転校のススメ。(6/8)


「たっだいまー」

新学期のはじまり。黄昏時。ややハイテンションの純の声が玄関から響き渡る。

「お帰りなさい。やけに上機嫌じゃないですか」

リビングから顔を出した煉が、階段に一歩足を掛けた純に話し掛ける。

「おう。胡鏡にゲーム借りて来たからな。FF」

「FFって凄いリアルなヤツでしょ?見たい見たい!」

詩織も思わず目を輝かせリビングから飛び出す。

『Final Festival』通称、FF。
リアルな映像とストーリーの奇抜さから学生の間で人気沸騰中のアクションゲームである。
私物でないくせに「いいよ?」と得意げに答える純。そんな純に煉が鋭く切り掛かる。

「それは良かったですね。で、今日やるんですか、それ」

「当たり前だろ。あっ、煉もしたいのか?」

「いや結構です。俺はただ、明日春休み明けのテストがあるのに遊びに行くしゲームするし、かなり自信があるんだなーと思いまして」

煉の言葉には棘がある。
純はうまく逃げる道を探そうとしているようで、歯切れの悪い返事をした。

「大丈夫だよ……た、ぶん」

「へえ。ところで今年は春休みの課題も全てきちんと提出できたということですよね」

「フッ…去年に同じだぜ……」

去年も今年も間に合ってないのか。詩織は信じられないものを見る目で純を見た。そして煉の顔にどんどん影が差しているのが振り向かずとも分かる。

「じゃあ飴は無しで。折角買って来たんですがね。残念です」

煉はそう言うと業務用だろうか、大きな袋入りのチュパポプスを左手に掲げた。
純が「あ、」と小さく声を上げると同時に煉はリビングに引っ込んだ。
純は血の気の引いた顔で慌てて煉の後を追い、その袖を掴んだ。煉の足元にはあんぐりと口を開けたごみ箱が待っている。

「待っ…!やる、やるから捨てるな!!」

必死に懇願する純を煉は冷ややかな目で見下ろしていた。

「テストで良い点取ったら考えても良いですよ」

「んなもん無理に決まってんだろ!!何食って学校行きゃあ良いんだよ!」

もう七本しかないのに!
純は叫んだ。
じだんだを踏んだので大きな足音が家中に響き渡る。

「早起きしていっぱい御飯食べて行けば良いでしょ。部屋の冷蔵庫にもまだお菓子あるんでしょう?」

「…っ、煉のバカヤロー!!」

鬼ー!悪魔ー!とか叫びながら純はリビングを抜け二階に駆け上がっていった。返す言葉が見つからなかったのだろう。

「まったく…世話のかかる……」

そう言うと煉はくるっと振り返り、詩織と優に笑顔を向けた。

「そういうわけで、大丈夫とは思いますが、あなた達も頑張って下さいね」

そう言った眼は笑っていなかった。





……終わった。これは完全にやっちまった。

答案用紙が回収されるやいなや、純は机にだらりと突っ伏した。

普段なら全く解らなくても気にせずこのまま春の麗らかな日差しを受けながら休み時間を居眠りに費やす所だが、今回はそうは行かない。
何故なら昨日、煉と約束してしまったのだ。「全教科六十点以上取る」、と。

「どうした。まさか真っ白か?」

前の席の杉浦がわざわざ身体を捻って意地の悪い笑みを向けて来た。

「真っ白だったら殺されるっつーの。ああ゛ーーっ、もう嫌だ!!だいたい俺いつも五十点取ればいい方だぜ?六十なんて取れるわけねぇだろうが!!」

感情が高ぶってかなり大きな声が出た。
クラスは一瞬静まり帰り、純の方に視線が集まった。目の前にいる杉浦は緊張して目をキョロキョロさせ、間の抜けた顔になっている。ついでにおちょぼ口になるのは彼の癖。

その静寂が過ぎ去るとまた教室が賑やかになり始める。たいていの話題はテストの出来についてなのだが、杉浦の顔をはやし立てる男子もいる。杉浦は舌打ちすると席を立った。

「どこ行くんだよ」

「便所」

杉浦は振り返らずに言ったが、その耳は真っ赤になっていた。意外と弄られると弱いタイプなのだ。

「テスト大丈夫か?」

杉浦と入れ代わりになって香雅が来た。
今朝も登校が一緒だったので香雅はクラスで唯一事情を知っているのだった。

「大丈夫じゃない…っていうかお前テスト終わってどこ行ってたんだよ」

「便所」

「お前もかよ…」

少し顔をしかめた純に香雅は首を捻った。
そういえばさっき便所に向かう杉浦を見たが、奴は唇を噛み締めてぶつぶつ小言を言っていた。

「杉浦、何かあったのか?」

「さあ、知らね」

説明するほどのことでもない。純は窓に目を向けた。
校門では暖かい陽気に包まれてただ静かに桜の花弁が舞っていた。
それを見て感じていると、次第に瞼が落ちて来た──


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