第一章(3/6)




あれ、俺、何してんだろう──

気付くと澱んだ空が目の前に広がっていた。
身体を起こそうとすると腹に激痛が走り、動けない。
そうだ。腹に穴を開けられて──

夢じゃなかった。
首を横にすると何尺か向こうに血溜まりの中、猿が転がっていた。まだ微かに息はあるようだが右腕を一本もがれてやがる。
多分俺の周りにも赤い池ができている事だろう。

ジャリ。

目の前にでっかい脚が現れた。
正面を向く前にその一本が側頭部に触れた。気色悪い笑い声と共に徐々に圧力は増して行く。ミシミシと嫌な音が脳内に響く。

潰される。

薄れがかった意識の中そう思った瞬間、重みが消えた。

「大丈夫ですか!?」

ああ、これはヘタレ鬼の声だ。馬鹿野郎。大丈夫なわけがないのは一目瞭然だろう、が。
どうやらさっきの鬼に体当たりしたらしい。ヘタレのくせにやるじゃねぇか。

しかしもう一人鬼がいる。
俺の顔を覗き込むヘタレ鬼の背後にゆらりと黒い影。
危ないと叫びたいのに口からは掠れた息と血潮しか出ない。
岩のような拳が大きく振り上げられる。ここでようやくヘタレも気付いたがもう間に合わない──

と思ったが、その丸太みたいな二の腕に朱が走る。
朱い飛沫の中、白銀に光る刃、可憐に揺れる桃色の髪。

「桃……」

お前、鬼が怖いんじゃなかったのか?俺らがどうなろうと構わないんじゃなかったのか?

「早く二人を連れて逃げろ!」

桃が叫ぶとヘタレ鬼は俺を抱きかかえ、続いて素早く猿を肩に担いだ。
さすが鬼というか。それだけの力はあるらしい。
腹から全身に激痛が駆け巡るが俺には叫ぶ気力も無い。

「雉はそいつらを補助しろ!」

「ハイ!」

雉もいたのか。
俺らの周りを注意深く走り回っている。
待て、桃は──

「も………も……」

小さくなってゆく背中。
目の前がどんどん霞み、真っ白になった。





刀の切先が微かに震えている。脚に力が上手く入らない。気を抜けば腰から崩れ落ちそうだ。
本能が戦う事を拒否している。逃げ出したい。
しかしこれは私に課せられた任務。殺せなくてもいい、時間を稼げ、出来るだけ多く。あいつらが見えなくなるまで。

「いってぇなァ、誰かと思えば桃ちゃんじゃねぇかァ〜?」

「こりゃ随分と美人になって。…で、また俺らと遊びに来たのかなぁ?」

「そんなに“よかった”のかァ〜?」

下卑た笑い声。
止めろ、黙れ、消えろ。
全身に鳥肌が立つ。
駄目だ、弱みを見せるな。私はあの時とは違う。

「まァこっちに来いよ」

でかい手の平が迫る。血の気がさっと引いた。嫌だ。

「っ、触るな!!」

一太刀。汚らわしい血が散る。汚い、汚い、汚い!
ああ早く仕留めなければ。他の鬼どもが出て来てしまう。早く、早く。はやく殺してしまえ──





「桃太郎さん!!」

二人に一通りの応急処置を施し戻ってみると、血生臭い荒れ地に武士が一人立ちつくしていた。

無事で何より、だが彼女の足元には二体の赤い鬼が転がっていた。仮にも同族、複雑な想いでもう一度名を呼んだ時、喉元に刃を突き付けられた。

「え…?桃太郎さ…」

「鬼なんて」

彼女はうなだれたまま呟く。

「滅んでしまえばいい」

「桃…」

「そうだ、全員殺してやる!私が!汚らわしい鬼どもを!!」

やっとこちらを向いた顔は血に濡れ、笑っていた。涙を流して。大きく見開かれた眼は私を捕らえてはいない。
膨大な恐怖の余韻と得られた活気や安堵が混沌して精神が不安定になってしまっている。危険だ、このままじゃ壊れてしまう。

「桃太郎さん…駄目です、あなたは…あなたが…」

鬼になってしまうじゃないですか。

太刀は弾くと力無く手から滑り落ちた。腕を掴み、胸元に引き寄せる。

「嫌だ…っ。私が、私は……っ、…鬼なんて……」

小さな身体は冷たくて今にも消えてしまいそうで、思わず強く抱きしめた。
着物越しに生暖かい涙がじわりと染み込んで来るのを感じた。


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