傷(2/2)


「おーい、昼飯まだー?」

「…ああ、もうこんな時間か。買い出し行かないと駄目だな」

藍に呼ばれ、悟は読んでいた本を逆さまにテーブルに伏せ、立ち上がった。

「時間を忘れる程本に没頭するってどうなんだよ」

「一日中ゲームに没頭してる奴に言われたくない」

都合の悪い反論を適当に聞き流して、藍は悟の読んでいた本をまたひっくり返して数ページ前にめくった。

「お、これうまそう」

「カルボナーラか。ベーコンとクリームにチーズ…」

藍の指した写真を覗き込んだ後、ぶつぶつと材料の確認をしながら玄関へと悟は向かう。その背後に、本のページを適当に戻した藍がちょこちょこと付き纏う。

「…どうした?」

いつもと違う様子に警戒して悟は後ずさった。それを見て、藍は気の抜けた笑顔を浮かべた。

「私もついてくぜ」

「…どこに?」

「どこって、買物に行くんじゃないのか?」

「なに…っ!?」

あまりの衝撃に思わずよろけ、その反動で玄関の傘立てが倒れた。幾月の習慣なのか、悟はすぐさま立て直す。

「まっ…万年引きこもりニートのお前が!?」

「ニート言うな。主婦だ。一応。まったく失礼だな、悟くんは」

「悟くんって言うな」

「じゃあ悟センパイ?」

「せっ、先輩とか言うな!今更…」

赤面する悟に、藍は今度は愉快そうに何処か意地悪に笑った。


レジ袋がカサカサと音を立てる。陽は相変わらず柔らかく穏やかだが、風は日に日に冷たく激しくなり始めていた。

「ちょっと散歩して行こうぜ」

「腹減ってんじゃないのか?」

「久しぶりの外だからな」

ジーンズのポケットに両手を突っ込んで藍はぶらぶらと歩き出した。

何故彼女が今日に限ってついて来たのか、悟には今だ理解できないでいた。スーパーに着いても感嘆の声を漏らすだけで、特に自分から何を買うわけでもなかった。
ならばゲームの発売日かと身構えたが、行きつけのゲーム屋にも寄らず今こうして隣にいる。


二人の歩みは銀杏並木に差し掛かった。

わしっ。

ポケットの中で温められた手が、悟の頭を撫でた。

「なっ、何だよ」

突然のことに悟は身体を震わせたが、温かな手は構わずわしわしと短く柔らかな黒髪を撫で回し続けた。

「いやあ、触り心地良いんだよな、この頭」

「知らねーよ、とにかくやめろって」

無理矢理触れられた猫のように、首を回して逃れようとするので仕方なく藍は手を離した。

「本当に、幸せ者だな、君は」

「何が…だっ」

離した手の人差し指で鼻筋を力強く押され、悟は一歩よろめいた。

「さあ、早く帰ろうぜ。腹が減った」

鼻歌を口ずさみながら大股に歩く妻を、悟は鼻を抑えて恨めしそうに見た。

銀杏並木には午後一時を告げる鐘が響いた。



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