友達のススメ。(6/9)


趣深い露地を抜けて玄関を開けると、すっきりとした広い和の空間と淡い橙色の照明に包まれる。

「ようこそ、お待ちしておりました。女将でございます」

凛とした着物姿の女性がすぐさま現れ、あれと思う間にするすると三つ指をついて挨拶をする。
「あ、いえ、こちらこそ」と慌てて腰を折る龍一の後ろで、純が「こんばんはー」と緊張感のない声を挙げた。ふと顔を上げた女将は、その声と姿にぱあっと破顔する。

「こんばんはぁ。皆さんお揃いね。ささ、どうぞお上がりください」

女将に促されるままに靴を脱ぎ、ぞろぞろと長い廊下を歩く。廊下から見える中庭では灯籠の光でぼんやりと池や植木が照らされ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
案内された部屋はやはり上等で、純以外の各々はガチガチになった手足を動かしながら席に着いた。

「そんなに緊張しなくて良いんですよ」

女将は優しく微笑んだ。

「す、すみません。こういうのあんまり慣れてなくて…。正直、マナーとかもよく分かってなくて、非常識なことをしてしまうかもしれませんが…」

「あら。そんなのぜーんぜん、気にしなくて良いんですよ。ただ、皆さんで楽しく過ごして貰えたら。そう思ってご招待したんですから」

そして女将はまたするすると三つ指をついた。

「それでは皆さま、ごゆっくり。ほんのひとときではありますが、どうぞ存分にお楽しみ頂ければ幸いです」

見えない糸に引かれるかのように、全員が吊られて頭を下げた。
一息置いてから、女将は先ほどまでの凛とした雰囲気が嘘であったかのように少女のような笑顔を浮かべてしなやかに手を振った。

「じゃっ。純ちゃん。あとでね」

「うん。ありがとー」

純も気軽に手を振ってそれに応えた。少女の手で、襖は静かに閉められた。
それを見送ってから、全員の視線が一度に純に集中する。

「なに、今の」

詩織が小声で聞いた。

「なにって。あれがいつもの薫ちゃんだけど…」

「薫ちゃん!?そういう関係なの!?」

「いやよく分かんないけど俺のファンらしいんだよ。まあいつも世話になってるから母ちゃんみたいな感じだし…」

「お母さん…」

皇家には母親がいない。以前、純に寂しくないのかと聞いた時は「他の家族がいるから」と明るく答えていたが、本心はやはり母親を求めているのかもしれない。詩織は複雑な気分をどうして良いか分からず俯いた。

「だからって普通、友達のお母さんを下の名前で呼ぶかって話だよな」

そこに龍一が少しおどけたような口調で話し掛けて来たので慌てて顔を上げた。

「あ、うん、それよね」

「えー、だっていちいち胡鏡の母ちゃんって呼ぶのも面倒臭いし、おばちゃんって感じでもないだろ?」

「あ!あの人、うきょーくんのお母さんなんだ!」

話を聞いていなかったのか、今さら優が高い声を挙げた。

「すごいね。キレイだね!うちのお母さんも、着物着たらキレイになるかな?」

「……いや、気品が全然違うし。あの人はそういうの無頓着だからねえ…」

期待の眼差しを向けて来る妹に、詩織は険しい顔で答えた。
お洒落とか家事とか、そういったものをあまりしていた記憶がない。家事はいつも父の役目だ。
母は隙があれば研究に没頭していた。娘にとっては少し寂しくもあったが、好きなことに目を輝かせている母の姿は嫌いではなかった。

失礼します、と襖を開けて女中が次々と料理を運んで来る。
繊細な見た目と味わいに言葉を発するのも忘れて詩織はそれを味わった。



食事が終わると女将が玄関で待ち構えていた。その横には香雅も並んでいる。和服を着込み、髪を後ろに撫で付けた姿は随分と大人びて見えた。
その姿を捕えるやいなや、「おっ!」と嬉しそうに声を挙げて純は香雅に駆け寄った。

「何だよ胡鏡ぉ〜、めっちゃくちゃかっけえじゃんかよぉ〜。んで今日はありがとなあ〜」

純はにやにやして香雅の脇腹辺りを腕で軽くつつきながら怪しい口調で言った。
香雅は照れ臭そうに俯いて小さな声で「いや…」と笑った。

「本日は誠にありがとうございました!!あっ、あの、それで、渡すタイミングを逃してしまって、今で、申し訳ありません!!本当に、つまらないものですが……っ」

龍一が震えながら女将に羊羹の入った紙袋を差し出す。女将は「あら」と声を挙げて、しなやかな動きでそれを受け取った。

「本当に。気にしなくて良いのに」

「いえ、あのっ、いつも弟がお世話になっておりますし……」

「ふふ、お世話になってるのはこちらの方ですよ。ねっ、純ちゃん?」

純は香雅と話していてその実あまり龍一たちの話を聞いてなかったのだが、適当に「うん」と相槌を打った。龍一が苦虫を噛み潰したような顔で純を見る。

「あっ、そうそう薫ちゃん。最後のアイス、すんっげえ美味かった!」

龍一は今にも貧血を起こして倒れそうだった。
女将はそっと純に近付くと、

「あれね、実は純ちゃんたちの為に特別に増やしたのよ」

と小声で言った。

「そうなの!?ありがとう!!」

純が目をキラキラさせて満面の笑顔を向ける。女将はぐっと目と口を閉じて胸を抑えた。

「着物、すごいね」

ひょっこり顔を出した優が香雅に話し掛ける。香雅は驚いたような顔で優を見た。

「いつもこんなカッコしてるの?」

「いや…今日だけ……」

「ご、ごめんね胡鏡くん、あんまり気にしなくて良いから」

香雅が困惑しているようなので詩織が慌てて優の腕を引っ張る。

「…!他のお客さんの迷惑になるでしょうし、そろそろ失礼します!本当にごちそうさまでした」

我に返った龍一がやや早口に言う。「あらぁ、そうですか」と女将は少し残念そうだ。

「じゃあ、また。清水さんも。うちの子と仲良くしてやってくださいね」

女将に微笑みかけられ、詩織は咄嗟に「ありがとうございます!」と腰を折った。何がありがとうございますなんだろう、と内心赤面しているところに横から小声で「ありがとうございます?」と純が呟く。

詩織は俯き、龍一は赤べこのようになりながら料亭を後にする。純と優は能天気に手を振っていた。


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