異端者(2/2)


「よぉ、お前ら何やってるんだ」

気軽そうな声で近づいて来た気配に、男たちは警戒したようでした。
そっと目を開けると、そこには長い髪を結い上げた立派な武士がいました。
彼はちらりと私を見ると、眉をひそめて「鬼の子か」と小さな声で呟きました。

「ええ、今から鬼退治しようかと」

途端にゴロツキたちは猫撫で声になってその人に言いました。彼は「そうか」と薄く笑って腰に差した刀に手を添えました。

「鬼退治なら私の仕事だ。譲ってはくれぬか」

言われた男たちは苦い顔つきで私と彼とを何度も見比べました。

「勿論ただでとは言わん。これでどうだ?」

彼は懐から巾着を取り出し、男たちに投げて寄越しました。
じゃりん、と固い音がして、手に納まったそれの中身を確認すると親玉らしき男はにんまりと笑みを浮かべました。

「上等過ぎます。では、鬼退治、お願いしますね」

男はいそいそと懐に巾着を仕舞うと、手下を引き連れて去って行きました。


「──さて」

彼らがいなくなったことを確認すると、武はゆっくりと私に視線を落としました。
人数が減った所で殺されることに変わりはありません。私は彼らが会話をしている間に逃げなかったことに後悔しました。
彼は屈み込むと私に向かってゆっくりと手を伸ばしました。目を潰されるか、首を締め上げられるのか──私は身を固くして恐怖に耐えました。

しかしその手は優しく私の頭に触れたのでした。

「案ずるな。お前の命を奪ったりはしない」

彼は柔らかい声でそう言うと私の頭を撫でました。

「確かに私の役目は鬼退治だ。しかしそれは人々に悪さをするからだ。悪行もまだ知らぬ童にまで手をかけたりしない」

そこまで私は鬼じゃない。
独り言のように言って笑ってから、彼は手を離しました。

「しかし人に見つかったらまずい。早く帰ろう」

彼は私に笠をかぶせ、しっかりと固定したのを確認してから私の手を引きました。

「お前どうやって来たんだ?仲間に取り残されたか?」

人通りを進みながら彼は聞きました。今朝一人で船を漕いで来たと言うと、彼は目を丸くして驚きました。

「鬼門が開く日でもないのに……」

訝しみながらも手を引き続けてくれる彼のおかげで無事に船場に着くことができました。
この恩は大人になったら必ず返します。と言うと、彼は噴き出しました。

「何十年後の話だ?生憎だが私はそんなに生きられない身でな」

私は困り果てました。鬼と彼らとでは過ごす時間が全く違うのです。
しかし幼い私では未熟過ぎて何もできません。
彼は顎に手を当て、ふむ、と唸りました。

「礼には及ばんと言いたいところだが、鬼の恩返しとは珍しい。せっかくだから貰っておこうか」

彼は屈み込んでしっかりと私と目を合わせました。

「いいか、鬼の子よ。お前は二度とこちらに来てはいけない。そしてこれから何十年何百年先、たとえ私と同じ匂いの奴が現れたとしても近づいてはいけない。それはきっと私であって私ではない」

少し苦しそうな顔をして彼は笑いました。

「お前がこれに逆らうならば、私はお前を斬らねばならない。私はお前に賭けたいんだ」

「賭ける…?」

私が尋ねると、彼は人差し指を立てて口元に当てました。

「難しい話は無しにしよう。お前は笑って最期まで生きろ。これから何百年続く未来を生きろ。それがお前のできうる最低限にして最高の恩返しだ」

難しい話は無し、と彼は言いましたが幼い私にはやはり難しい話でした。
私ががむしゃらに生きることがなぜ彼への恩返しになるのか。
尋ねようとしたところ、頬をぴたりと優しく叩かれました。

「さ、もうそろそろお別れしよう。あまりうだうだ話していては格好がつかん」

彼は私を小船に乗せると、船場に括りつけていた縄を解きました。

「じゃあな。達者で暮らせ」

言いながら彼は船頭を蹴りました。私を乗せた船は、すいと水面を滑りました。私は慌てて櫂を握りました。

さようなら、と私が叫ぶと彼はひらひらと手を振りました。
私は船を漕ぎながら、どんどん小さくなって行く彼の姿をいつまでも見ていました。
彼も地面に腰下ろして私の姿をいつまでも見ていました。





私が感傷に浸っている間、患者さんは鼻を鳴らして出て行ってしまいました。

私は彼との約束を守り続けていました。
鬼ヶ島は何度か攻め入られましたが、私は誰よりも早く臆病に逃げ隠れていました。
人の国に行けない分、人の真似をして過ごしました。
他の鬼たちはそんな私を見て異常だと嘲りました。それでも私は笑って気にしないようにしていました。

あれからもう百年も経っています。
彼の求めていたことが少し分かった気がしなくもないのですが、彼はもうこの世にいないでしょうし、私の行いを知るはずもないのに恩返しになるのか。やはり解せないところがあるのです。


落ち着かない気持ちを紛らわせようと、里に降りて往診をすることにしました。
羽織を引っかけ、薬箱と提灯を持って外に出ました。空には綺麗な満月が怪しげに光っていました。


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