“鬼退治”から帰って来た後の日々は退屈過ぎた。
前々から退屈な日々ではあったけれども、いっそう面白くなくなってしまった。
だからといってまた行きたくはない。あたしはあの人に会いたいだけ。あの人と一緒にいられればそれで──
ぱしん、と勢いよく障子が開けられた。
「よぉ、元気だったか?」
顔を覗かせたのはド派手な身なりをした男。
サイアク。思いっ切りしかめっつらをしてやった。
「んな顔すんなよ。久しぶりの兄妹の再会だろ」
「帰って来なくてよかったのに」
年中ほっつき歩いて家にいることのほうが少ないくせに、何を今更馴れ馴れしい。
こいつは、兄貴は、あたしが男嫌いになった元凶だ。
近所でも有名なすけこまし。こいつに泣かされた何人もの女達の姿をあたしは見て来た。
男は自分の都合で女を弄ぶ。どんなに女に想われていようと飽きたら最後、簡単に捨ててしまう。
そんなの許されない。許したくない。
「まあそう言うなよ。噂は聞いたぜ」
「噂?」
兄貴はずかずかとあたしの部屋に上がり込んで腰を下ろした。
「お前、神隠しに遭ったんだって?」
神隠し。
桃ちゃん達と鬼退治に行ったことは、そういうことになっていた。
兄貴がこんなんだからか、家の者はあたしに過保護だ。鬼退治に行ったなんて言ったら、面倒なことになるし、何より桃ちゃんが悪者にされてしまうかもしれない。それが嫌だった。
「本当は桃太郎について行ってたんだろ」
「…!」
兄貴が声を潜めて言った。
あたしの反応を見て、薄く笑う。
「この前、猿山のふもとまで遊びに行ったらな。桃太郎が鬼ヶ島に行ったらしいとか話してる奴がいて、よく聞いてみりゃお前が神隠しに遭ったぐらいの時期だ。もしかしてと思ったが図星みたいだな」
「……」
「安心しな。誰にも言ってないし言う予定もない。ただ──」
「…いくら欲しいのよ」
にじり寄って来る兄貴に逃げながら、あたしは財布を手にした。
「ばーか。可愛い妹にたかるかよ。まあ、くれるってんなら貰うけど?」
兄貴はわざとらしく溜息をついて、あたしに向かって手を伸ばした。
しなやかで大きな手。この手で一体何人の女を玩んだのだろう。考えると気分が悪くなった。
ほんのささやかな金額を握らせてやる。兄貴はそれを袖の中にしまい込んで、ゆっくりと立ち上がった。
「…どうやらよっぽど俺が憎いらしい。女と喋るにゃ引くのも大事だ。話の続きは今度にしよう」
じゃーな、と手を振って兄貴は障子を閉めた。
遠ざかる足音に暫く脱力してから、外に出ようと思い立った。
家から離れたところにある川辺を歩く。ここにいると煩わしいこと全部から解放された気分になれる。
桃ちゃんと出会ったのもここだった。川底をぼんやり眺めていたら水面越しにあたしの顔を覗き込んでいた影。
あの時もきっと嫌なことがあったからあたしはここに来ていたんだけど、桃ちゃんと旅をしているうち、それが何だったかなんてもうどうでもよくなっていた。
同じように、そっと川を覗いてみる。一寸ほどの魚が四匹、群れを成して泳いでいた。
「何か見えるか?」
後ろから声をかけられて慌てて振り向くと、土手の上に桃ちゃんが立っていた。
「桃ちゃん!」
あたしは無我夢中で桃ちゃんのもとへ駆け出した。
会いたかった。ずっと。いつだってあたしはあなたのことを──
と、桃ちゃんの影が不気味に揺らいだ。あれと思った時には桃ちゃんの脇腹から二本の腕が伸び、そのまま胸を鷲掴みにした。
ぽかんと口を開けた桃ちゃんの後ろに、もう一つの頭が。
兄貴だった。
「こりゃあ上玉だ」
大きな胸に指がめりこむ。呆気に取られた桃ちゃんはされるがまま。
「っ!何やってんのよ!」
柔らかそうな胸に一瞬見入ってしまったけれど、あたしは慌てて兄貴に飛び掛かった。兄貴は素早く桃ちゃんから離れて避けた。
「どーも。妹がいつもお世話になっているようで」
桃ちゃんの正面に回り込んだ兄貴はうやうやしく頭を下げた。
「妹…?」
首を傾げてあたしを見る桃ちゃんから思わず顔を背けた。
こんな奴と桃ちゃんを会わせてしまうなんて。兄貴だなんて、知られたくなかったのに。
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