十字路を曲がった所で、純は小さく声を上げて駆け出した。その勢いで前を歩いていた男子生徒の背中を叩く。
「胡鏡(うきょう)!」
胡鏡と呼ばれたその男子生徒は少し驚いたように返事をすると純を軽く見下げた。
おそらく純の同級生だろうが、体格は全く違う。がっしりした男らしい胡鏡に対して、細身の純の背丈はその顎先までしかない。
「昨日な、ハザード全クリした!」
「すげぇ。あのラスボス一人で倒したのか?」
他愛のない会話を交わしながら楽しそうに二人並んで歩いている。
「あ、そうそう。それから…」
純はくるりと振り向いて詩織を指差した。
「こいつ、新しい家族なんだ。もう一人妹がいるんだけど」
「へえ…また増えたんだな、家族」
胡鏡は突拍子のないような話をあっさりと受け入れた。純の家庭事情については心得ているらしい。
「名前は…えーっと。なんだったかな。シ…シホ…?」
「シ・オ・リ」
「詩織だってさ!」
純は胡鏡に向かっておどけるような仕草をした。
昨日一悶着あったくせにもう忘れたのか?詩織は純を白い目で見た。
「そんな事言ってると、私も君の名前忘れるよ、純くん?」
「俺は人の名前とか顔とかなかなか覚えられないんだよ!」
「自慢する事じゃないよね、それ」
また逆ギレか。詩織は呆れ返る。
ふと、胡鏡の視線に気付く。
「あ…。私、清水詩織です。よろしく」
「…胡鏡香雅です。……よろしく」
見た目こそ少々厳ついがシャイなのか口下手なのか、男子生徒はぼそりと名乗ると少し頭を下げた。ウキョウコウガ。ウキョウって苗字だったのか、と清水は密かに思う。
「胡鏡は中学からの大親友なんだぜ。すっげー良い奴なんだ!」
純は得意げに紹介した。「それはどーも」と香雅は照れ臭そうに笑った。
やがて、校門が見えて来た。「天宮高等学校」と書かれた門の向こうでは、生徒達を歓迎するように桜の花弁が舞っている。
玄関の前には人だかりができていた。クラス分けが記されたプリントが掲示されている。
ざわざわと騒がしい人混みを何とか掻き分け、自分のクラスをチェックする。純と香雅は二年三組、詩織はニ年四組。
またな、と手を振り二人は隣の教室に入って行った。私も三組だったらよかったのにな、と詩織は少し肩を落としながら教室に入った。
「また同じクラスでよかったー!」
教室の所々で、手を取り合ってきゃあきゃあと女子たちが騒いでいる。
「ねぇほんと無理なんだけど」
自分の机に鞄を置いた瞬間、近くから女子の低い声が聞こえて来て詩織は思わずそちらに目をやる。
「友達誰もいないんだけど。マジ無い。無理。あたしも四組がよかった……」
他のクラスになった生徒が愚痴を言いに来たらしい。膝を落とした彼女を友人たちが一生懸命慰めている。
私なんてこの学校に友達一人もいないんだぞ、という気持ちを詩織はぐっと堪える。
教室の中は仲良しグループばかり。割って入る度胸もなく、手持ち無沙汰に携帯を弄っているうちにチャイムが鳴った。
煉は愕然とした。
食べ終わった食器はそのまま、寝癖はボサボサ、制服のリボンは斜めに曲がっている。身だしなみを指摘すると、優はくしゃくしゃと髪を触る。手櫛で直そうとしているらしい。右に曲がっていたリボンは左に曲がった。
煉は今まで、少なくとも自分を前にしてここまでだらしない女性を見たことがなかった。ズボラだと思っていた純のことがまともに思える。どうして彼女はそう無頓着なのか。いや、それ以前にこれは常識の範囲内だろう。
耐えきれずに、一言断ってから身だしなみを整えてやる。世話焼きの煉だったが、他人の、まして同級生の女子の寝癖を直すことになるなど思ってもみなかった。
「たっだいまー!」
玄関の開く音と、陽気な声。
煉は慌てて玄関に迎えに行く。
「おかえりなさい」
靴を脱ぎながら、純が「おう」と声を上げた。
「あれ?お姉ちゃんはー?」
階段から降りて来た優が純を見るなり少し不満そうに聞いた。
「転校の関係で色々用事があるから遅くなるって朝言ってたぜ。もし見れたらそのまま入学式も見るつもりだって」
「そうですか…」
がくりと肩を落としたのは煉の方だった。
優は「分かった」とあっさり踵を返す。
「もうすぐ出るから。持ち物ちゃんと確認しとけよ」
棘のある語調で煉は優に声を掛ける。優も負けじと頬を膨らませて抗議する。
「まだ早いよ!レンは時間分かってないんだ」
「お前は人より余分に時間が掛かるのが見えてるから言ってるんだ。時間が分かってないのはそっちだろ」
「ひどい!レンがいじめる!」
「いじめてないです。正論ですよね?」
二人の視線が純に集中する。
純は何度も二人を見比べてただ一言「色々あったんだな……」と静かに言った。
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