第三章(4/7)


俺にできることは、桃の意思を伝えることだけだ。

俺は走った。走りながら時々桃のことを思い出して泣きそうになった。
走って泣いてばかりだ。ガキみてえ。元凶はもっとガキみてえな女だ。

猿山を登る途中で俺は力尽きていたらしい。思えば桃と別れてからろくに寝ずに、何十里も飲まず食わずで走っていたんだから当然だ。
あまり覚えてねえが、俺を見つけた猿どもがどうしたものかとざわめく中、野郎が顔を出した。俺は何て言っただろう。雉を呼べとかそんなことを言ったのかもしれない。

ひとまず野郎の家に俺は運び込まれたらしい。目を覚ますと、枕元に握り飯が置いてあった。

「おう。味噌汁飲むか?」

ちょうど襖を開けて出てきた猿が何気なさそうに聞く。
襖の向こう側から味噌汁の匂いと話し声がした。野郎の家族だろうか。

「いや…濃いのは好きじゃねえ」

「あっそ…ってか何で濃いって知ってんだ?」

「そりゃあ…」

猿の家の味噌汁は濃いめの赤味噌で、具がゴロゴロ入ってて飯が進む。
いつか桃がそんなことを言っていた。

「……そうだ!桃が…ッ」

言いかけて、激しくむせた。口の中がぱさぱさに乾いている。

「味噌汁よりも水をやった方がいいんじゃない?」

雉の声がした。
見ると雉は部屋の隅に座っていた。
猿は軽く返事をしてまた隣の部屋へと引っ込んだ。

「お前…いたのか」

雉に声を掛けると露骨に嫌そうな顔をされた。

「あんたが呼んだんでしょ!?おかげで猿がうちに来て最悪。よっぽど大事なことじゃなかったら許さないんだから!」

ああ、そうか。猿が呼んでくれたのか。
どうやら俺が寝ていたのは一刻や二刻の話ではないらしい。
息を吐いたのと同時に、猿が茶碗に水を入れたのを持って顔を出した。

喉を潤し、俺は事の次第を猿と雉に告げた。二人とも真っ青になって聞いていた。

「それで?何もせずに帰って来たの?」

雉が、声を震わせながら言った。

「ああ…」

頷くしかない。何にしろ結局俺は桃を置いて来たんだ。それどころか雉を呼ぶことも、この家に辿り着くこともできなかった。

「桃ちゃんがそんなことになってることさえ知らなかった俺らに、こいつを責める権利はねーよ」

ぶっきらぼうに猿の野郎が言った。少し意外だった。責められる覚悟はしていたからだ。
雉は強く唇を噛み締める。

「あたしは桃ちゃんを助けたい…桃ちゃんが殺されるなんて…嫌……」

「皆そう思ってる。でも本人は望んでない」

猿が俺に目を向けた。俺は頷く。

「だったら…まず俺らがやることは、もう一回、桃ちゃんに会うことだ!」

猿は叫ぶと勢いよく立ち上がった。

「たとえ最期になろうと俺は桃ちゃんを見守りたい」

こいつがこんなに頼もしく見えたのはたぶん初めてだ。
俺と雉は顔を見合わせ、立ち上がった。

その時、訪問者の気配がした。
そいつは玄関で猿の家族と一言二言やりとりをして、家の中に上がり込んだ。男の声だ。
気配はこちらに向かって来る。俺達は身構えた。
躊躇なく襖は開けられ、その向こうに現れたのは役人の格好をした男だった。

「なんで役人がうちに…」

猿が目を丸くして言った。
役人は俺達一人一人の顔を確認し、重たそうに結んでいた口を開いた。

「貴殿らが桃太郎の従者か」

「だったら何よ」

雉が警戒心を剥き出しにして応えた。

「主人の裁判に御立ち会いになられないのか」

堅苦しい口調で、表情薄く奴は言う。

「立ち会わられないのなら結構だが、最期に会いたいなら同行願いたい」

「どういうことだ」

混乱する俺達に、役人は「やはり御存知なかったか」と呟いて静かに続けた。

「桃太郎は先日、投獄された」

投獄。
他に思うことは色々あったが、この二文字が重くのしかかる。頭がくらくらする。
そんな中で、「会われるのか会われないのか」と再び鋭く問い詰められ、奴に従って行くしか選択肢はなかった。



狭い牛車の中で、詳しいことを教えて貰った。
俺が眠り込んでいた頃に桃は連行され、牢に入れられた。
しかしそれを聞き付けた俺達お供が桃太郎脱獄の助太刀をしに来るのではないかと役人達は警戒した。

「心配しなくても、あいつらはそんなことしないだろう。信じられないなら捕まえて拘束しておけばいい。そうだな、今なら三匹仲良く猿山にでもいるんじゃないか?」

言い出したのは桃だった。役人達が驚いたのは言うまでもない。

「檻の中だというのに、豪快に笑っていたよ。私は何十人と罪人を見て来たが、あんなに威勢のいいのはなかなかいない」

語り終えた後に、役人は真剣な顔で俺達を見た。

「私は貴殿らを信じたい。しかし他の輩はそうは行かないようだ。これから数々の無礼を働くことになると思うが、どうか辛抱して頂きたい」

役人は低く言うと頭を下げた。

「やめろよ。俺らは何年もあいつと一緒にいたんだ。無礼や辛抱なんて慣れてる」

俺の言葉に役人は少しだけ頭を上げ、少しだけ笑った。
雉が、ふんと鼻を鳴らした。


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