中で(2/2)


階段を上り上り、気づけば本堂に到着していた。堂の正面は切り立ったようになっていて、そこから木々に囲まれた奈良の景色がよく見えた。

「おい、こっちこっち」

先輩が本堂の脇にある小さな出入口から、口が裂けそうなぐらいの笑顔で僕らに手招きをしていた。
そっちに行ってみると、先輩の傍には優しい笑顔のおじさんが立っていた。おじさんと先輩の間に「戒壇めぐり」と書かれた張り紙が見えた。

「かいだん…?」

「そう。この下、歩くんや」

そう言って先輩は床を爪先で二回叩いた。

「おもろいでえ。百円あるか?無かったら貸すで」

突然言われて僕は慌てて財布を取り出した。「戒壇めぐり」の下には確かに「百円」と書いてあった。
小銭入れの隅に、一枚だけ百円玉が引っ掛かっていた。僕はそれを蓋もない箱の中にそっと置いた。

戒壇の中は暗い。右側の壁を触りながら歩いて行けば、最後に錠前がある。それに願いを込めながら触ると御利益がある。
だいたいこんなことを、遊園地のアトラクションの係員みたいに、おじさんは楽しげに説明してくれた。

その先には、地下へと続く階段があった。入口には暖簾がかけられていて中の様子が分からない。

「ええか、これが戒壇へと続く階段や」

反応に困るダジャレを言ってから、先輩は下へと降りて行った。僕らは顔を見合わせてから、その後に続いた。

暖簾をくぐるとそこは真っ暗な世界だった。
真っ暗といっても部屋の電気を消すぐらいのもんだろうと思っていたのだが、視神経が切れてしまったのだろうかと茫然とするぐらいの暗さだった。眼前に突き付けた自分の指の輪郭さえ見えない。そのうち慣れるだろうと思っていたが、目は光を知らない。これが本当の「闇」なのだと僕は確信した。

僕の前後には先輩と鈴木くんがいるはずなのだが、影が見えないのでどこにいるか分からない。声を発しているので存在は確かだけれど、近くとも遠くとも聞こえる。一体僕らの間にどれだけの距離が開いてるかなんて分かるわけもなかった。

頼りになるのは右手の掌に伝わる冷たい壁の感触だけだった。もしこれが途切れてしまっていたら、手放してしまったら、二度と帰れなくなるんじゃないかと思うと恐怖に駆られた。

──万が一、落とし穴や化け物が潜んでいたら?

ありえないけれど最悪の状況を僕の頭はわざわざ提案して僕を追い詰めた。
それでなくとも長い道のりは(おそらく慎重に歩いてるから時間がかかってるのだと思う)、本当に終わりがあるのか不安に思うほどだった。

その時、あやふやな感覚だけど数メートル先に金色の光が見えた。そこに先頭を歩いていた先輩の横顔が、ぼうっと浮かび上がる。
こうして僕の前を歩いている人たちの横顔が金色の光に照らされてはまた闇に吸い込まれていく。どうやら何かあるらしい。

やっとのことで僕もそこに辿りついた。
そこは壁に空洞が作られていた。この表現が適切なのかどうかは分からないけど、空洞には格子が嵌め込まれていて、その中に金色に輝く小さな仏像がいくつか飾られていた。
それを見て、僕はなるほどと思った。何に対しての「なるほど」なのか自分でもよく分からなかった。でも僕の胸の中には確かに何かがあった。


僕は肺に溜まった息を吐き出してようやくそこから離れた。そして二、三歩進み出た突如左側に四角い光の扉が現れた。
やっと出口か。そう思いながらも、僕は違和感を覚えていた。何かがおかしいような、何かを忘れているような、そんな気がする。

首を傾げながらも扉に向かってそっと足を踏み出した時、暗闇の中から先輩の声が響いた。

「おい、ここ、ここに鍵あるぞ!」

先輩の声と一緒に、ガチャガチャと金属が鳴った。僕はそっちに目をやり、はっとした。

そうだ、おじさんが言っていた。戒壇の中には御利益のある錠前があると。それに触れる前に出口なんて作るものだろうか。
もし仮に僕が見つけられなかっただけだとしても、僕の前には先輩たちがいる。出口へと向かう彼らの影が見えるはずだ。
そして一番の問題は、その光はさっき見た金色の仏像のように辺りを照らしていなかった。ただそこに「差し込んでいる」だけだった。あまりにも不自然だった。

改めて目をやると、光の扉は跡形もなく消えていた。
足元からぞくりとした気配が駆け上がった。僕の指先はかろうじて壁に触れていた。
あと一歩踏み出していたら、あの光の元に吸い込まれていたら、僕は一体何処に行っていたのだろうか。

立ちすくむ僕に、後ろを歩いていた鈴木くんがぶつかった。
先頭の方から「出口や!」と声がした。
僕は鈴木くんに小さく謝って先を進んだ。



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