教授の体調不良とかで予定していた講義が急遽休講になり、時間をもて余した私はせっかくだから他の講義を受けてみようと思い立ち、時間割表をめくった。
とはいえ、専門外の講義はいまいちピンと来ない。やっぱりやめようかなんて思いかけたその時、とある講義が目に飛び込んで来た。
それは教育学部の授業で、いじめの対処法などについての講義だった。
思い出したくもないのに興味本位でいそいそと教室に向かった私に配られたのは、国だか教育委員会だかが定めた方針がずらりと書かれたレジュメだった。
いじめを確認したら本人・保護者・周りの生徒らと面談。連携を取り、教職員保護者ともに被害者の心のケアを……
だいたいそんなことが書かれていた。レジュメに沿って教授が熱弁を奮う。
──違う。
私は胸の中で叫んだ。
私は、知られたくなかった。同情なんてしてほしくなかった。ただ、救われたかった。惨めで苦しくて哀しかった。
そんな言葉を反芻していると、だんだん涙が溢れて来た。唇を噛み締めて堪える。なんでもない講義中に泣き出すなんてなかなか痛い奴だなと思う。
高校に進学すると、つらい三年間が嘘だったように誰も何も言わなくなった。
それもそのはず、同級生の過半数は伊藤がユーレイなんて知らない。いじめの中心核は他の学校に進学していた。
だが、少なからず過去の私を知る者がいる。また噂されたらどうしようと考えていたら、対人恐怖症になっていた。
周りの視線が、声が、評価が怖くて他人と関わるのを極力避けた。
人前に出ると喉が締まり、息ができなくなった。顔に血が上り、手が震え、汗が吹き出した。
そんな事情などつゆ知らぬ人々には挙動不審の異常者にしか見えないであろうことをまた気にして怖くてどんどんドツボに嵌まって行った。心の傷の後遺症は私にはあまりに大きすぎた。
大学に入って私のことを知る人間は誰もいなくなって、いくらか対人への恐怖はなくなったが、それでもまだ人の目を気にしてこそこそ生きている。心の傷はなかなか癒えない。
「君は熱心に聞いてくれてたね」
講義が終わって教室を出ようとしたところを教授に話しかけられた。
見られていたのか、と思うと途端に恥ずかしくなる。半べそをかいていたことはばれてないだろうか。
「もしかして、君はそういう経験があるのかもしれないね…」
教授の呟きに心臓が不穏に跳ねる。長年教鞭を取っていた勘というやつだろうか。
「まあ、心当たりはあります」と小さく答えると、教授は少し頷いてみせた。
「君は良い教師になれるよ」
教授は優しい声でそう言った。
私を教育学部の生徒だと思ったのだろうが、全く関係のない学部生のモグリだ。
若干罪悪感を覚えつつも、教師になるという選択は私にはこれまで一切なかったことなので新鮮だった。学校に良い思い出の無い私が、果たして年端もいかぬ生徒たちに夢や希望を与えることができるのだろうか?
とにもかくにも、この時の一言がきっかけで私は教師を目指すようになったのだった。
と、そんなわけはなかった。
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