第三章(2/7)




桃太郎が鬼を退治し始めてから数十年。桃太郎は鬼を退治するためのもの。人々にとってはそれが当たり前になっていた。
何も間違っちゃいない。だが、慣れは恐ろしい。人々は感謝の気持ちを捨てた。

命を懸けて鬼を退治して帰って来たのに誰にも感謝されない。他ならぬ人のためだというのに、人は何食わぬ顔をしている。桃太郎は、抱いてはいけない感情を抱いてしまった。

なぜ誰も俺を讃えない?
なぜ誰も俺を崇めない?
鬼を退治できるのは、この桃太郎だけだというのに──

哀しみ、怒り、利己心。いろんな負の感情に捕らえられた。きっと、誰かが一言「有り難う」と言ってくれていたら、ただ一言言ってくれたら、あんなことにはならなかったのに。



ここまで言って、桃は肩で大きく息をした。かなり苦しそうな表情で、額にはうっすらと汗が滲んでいる。

「お、おい、無理すんなよ。悪かった、もういいから」

「いや。話そう。お前には話さねばならん。私なら大丈夫だ」

桃は茶を口に含み、ゆっくりと喉に流すと続きを語った。



負の感情に飲み込まれた桃太郎は、ついにその刀で人をあやめてしまった。それから、次々と……。
もう止まらなかったんだ。人々の悲鳴も慟哭も、何も聞こえなかった。
誰かが叫んだ。「鬼だ!」と。
ふと我に帰るとそこは地獄だった。
自分の刀も、着物も、人も、家も。村全体が赤く染まっていた。
爪は鋭く尖り、血溜まりに映った己の顔には大きな牙と角が生えていた。
桃太郎は、文字通り鬼になってしまったんだ。
逃げ遅れた村人が、恐怖に震えながら自分を見ている。何が英雄だ。何が感謝されたいだ。
絶望した桃太郎はそのまま自害した。

それからというもの、桃太郎の刀は人を斬れなくなった。元々鬼を滅するために霊力を纏った、いわゆる妖刀ではあったが…人を斬ろうとしても傷ひとつつけることのできない、さらに奇っ怪な刀に生まれ変わったんだ。
そして桃太郎は人を殺せなくなった。人を殺せば鬼になると言われている。例の一件以来、試したことはないがな。



「そういうわけだ。お分かり頂けたか?」

「解らねぇな」

「聞いてなかったのか?この耳は飾りか」

桃は眉間に皺を寄せ、俺の耳を引っ張った。てめぇこそしょっちゅう他人の話を聞かないくせに何しやがる。それに俺はちゃんと聞いていた。

「俺が言いたいのは、結局、桃太郎が悪者扱いされて人間の都合のいいようになっただけじゃねえかってことだよ」

確かに桃太郎のやったことは間違ってる。でも感謝されたかっただけなんだろ?人間のせいなんだろ?
事件の結末が『だから桃太郎には感謝しましょう』じゃなくて『だから桃太郎は人を斬れなくなりました』なのが納得いかねえ。根本が何も解決されてない。桃太郎が泣き寝入りしなきゃなんねえだけだ。

「じゃあお前は自分の村が壊滅に追いやられ、親兄弟・友人が殺されたとして、犯人が殺害動機を情に訴えかけて来たら許せるのか?」

「それは……」

答えられなかった。
どんな理由があっても、きっと俺はそいつを許せない。殺してやりたいとも思うだろう。

「彼らもひたすら畏れ、そして憎んだ。だから桃太郎はいかなる時も人には無害であらねばならない。それが人の“意”だ」

「意…」

「そうだ。私たちは人の意に従わなければならない。桃太郎は、人の想いで造られた妖だから──」

桃は湯呑みを強く握りしめた。空になった湯呑みは小さく震えていた。

「鬼に生命を脅かされ、安寧を願う人々の心が形になったものが桃太郎だ。人のために鬼を殺す。それが桃太郎の存在意義だ」

桃は、俺の方を向いて少し笑ってみせた。

「色々と屁理屈こねて抗っていたが、どうやら限界らしい」

今までにも見たことがない、弱々しい笑顔だった。

「なんでそこで諦めんだ…」

桃のそういう所が嫌いだ。苦しいくせに笑って、なんでもないふりして、勝手に抱え込んで、勝手に諦める。

「もっと…もっと抗えよ!!お前は一人じゃねえ。俺達を頼れ!」

何のための“下僕”だ。三匹もいて一人の女も支えられないのか。
無性に悔しくて、情けなくて、涙が落ちた。


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