転校のススメ。(4/8)


目覚まし時計の音で詩織は目を覚ました。
見慣れない天井。
そうか。私は──

昨日の出来事を一つ一つ思い返す。
純にチョコをあげたあたりでひとり頬を緩ませたが、ゆっくりしている場合ではない事に間もなく気付く。

今日から新しい学校なんだ。早く行かなきゃ。

横に転がっている優を跨いで慌てて部屋を出ると、すぐそこに煉がいた。思いがけない所に人がいたので身体が一瞬強張った。
煉は隣の部屋に入ろうとしている所だった。

「おはようございます。朝食は出来てますのでどうぞ」

煉は朝によく似合う爽やかな笑顔でそう言うと、ドアを開け、部屋に足を踏み入れて行った。
半開きになったドアから何気なく詩織は中を覗いた。

ベッドの上には小さな山が出来ていた。
また少し頬を緩めた詩織だったが次の瞬間、目を疑った。煉がごく自然な動作でそれに蹴りを入れたのだ。

「起きて下さい」

それでも山は小さな呻き声を上げてモゾモゾと動くだけ。

「あと五分…」

「駄目です。今まで五分以内で済んだ事ありますか?」

煉は淡々と言い、勢いよく山の表面──布団を引っぺがした。体を丸くしたパジャマ姿の純が姿を現す。

「新年度ですよー」

さらに追い撃ちをかけて煉は純の身体を揺すった。

「…いいじゃん、ちょっとぐらい…」

ここでようやく純は観念したように上半身を起こしたが、瞼は重く閉じたままだ。素晴らしいほどに寝癖が立っている。

「早くしないと味噌汁冷めちゃいますよ。それとも食べないんですか?」

煉が宥めるように言うと、純は目を擦りながら「食べるぅ…」と情けない声を出した。駄々をこねる幼稚園児みたいだ。

──おっと、こうしちゃいられない。私も味噌汁が冷めない内に行かなくちゃ。

覗いていたことを二人に気付かれないように、詩織はこっそりリビングへと向かった。




詩織がリビングに入った時にはもう龍一と嵐は自分の食器を片付けていた。おそらく煉ももう朝食を終えたのだろう。テーブルには三人分の食器。
詩織が食事をせっせと口に運んでいると、黒縁の分厚い眼鏡をかけた純が入って来た。相変わらず眠そうにしている。目が半分しか開いていない。

「おはよう」

「おはよ…」

声には昨日の元気がなかったが、寝起きだろうと食べる時だけはしっかり食べるようで、次第に目が開いたらしい純はごはんのおかわりまでしていた。

「あれ?優さんは?」

あれこれ動き回っていた煉がリビングに入って来るなり声を出した。

「寝てる。入学式はお昼からだし、まだしばらく寝るつもりなんだと思う」

「…なるほど……」

今日は午前中が在校生の始業式。それと入れ替わる形で午後は入学式となっていた。

「そうだぞ羨ましい。煉もゆっくり寝りゃあよかったのに」

純が味噌汁を啜りながら口を挟んだ。
煉は困ったような顔をして僅かに首を横に振った。

「家を出る時起こすつもりだけど。支度とか道に迷わないかとか心配なんだよね…。煉、悪いんだけどちょっと見てて貰ってもいいかな」

「ええ。もちろんです」

「よかったな。煉に任せときゃ間違いねえわ」

「いえそんな…。大したことじゃありませんし……」

口では謙遜しながらも、純に褒められて煉は得意げだ。数時間後、「大したこと」だったと後悔することになるのだが、それをこの時の煉は知る由もない。



「いい?ちゃんと顔洗って、忘れ物ないかもう一回確認して、真っ直ぐ学校行って、煉の言うこと聞くんだよ」

「んぅ…」

「小学生なんですか?」

無理矢理起こした優に、詩織は言い聞かせる。離れたところで見ていた煉が、真面目な顔をしてツッコミを入れた。

純があくびを噛み殺しながら詩織の脇を抜ける。

「あ、ねえ待って」

詩織も慌てて玄関に向かう。
煉と、目がほとんど開いてない優が「いってらっしゃい」と手を振る。

「じゃあね。ほんと優ちゃんとしてね!煉、お願いね!」

叫びながら素早く手を振る詩織がドアの向こうに消えた。

「姉というより母だな…」

煉はぽつりと呟いた。
優は朝食を食べようと、玄関にくるりと背を向けてリビングに向かった。
柱にぶつかった。



「母ちゃんみたいだな」

塀の横で様子を見ていた純がへらへらと笑った。その顔の黒縁眼鏡は再び外されていた。普段はコンタクトを着けているらしい。

「笑い事じゃないよ。大変なんだから…」

むくれてみせる詩織を見て、純はさらに笑った。

「煉も母ちゃんになる時あるぜー。たいがい怒られてんの俺だけど」

そう言うと純はおもむろに肩に掛けているスポーツバッグからごそごそと何かを取り出した。棒が付いた飴玉“チュパポプス”だ。
慣れた手付きで包み紙を開け、口に含む。と、横目でチラリと詩織を見、一本差し出す。

「食う?」

「えっ。うん、ありがと…」

詩織は飴を見つめる。奇抜なカラーリングの包み紙。ピンクと白のマーブル柄は苺ミルク味だ。

「学校着くまでに舐め切れないから、あとで食べるね」

「大丈夫だって。ヨユーヨユー」

純は一度口から飴を取り出した。真っ赤な球体は朝日につるりと輝いた。



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