「いやあ、男嫌いのこいつがのこのこ釣られるぐらいだからどんないい男かと思ってたんだ。なるほど、女とはねえ」
「まさか、つけて来たの…?」
「人聞きの悪い。妹に何か起こらないよう見守ってやったと言ってくれ」
兄貴は悪びれる様子もなく笑ってみせる。頭に血が上った。
「何言って…!」
「そんなことより、お前は何者なんだ」
でも、あたしの怒りは桃ちゃんに遮られた。
「私が背後を取られるとは…ただ者じゃないはずだ」
「俺はただの遊び人さ。…そんなに綺麗な眼で見詰められると照れるな」
兄貴は安々とキザな言葉を吐いて、ごく自然な手つきで桃ちゃんの顎を持ち上げた。あまりに自然過ぎて暫く気づかなかったぐらいに。
「本当にいい女だな。俺と遊んでみないか?」
鼻先が触れ合いそうな距離。
桃ちゃんは薄く笑って、顎に添えられた腕を握った。
「生憎だが、私は遊ばれるより遊びたい性質でな」
こんな風に──と、桃ちゃんはそのまま兄貴の腕を捻った。
咄嗟のことに兄貴は飛び退いた。いいざまよ。
「…へえ、そういう趣味かい。でも俺ぁ何でもイケる男なもんで」
そう言うと兄貴は桃ちゃんの前に跪づいてみせた。
「俺を下僕だと思って、どうぞなんなりと」
下僕、という言葉に桃ちゃんの肩がぴくりと動いた。
あたしは驚いたのと恥ずかしいのとで声が出せなかった。
「しかし雉は二匹もいらんからなあ」
「そんなら替わって貰おうか」
兄貴が嫌な笑いを浮かべてあたしに視線を注いだ。
「嫌よ!」
あたしは咄嗟に叫んだ。だけど、叫んでから気づいてしまった。
桃ちゃんは兄貴の能力を認めていた。そして桃ちゃんが欲しいのは、有能な下僕。
「そんなの…嫌……」
捨てられるべきは、あたしだ。
あたしも捨てられるんだ。この男のせいで。今まで見てきた女たちみたいに。大好きな人から捨てられるんだ。
耐え切れなくなって、桃ちゃんに、兄貴に、背中を向けた。
──桃ちゃんが兄貴を選ぶなら、あの川に身投げしてもいい。
そんなことを考えていると、袖を強く引っ張られた。
「何をしている。一度下僕になったからには、私から逃げられると思うなよ」
「……え?」
振り返ると、桃ちゃんが少し怒ったような顔をしてあたしを見ていた。
「あたしで…いいの……?」
「当たり前だ。私は裏切ったりしない。私が『私』である以上は」
桃ちゃんはあたしの袖を潰れてしまいそうなぐらい強く握っていた。だから、きっと、信じていいんだ。
「桃ちゃん…!!」
あたしは、無我夢中で桃ちゃんに縋り付いた。桃ちゃんは、普段はこういうことをするとわざと払い除けたりするのだけれど、今は何をするでもなく黙って立ってくれていた。
あーあ。と、けだるい声を出して兄貴が腰を上げた。
首だけそっちに向けて、桃ちゃんが「すまんな」と詫びた。
「いやぁ、一生お供なんて俺には無理だね。俺はなるたけ色んな女と遊びたいのよ」
まぁまたどっかで会おうや。
そんなことを言って、兄貴はあたし達を横切った。
「きびだんご奢ってくれるなら考えてやる」
「なんだそりゃ」
兄貴は笑って手を振って、どんどん遠ざかって行った。
「…どさくさに紛れて尻を触るな」
今なら、と気づいて引っ付いていたら桃ちゃんに頭を小突かれた。
「ねえ桃ちゃん……」
「こんなことしてる場合じゃない。数量限定のきびだんごを買いに行くのに協力してくれ」
本当にあたしを選んで良かったのかもう一度聞こうとしたけど、桃ちゃんはすたすたと先を行ってしまう。
「ほら、行くぞ」
桃ちゃんは振り返って不思議そうな顔をした。後ろに結った桃色の髪が揺れた。
「……うん!」
あたしは駆け寄る。
「お前の兄貴も頭数にぐらいは入って貰えばよかったなあ」なんて呑気な口ぶりで言いながら桃ちゃんは笑った。
[*前] | [次#]