第二章(5/7)


おもむろに偽太郎は腰の巾着袋からきびだんごを取り出し、口に放り込んだ。
決戦の直前に悠長に物を食うとは。桃太郎って奴は、みんなこうなのか?

「横っ腹を痛めるなよ?」

言いながらも桃は唾を飲み込んだ。自分も食べたかったのだろうか。

「笑止」

偽太郎は刀を抜いた。
桃も刀を差し替え、愛刀は雉に預けた。雉はいつになく真剣な眼差しで桃を見た。

「お前ら」

去り際に桃が言い残した言葉は。

「私に何があっても絶対に手を出してくれるなよ」

「…っ」

言葉に詰まる。
なあ、それってどういう意味だよ。

桃は刀を抜いて「いい刀だ」と呟いた。

「いざ──」

先に踏み込んだのは偽太郎の方だった。
低い姿勢から切り込んで来たのを桃はひらひらと避けていく。不真面目に見えるがそうじゃない。これが桃のやり方だった。避けながら相手の様子を観察しているんだ。
僅かな隙を狙って刀を入れる。すんでの所で偽太郎は斬撃を受け止めた。
あの野郎もなかなかやるようだが、相手が悪かった。決着がつくのも時間の問題だ。
こいつらだけでも欝陶しいのに、これからあいつとも一緒に行動しなけりゃなんねえのか。なんてことを考えていた所に衝撃の光景が飛び込んだ。

偽太郎が何回目かの太刀を受け止めた時だった。奴はそのまま力任せに刀を押し返した。
桃が弾き飛ばされた。
桃は身を翻し、素早く体勢を整えたが、そこに野郎が切り掛かった。刀同士が激しくぶつかり、僅かに火花が散った。そして──
鈍い音を立てて、桃の刀が折れた。

「なに…っ」

驚いている間もなく、桃の手に残った半身も柄を蹴り上げられ宙を舞った。
さらに偽太郎は刀を桃の肩口に突き刺し、押し倒した。桃の口から苦悶の声が漏れた。

「桃ちゃん!!」

雉が悲鳴を上げて駆け出そうとしたのを止めたのは猿だった。

「行くな。桃ちゃんと約束しただろ」

「でも……!」

「その刀、任されたんだろ?」

「っ……!!」

雉は桃に預けられた刀を両腕で強く抱きしめ、声を押し殺して泣いた。大粒の涙が鞘を濡らす。
猿もたまにはまともなこと言うんだな。
同じことを思ったのか、桃が薄い笑みを浮かべていた。

「うるさくてすまんな」

馬乗りの状態でしっかりと両腕を踏み付けられ、身動きが取れないというのに桃はそんなことを言った。

「気にするな。じきに黙る」

偽太郎は冷酷な眼をしたまま桃の肩口に深々と刺さった刀を抜いた。溢れ出した朱が桃色の着物を染める。それと切先が同じ色になった刀は高々と振り上げられた。

「桃ちゃん!!」

雉の声が響く。
刀は勢いよく目的目掛けて放たれた。





桃の目が大きく見開かれた。
刀は桃の頭を掠め、地面にその身を埋めた。

「…何故仕留めない」

桃が眉間に皺を寄せ、低い声で言った。

「気が変わった」

偽太郎は短くそう言うと、桃から身を引いた。
そしてずんずんとこっちに向かって来る。狙いは雉のようだ。
硬直してしまった雉の前に、俺と猿は足を踏み込んだ。

「考えてみれば仙桃刃の方が価値あるものだ。貴様を殺せばこいつも消えてしまうのだろう──退け」

偽太郎は立ちはだかる俺達を、虫でも掃うかのように手の甲であしらった。
物凄い力だった。予想外の腕力に俺と猿は体勢を崩す。こいつ、本当に人間か?
奴は雉から刀を奪った。雉は抵抗するそぶりを見せたが、敵うわけがなかった。

「違うな」

桃が上体を起こしていた。傷口を押さえた指の間を血が伝う。
桃は大きく息を吐いてから続ける。

「私を殺らなかったのは、負い目を感じたからだろう」

「負い目だと?」

偽太郎が片眉を吊り上げた。

「そうだ。お前のその力はお前自身の力じゃない」

「どういうことだ…?」

俺の質問に桃が答える前に、偽太郎が地に膝をついた。

「薬が切れたか」

「薬ぃ!?」

「ぐ…っ」

野郎は肩で息をした。身体中から玉のような汗が噴き出している。

「戦う直前に食っていたきびだんご──あれに薬を盛っていたんだろう」

「それって…要するにズルじゃね」

猿の言葉に偽太郎は目ん玉が飛び出そうなぐらい目を見開いた。

「黙れ!どんな術であろうと俺は勝ったのだ!仙桃刃は俺のものだ!そして俺が鬼を……」

異常に充血した目が、奴が摂取したものが劇物だということを示していた。

「無理だ」

静かに言った桃を、偽太郎は鬼神のような顔をして睨んだ。

「刀が欲しいならくれてやる。ただ──お前は桃太郎にはなれない」

「なんだと……」

「お前が一番解っているはずだ。ろくでもない方法で、それでも私一人倒すのがやっとじゃないか。鬼は何匹いる?今のその状態で、何匹倒せる?…今のお前は、雉にさえ敵うまい」

言われて雉が、はっとして拳を掲げたので俺はそれを下げさせた。

「黙れ…」

唸るように言いながら偽太郎は刀を杖にして立ち上がった。

「俺は行かねばならんのだ……」

こいつは一体何にそこまで執着してるんだ?
一度行った俺達には強く言える。鬼ヶ島はそう簡単に行く所じゃねえ。

「俺は貴様のような失敗はしない」

偽太郎は桃を見下ろして言った。桃の表情が少し強張った。

「貴様らも哀れだ。こんな女に従ったおかげで知らなくて良いものを知り、失わなくて済んだものを失ったのだから」

「なんだと、てめえ!」

「よせ」

桃が手を広げて俺達を止めた。その手は血でどろどろに汚れている。

「よせってお前…この野郎は…」

「いいんだ。本当のことだから。それに──」

桃は力なくうなだれた。

「それが人の“意”ならば私は口出しすべきじゃない」

「…薬に気づいていながら死を許したのもそのためか」

野郎の言葉に、桃は応えなかった。

「貴様は弱い生き物だ。やはり殺す価値もない」

吐き捨てるように言うと、野郎は少しふらつきながらも鬼ヶ島へと続く道に足を進めた。
桃は顔を上げた。

「弱い生き物でも分かるお前の未来を変える気はないのか」

「ない」

一瞬止まりはしたが、またすぐに足は前に出る。
眉を下げた桃の顔はひどく悲しそうだった。

「だったらこれだけ約束してくれ。決して一人では行くな。そして刀が私の元に還ることのないように……」

桃の声は聞こえていたはずだが、野郎は一度も振り返らなかった。

「あいつは、昔の私に似ている…幼かった、あの頃の私に」

遠ざかる背中を見送りながら、小さな声で桃が言った。


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