死ねないユーレイ


今の私からの意外性はゼロだが、中学生のころ、私はいじめに遭っていた。

その日は突然訪れた。クラスの男子二人組と廊下ですれ違った時、大げさに飛び退かれた。
奴らはヒソヒソクスクスやりながら走って逃げて行った。不思議に思いながら私が教室に帰るのを合図に、ゲームはスタートした。



中学校は知らない子たちがたくさんいるから、しおらしくしていよう。
そんな私の想いは逆手に取られた。静かで、根暗で、運動のできない私はいじめの標的。細身で顔色が悪かったから、ついたあだ名は「ユーレイ」。
ユーレイなら幽霊らしく見えないふりでもしてくれれば良いものを、罵声や蔑みの視線を浴びせられたり、物を投げつけられたりした。机に誹謗中傷の言葉を彫られたりもした。

気にしてない素振りをしていたが心はズタボロで、彼らの笑い声がする度胸がひやりと冷えた。毎回溢れそうになる涙を必死に堪えた。
毎晩、毎晩、声を押し殺して泣きながら眠った。明日自分が消えてしまっていることを願いながら眠った。一日も早く死にたかった。

誰にも何も言えなかった。
両親に心配はかけたくなかったし、何より声に出して自分の現状を語るのが惨めで、認めてしまうのが怖くて。
なんでもない顔をして、毎日登校した。授業もきちんと受けた。何も問題ない、普通の生徒のふりをした。だから先生たちも、見て見ぬふりをした。

都合がよくて滑稽だったのだろう。二年生になるころには、いじめはピークに達していた。
新しい担任は、権力に乗ずるタイプの人間だった。

「伊藤さーん!おーい、伊藤ちゃーーん!?」

廊下を歩いていると、遠くの方で男子生徒が私の名を叫んでいた。
嘲笑混じりの下卑た声が廊下に響き渡る。それを聞いた他の生徒も、私に目をやりクスクス嘲(わら)った。

「おい、どうした、伊藤。呼ばれてるぞ」

たまたま側にいた担任が私に声を掛ける。

「返事してやれよ。なんですかーって。大事な用かもしれんぞ」

その眼は、奴らと同じ眼をしていた。口元に薄ら笑いを浮かべ、ゴミを見るような眼で私を見ていた。
私は担任に曖昧に返事をしてその場から逃げた。

──もう疲れた。

気力を無くし、壁に這うようにして階段を上がった。

「どうした、大丈夫か?」

後ろからやって来た先生が驚いたように声を上げた。隣のクラスの担任だった。

「なんだ、伊藤か。大丈夫か、お前なら大丈夫だよな」

とても迷惑そうな顔だった。頼むから、つらいなんて俺に言わないでくれ。自殺なんてしないでくれよ。そう言いたげだった。
私の言い分なんて聞こうともせずに、彼は早足に立ち去った。

この学校に、私の味方なんていない。
いつか、入学するまで親友だった直子は言った。「伊藤ちゃんと一緒にいると、私までいじめられるからもう関わらないで」
世界の溝に突き落とされた気がした。



夏の三者面談の日だった。
がらんとした教室の中、私と母は机を並べて担任に向かい合う。

「これは、伊藤さんが作った計画書です」

担任が出したのは、郊外学習のために私が作った計画書だった。

面倒くさいことを押し付け、さらには晒し者にしようという魂胆により、圧倒的票数で私は班長に選ばれた。
いくつかピックアップされた施設のうち、どれを回るか、また、どのように時間を使うか。細かく決めて提出する必要があった。

「ご覧の通り、緻密ながらゆとりのあるとても素晴らしい出来です。ですが…」

担任はここで声を落とした。

「これ、伊藤さん一人だけで作ったんですよねえ。班員に相談せず、一人で」

担任は、嗜めるように私を見た。

……班長が中心にならなければいけなかったが、当然、誰も私のことなど相手にしなかった。何度問いかけても無視されるか、嘲笑を浴びせられるだけだった。
それでも必死に彼らの言葉に耳を傾け、「俺ここ行きたいかも」なんて班員同士で話しているのをメモし、作り上げたものだった。
確かに時間やルートは全て私一人が調べて決めたことだが、行き先など最終的に確認させ合意を得たことだ。担任もその様子を見ていたはずだった。

「計画性もそうですが、今回の学習はなにより話し合いが大事なんですよ。伊藤さんは、それができない。クラスで孤立してるんです」

孤立、という言葉がナイフのように突き刺さった。

「そうだろ、伊藤。クラスに友達いるのか?誰だ?名前言ってみろ」

担任はまくし立てるように言った。

「あ……直子。前野直子。…と……奥野さん……」

私は関わるなと言われたはずの直子と、後ろの席の女子の名前を咄嗟に挙げた。
担任は何も言わず私の答えを待ち続けた。
──それから?あとは?
無言の圧力が私を押し潰す。

「えっと…あとは……あとは……」

私は一人一人クラスメートの顔を思い浮かべた。みんな蔑んだ眼で私を見ていた。

──違う、違うんだよお母さん。私、友達いるよ。いじめられてなんかいないよ。

隣に母の気配を感じながら、私は必死に口をぱくぱくさせる。息ができなくなって来た。顔が熱くなる。涙が溢れそうになって咳払いをしてごまかした。

もういい、と言いたげに担任はわざとらしく溜息をついた。

「娘さんは一生クラスに馴染めません」

きっぱりと放たれた一言が私を切り刻んだ。
──その通りだ。
私の何処かで誰かが囁く。だけど、母はどう思っているだろう。
自分を押し殺して隠して来た秘密をばらされた気がした。この傷はなんのためにつけて来たのだろう。

私が呆けている間に一言二言話は進み、母は「そうですか、ありがとうございました」と短く言って席を外した。

帰り道、母は何も触れなかった。黙り込んだ横顔が、悲しんでいるのか怒っているのか私には分からなかった。


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