拝啓、黄泉の子


20才になったぼくへ

何をしていますか?サッカー選手にはなれましたか?ぼくは今、毎日サッカーの練習をしています。
きのう、おかあさんとけんかしました。20才のぼくはおかあさんとなかよくやってますか?おかあさんを大切にしてください。
10年後、この手紙をよんでくれることを楽しみにしてます。

10才のぼくより



彼女は泣き崩れた。今日は息子の二十歳の誕生日。彼自身が十年前に小学校で書いた『十年後の自分宛ての手紙』が届いた。
でも息子はもういない。三ヶ月前の夜、友達とツーリングに行くと言ったきり消えてしまった。ぐちゃぐちゃになったガードレールとバイク。色の無い唇。二度と開く事のなかった瞼。

息子が七歳の時に夫を病気で亡くした彼女にとって、彼は唯一の宝だった。中学に入ってグレてしまった時も彼女はいつでも見守っていた。それなのに。

あの時もっと強く止めていればこんな事にはならなかったのに。
この一通のためだけに買ったマリンルックのレターセット。便箋はくしゃくしゃになり、インクが滲む。
この手紙をもし二十歳になった息子が読めば、どう思ったであろうか。泣いた?怒った?笑った?──それを知る事さえ彼女には許されない。
私はあの子の母親なのに。
やり場のない後悔、自責、悲しみ、怒り。
彼女は何かに取り付かれたかのように不意に立ち上がり、箪笥の奥から手紙用具を一式取り出すと筆を走らせた。

あなたは二十歳にはなれない。あなたは死んだのよ。

宛先は十年前の彼に。
サンダルを引っ掛け、部屋着のまま家を飛び出した。

ポストに手紙が落ちると同時に、彼女の胸につっかえていたものもすっと楽になった気がした。
明日明後日になればこの手紙も自宅に返って来るのだろうが。その時私はどうするのだろう。自嘲気味に笑って彼女は頼りない足どりで元の道を帰った。



一週間後。彼女の元に一通の手紙が届いた。
マリンルックの封筒。送り主は息子の名。
身体が震える。こんな手の込んだ悪戯、冗談じゃ済まされない。犯人は誰?

そっと封を切り、中身を確認する。封筒と同じセットの便箋。そこに並べられていたのは、元々拙いのに見栄を張って綺麗に書こうとしたせいでぎこちなく角ばった字。あの手紙と同じ。
あの手紙は彼女しか知らない。もしくは十年前の彼。

まさか。
ひどく混乱していたが、彼女は太く黒い線を一つ一つ丁寧に汲み取った。



どうしてそんなこと言うの?ほんとにおかあさんなの?ぼくはあと10年生きられないの?死んじゃったの?うそだよね?どうして?



やっぱりこれは息子からの手紙だ。十年前の。
彼女の胸には死んだと告げてしまった後悔と文字の上でだけでも最愛の息子に再会できた喜びがあった。



ごめんなさい。はじめに、私はあなたのお母さんです。
お母さんちょっとつかれてて、うそをつきました。
十年後のあなたは、りっぱなサッカー選手になっています。安心してください。ファンに囲まれて、毎日テレビにも出ています。お母さんおうえんしてるから、サッカーの練習がんばってね。



せっかく戻って来てくれたのにまた離したくはない。精一杯の嘘だった。
ポストに投稿した一週間後、また手紙が届いた。



おかあさん ぼくはだいじょうぶだよ。サッカー選手になれてうれしいな。
おかあさんはだいじょうぶ?つかれてるなら、ゆっくり休んでね。ぼくが世話をするから。



ああやっぱりこの子は優しい子だ。嗚咽が漏れる。
彼女はすぐに返事を書いた。今日学校で何があったか。そろそろ暑くはないか。質問を投げかければきっと返事が返って来る。そう信じて。


それから何年が過ぎただろう。
三年経ってから徐々に筆跡も口調も荒々しくなったが彼女にとっては返事が来るだけで十分だった。
何百通と溜まった手紙を手に取るだけで幸せになれた。向こうの世界ではどうしているのだろうか。返事を書いてすぐに捨てているのだろうか。優しい子だから実は残してくれてるかも。今度聞いてみようかな。そんな事を思っていた頃の出来事だった。



来週ダチとツーリング行くから。じゃあな。



血液が全身から抜け落ちた気がした。気付けば十年近く時は過ぎ、命日の一週間前となっていた。
やめて行かないで。
思いつく限りの拒否の言葉を殴り書いてポストに入れた。

しかし文字では彼女の想いは伝わり切らなかった。
一週間後、彼女の元に届いたのはマリンルックの手紙ではなく無地の電報。
無機質なワープロの文字は彼の死亡を告げていた。

また同じ過ちを侵してしまった。どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。
再び訪れたチャンスは簡単に手から滑り落ちて。
さようなら、愛しい人。唯一無二の、私の息子。駄目なお母さんでごめんね。



水平線に陽は沈み、山には静かに曼珠沙華の花が咲こうとしていた。


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