ゆとりメール


提出期限ギリギリの書類を早く出せと呼び出され、私は教授の待つ研究室へと向かった。

普段ゼミ生で賑わっている狭苦しい部屋がやたらと広く見えた。苦手な教授と、それも怒られると分かっていながら二人きりになるなんてとてつもなく恐ろしかった。私は何度も深呼吸をしてからうやうやしく書類を取り出し、思い付く限りの謝罪の言葉を口にしながら手渡した。

教授は鼻を鳴らしてひととおり目を通すと、ここにサインをしなさい、と言って右下の小さな空欄を指差した。慌ててペンを走らせたが、緊張と恐怖で手が震えてミミズも笑うようなふにゃふにゃのサインができあがった。
ともあれこれで要件は済んだので、それでは失礼しました、と早々に退散しようとしたが、間髪入れずといった様子で呼び止められてしまった。

「こんなことは言いたくないんだけど」

そこで教授は一呼吸置いた。適切な言葉を頭の中で探しているようだった。
言いたくないなら言わないでいてくれて良いのに、と思いながら手に汗を握る。

「この前の日曜日のことなんだけど。メールも寄越さないってどういうことなの?」

先週の日曜日。というのは近くの博物館で先攻分野の展示が開かれていたので教授とゼミ生で訪れたのだった。
本来なら学校は休みだし急な企画だったので、参加は強制ではなかったが、入館料は学校から出るから行かなきゃ損!と力説され、バイトで行けないと嘆く人々の中、特に用事もないのに断るのも悪い気がして珍しく赴いたのだった。

行った感想としては、つまらなかった。その一言に尽きる。
展示は想像していたものとはちがっていたし、何より皆でひとかたまりになってぞろぞろと歩くことに疲れた。
終わり次第、すぐにでも帰りたかったのだが、「せっかくだからお茶でもしていきましょう」と教授が言い出したので、そのまま近くの店に出向くことになった。

誰も私のことなんて気に留めないだろうし、身体の調子が悪いとかあまり遅くなると都合が悪いとか適当に言ってここで帰るべきだったのだ。
会計はワリカンで、半額分を教授が払ってくれた。そうしてようやく解散したのだが、どうやら私を除く皆は今日はありがとうございました。楽しかったです。ごちそうさまでした。とのメールを帰宅後教授に送っていたらしい。

「少しなりともお金を出して貰ってるんだからメールぐらい送るのが常識なんじゃないの?」

激しい衝撃を受けた。
私の頭の中の辞書をいくらめくっても、どこにもそんな「常識」は載っていなかった。
解散時にねんごろにお礼を言っておいたのでそれで良いと思っていたのだ。
まったく、こんなことだからゆとりと言われるのだ。そんなことを考えていたから「そうですか」と生気のない返事をしてしまったのが癪に触ったらしい。教授はそれから研究に対して熱意が感じられないとか、姿勢が悪いとか、私がいかに社会不適合者かということを、これまでの鬱憤を晴らすかのように一気にまくし立てた。

自分が社会不適合者だということは何人にも何回も聞かされて来たので重々理解していたはずだったが、就活真っ盛りのこの時期にひどい剣幕で改めて言われるとさすがにきついものがあった。


半ばつまみ出されるような形で研究室を出た私は今までの行いと将来を恨んだ。
こんなので社会に出てやっていけるのだろうか。いや、その前に卒業できるのだろうかと、一向にゴールの見えない卒論ノートとエントリーシートを見比べながら、陽の落ち始めた道を歩いた。


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