教室の掃除を終えて、香雅は剣道場に向かっていた。
途中の廊下で、女子生徒が前方からやって来た。抱えているのは数十冊の冊子。小柄な彼女の腕にはいささか多すぎる。
彼女が一歩歩みを進めるごとにそれらは不安定に揺らぎを見せた。手を貸さねばまずい、と香雅が判断したちょうどその時、冊子は宙を舞った。
足がもつれたのか、倒れ行く荷物の重さに引っ張られたのか。
香雅が目線を下にやると、散らばった冊子を前に、女子生徒はべったりと全身を床につけ、倒れ込んでいた。
大丈夫か、と香雅が声を掛けるより先に、彼女はむくりと起き上がり、泣きそうな顔をして冊子を拾い集め始めた。
すかさず香雅も拾うのも手伝い、そのまま渡してもまた同じことを繰り返すと思ったので、目的地まで半分以上を持ってやることにした。
「ありがとっ。うきょーくん、優しいね」
女子生徒が、はにかみながら言う。
どこかで会ったことがあっただろうかと香雅は内心首を傾げた。上履きの色を見るに彼女は一年生だ。知り合いでもなければくん付けで呼ばれる道理はない。
そう考えている間にも彼女は「今から部活?」とか「剣道楽しい?」とか、親しげに話題を振ってくる。
間違いなく自分のことを知っている。だが、困ったことにまるで覚えがない。
どこかで会ったかと聞くにも聞けず当たり障りの無い相槌を打っていると、間もなく職員室に到着した。
せんせー!と、彼女は子どもっぽく叫んで教諭に駆け寄った。その拍子に、彼女が持っていた冊子の束がぐらりと揺れた。呼ばれて振り向いた教諭──松澤は自分に目掛けて飛んで来そうな冊子に思わずのけ反った。
が、冊数が少なくなっていたので大事には至らず、一冊だけが飛び出し松澤の膝の上に跳ねて落ちた。
松澤は溜息を吐きながらそれを拾い上げると女子生徒に向かって少しおどけた様子で「こらっ」と叱った。彼女は「ごめんなさーい」と笑って松澤の机に冊子を置いた。少し間を置いてから、香雅もその上に冊子を積み上げる。
「ああ、ありがと……」
松澤が香雅の顔を見て固まる。
「胡鏡……に、手伝って貰ったのか」
ちらり、と香雅の上履きを見る。うっすらと眉間に皺。
『胡鏡は二年生だったよな?どういう関係なんだ?』と顔に書いてある。
なんとも分かりやすい反応だったが、そうとは知らず女子生徒は元気いっぱい「うん!!」と答える。
「…や、たまたま通りがかったんで…」
香雅はぶっきらぼうに答えた。松澤は目尻に皺を寄せて「そうか」と呟く。
「さすが先輩。格好いいな」
「……」
気恥ずかしくなって香雅は目を反らした。
「…部活に行くので俺はこれで……」
「お? ああ、頑張ってな。ご苦労さん」
軽く会釈をしてから気持ち早足に職員室を去る背中に「がんばってねー!」と黄色い声援が浴びせられた。
「何、胡鏡と知り合い?」
香雅が去ってから松澤は女子生徒に質問する。香雅は「たまたま通りがかった」と言っていたが、彼女はずいぶん馴れ馴れしい。
彼女ははっきり「うん」と答えると、
「友達…じゃないかな、えーっと、先輩…? 知ってる先輩」
「…………」
開いた口が塞がらない、とはこの事。
松澤は頭を抱えて肺の中の空気を全て吐き出した。
「それは…たぶん凄くダメだ……!」
きょとんとする彼女はもうしばらく職員室から出られそうにない。
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