いつものように揃って夕食を食べていると、不意に純が口を開いた。
「来週の金曜の夜、みんな空けといてくれよ。胡鏡が御馳走してくれるってさ」
藪から棒な発言に誰しもがすぐに理解できず、一瞬その場の空気がしんとする。
「お、お前いつそんな約束して来たんだよ…」
滑らせかけた箸を皿に置きながら龍一が言う。
「んー、今日?せっかく家族増えたんだから是非ってさ。やっと席空いたからって」
「う、胡鏡くんって何者なの…」
詩織がおずおずと聞くと、純は「ああ」となんでもないように答えた。
「あいつん家、飯屋なんだよ。けっこー人気でなかなか入れないんだぜ」
「へえ…」
店の手伝いをしている香雅の姿を思い描いた。
ビール瓶のたっぷり入ったケースを運んだり、注文を聞いたりしているのだろう。朝早くから夜遅くまで剣道もしてるのに大変だなあ、と詩織は思う。
「でも六人もお邪魔して大丈夫なのか…?」
「大丈夫だよ。ちゃんと部屋取ってあんだろ」
「いやそういう問題じゃなくてだな…」
心配そうな龍一をよそに、純は我が物顔でふるまう。
「俺は行きません」
その時、はっきりとした声が二人の間を貫いた。
「その日はもう予定を入れてしまっているので…すみません。よろしくお伝えください」
声の主、煉はぺこりと頭を下げた。「そっか…」と純も眉を下げる。
「土産を持って行かないといけないな」
龍一が深刻そうな顔で呟いた。
「胡鏡くんは何が好きなんだ?」
龍一に聞かれて純は困ったように首を傾げた。
「えー?何でも食うよ。適当に羊羮とかで良いんじゃねえの?」
「そうか…羊羮か……なるほど、羊羮か……」
ほとんど不真面目な次男の答えに生真面目な長男はうんうんと頷いて何度も繰り返した。
来たる金曜日。
龍一はスーツに身を固め、緊張した面持ちで道を歩いていた。その右手には、老舗和菓子家の紙袋が握られている。
「なんか、龍一くんのお見合いみたいだね」
後ろを歩く清水姉妹がひやかす。
龍一が綺麗な格好をしろとうるさいので、詩織も優も少し余所行きの格好をした。嵐は部活が長引いてしまったこともあり学生服のままだったが、龍一のクリーニング上がりホヤホヤのスーツ姿にはみんな面食らった。
「そうだよ固すぎ。弟の友達んちに飯食いに行くぐらいでビビり過ぎなんだよな。初めてでもなし、気楽に行こうぜー」
純も能天気に笑うと、龍一は首だけを素早く動かして純を睨みつけた。
「お前は何回も行ってるから感覚が麻痺してるんだろうけどなあ、普通は一般庶民がそうそう行ける所じゃないんだよっ!」
「…ん?」
その言葉に詩織は嫌な胸のざわめきを感じた。
「胡鏡くんのお店って、もしかして、凄いとこ…?」
「凄いも何も」
龍一は立ち止まって目の前にそびえ立つ立派な木造の門を指差した。
「セレブ御用達、一見さんお断りの高級料亭だぞ…」
「……冗談でしょ?」
「冗談でこんな格好して来るかよ」
詩織は一瞬意識が飛んで行きそうになった。
「ちょっと純、これのどこが"飯屋"なのよ!?ああもう、もっとちゃんとした格好すれば良かったー!」
怒鳴られて、純は不思議そうに詩織を見つめた。
「何でだよ、飯食うところなんだから飯屋だろ?それに格好なんてそんな気にしねえよ。顔見知りだし」
「なんでそんな短絡的なのよぅ…」
「そうだぞ。だいたいお前はいつも緊張感がなさ過ぎる」
「ねー、何が食べれるの?」
「優はちょっと黙ってて」
「優ちゃんだけじゃない。みんな静かにしてよ」
それぞれが思い思いに発言する中、それまで黙っていた嵐が声を挙げた。突然のことに驚いて全員がぴたりと動きを止める。
「格好とか、そんなことよりこんなお店の前で言い争ってることの方が恥ずかしいよ…」
「……」
紛うことなき正論。暫くの間静寂が流れた。
「……そうだな」
「…うん。ごめんね、入ろっか」
「ううん…僕こそごめん…」
ややばつの悪い顔をしながら五人は門をくぐった。
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