転校のススメ。(1/8)


ある年の春。
桜はあちらこちらで花を咲かせ、美しい花弁は春風に吹かれてひらひらと宙を舞う。



清水詩織は大きな荷物を手に、とある家の前に立っていた。
鉄筋二階建ての家。塀には『皇(すめらぎ)』と彫られた表札が埋め込まれている。詩織は丁度その下にあるインターホンを押した。
傍らでは妹の優がせわしなく辺りを見回している。見慣れない土地に来て落ち着かない気持ちは分からなくもないが、もう高校に入る歳なのだからもう少し自律してほしいものだ。



「じゃあね。二人とも元気でね。くれぐれも皇さんチに迷惑かけちゃ駄目よ」

それが一週間前。最後に聞いた母の台詞。
両親は熱烈な科学研究者で、夫婦揃って外国に行ってしまった。

「だって二人とも。日本を離れるの、嫌でしょ?日本語以外はさっぱりだし」

それが一緒に連れて行ってくれなかった理由。
確かにそうだが、まだ高校生の娘二人を置いていくなんて酷すぎやしないか。

「生活のことは大丈夫。知り合いの子に頼んであるからね。詩織や優と歳が近い子ばかりだからきっと楽しいわよ」

全然大丈夫じゃない。知らない人の所に住むなんて。転校もしなくちゃいけなくなったし、結局親と一緒に海外に行くのとそう大差ないのではないか。



そう考えているうちに、インターホンの向こうから返事が返って来た。若い男の声。

『どちら様ですか?』

「あの、清水と申しますが…」

『ああ。聞いています。どうぞ入って下さい』

詩織は背後の優に声をかけてから、門をくぐり玄関先に歩み寄った。
間もなくドアが開いた。さっきの声の主であろう男が顔を表す。真面目そうな顔立ちだ。
彼は二人を家の中に入れると、まず軽い挨拶ついでに自分の名を名乗った。男の名は龍一といった。

玄関は綺麗に整備されていた。男物のスニーカーが何足かあったが、全てきちんと揃えられており、玄関マットのスリッパも歪みなく進行方向を指し示していた。木目調の靴箱の上にはさりげなく花が活けられている。
龍一は玄関から一番近い部屋に二人を案内した。
広いリビングダイニングキッチン。そこで龍一より少し若い金髪の青年と、中学生くらいだろうか、まだ幼い顔立ちの少年が待っていた。彼等は詩織と優の訪問をおおいに歓迎した。

手前のテーブルに座るように促され、詩織と優は着席した。ニスが光る木製の綺麗なテーブルだった。
金髪の青年と少年は手際よくケーキや紅茶を運ぶ。どの食器も細かい模様が描かれた上等そうなもので、詩織は息を飲んだ。

それとほぼ同時に、素早く階段を降りて来る足音がした。
その音が止んだかと思うと、大きな眼を黒縁眼鏡で覆った、おそらく詩織や優と同じぐらいの年齢であろう可愛らしい少女がひょっこり顔を覗かせた。

「ケーキ!」

少女はテーブルに並んだケーキを見るなり目をキラキラさせ、触角のように二本跳ねた前髪を揺らしながら小走りにやって来た。

「まだ食うなよ」

「えー」

すかさず龍一に制止され、悪態をつく。小柄な娘は着席し、準備が終わるのをもどかしそうに待った。まるで『待て』をされた犬のようだ。

──よかった。女の子もいるんだ。

その隣で詩織の顔は自然と綻んでいた。
歳が近い同性の子どもがいるのなら、一緒にショッピングやガールズトークをたくさんしてみたい。全く色気のない妹を持った詩織の小さな願望だった。
優は小さくくしゃみをした。



準備が終わり、男達も席に着いた。
六人掛けのテーブルに男女が向かい合って座る形となり、なんだか合コンみたいだ、と詩織は思った。

「改めてようこそ、清水さん。軽く自己紹介をしましょうか」

間食を勧めてから、龍一が少し照れ臭そうに話し始めた。

「さっきも言いましたが、俺は龍一といいます。一応長男で…大学生やってます。宜しくお願いします」

龍一は深々と礼をする。合わせて詩織と優も礼をした。

続いてその隣に座っている中学生くらいの少年が自己紹介をした。

「僕は嵐といいます。三男です。よろしくお願いします…あ、中学三年生です」

少し緊張していたようで、はにかんだ表情にはまだまだ幼さが見える。

「上条 煉(かみじょう れん)です。俺も色々あってこちらに住まわせて貰っている身です」

嵐のまた隣に座っている金髪の青年、煉は爽やかな笑顔で言った。
詩織は内心、驚きが隠せなかった。自分達以外にも同居人がいるのか。差し支えなければ後で詳しく聞きたい所だ。

「俺はこの春から高校生になりますので、宜しくお願いします」

煉はうやうやしく黄色い頭を下げた。

「高一だって。優と同じだね」

「えー?」

折角気を利かせて話を振ってやったのに、優は話も半分に幸せそうにケーキを頬張っていた。足でも踏んづけてやろうかと思ったが、優のことだ、そんなことをすればぎゃんぎゃん騒ぐに違いない。詩織は心の中で舌打ちをした。

次に、龍一は自身の向かい側、詩織の横で大量の砂糖を紅茶に溶かしている少女を指した。

「じゃあ、後は、純」

「あ? ああ。えーと、マイネームイズ純。高二。よろしくっ」

娘は手短に言うとぐいっと紅茶を飲み干し、自分の分の食器を片付けて部屋を出て行こうとした。

「純、待て」

龍一の声に振り返った純は毅然とした態度で言った。

「自己紹介したしケーキも食ったからもういいじゃん。ゲーム、ポーズしたままなんだよ」

そして龍一の反論が来る前に飛んで行くように立ち去った。階段を上る足音が遠くに消えて行く。

「連れ戻して来ましょうか?」

「いや、もういい。…すみません、我が儘な奴で」

立ち上がろうとする煉に首を振って、龍一は詩織と優に向かって申し訳なさそうに目を伏せた。

「いえいえ、うちにも似たようなのがいますから」

詩織は微笑を浮かべた。破天荒キャラには慣れっこだ。
龍一の瞳が一瞬詩織の隣を捕え、笑った。

「そうなんですか?それは大変でしたね」

清水の我が儘娘は気付いてないのか聞いてないのか、素知らぬ顔で黙々とケーキを食べていた。


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