咲子の強引さに抵抗する間もなく、連れて来られたのは運動場だった。運動場の正面には、高い階段を挟んで小さな休憩室が設けられている。
「やほー!すずー!しおりん連れて来たどー!」
呼び掛けられて、休憩室のベンチに腰掛けていた眼鏡の女子生徒が顔を上げる。
「あ…清水さん……」
来てくれたんだ、と彼女は恥ずかしそうに俯いて小さな声で言った。
「えっと…瀬戸さん…?」
詩織は驚いて声を上げた。彼女の名前は瀬戸すず華。同じクラスで、詩織の後ろの席だが、あまり話したことはなかった。
地味で決して目立たないすず華が、クラスのムードメーカー的存在の咲子と一緒にいることが少し意外だった。
咲子はすず華との間に詩織を座らせ、持参したパンを口に運んだ。すず華も膝の上で弁当を広げ、いただきます、と小さく呟いた。
しばしの沈黙。
咲子やすず華が口を開く時を、詩織は少し警戒していた。また純のことについて質問責めにされるのではないかと思っていたからだ。
「良い所だろ?」
不意に、咲子が口にした。詩織が聞き返すと、咲子は笑顔を浮かべ「ここ」と天井を指差した。
「静かだし、雨風を防げる。昼飯には持って来いだ」
「…風はあんまりしのげないけどね」
横からすず華が独り言のようにツッコミを入れる。
「元々すずが見つけたんだけどなー」
「へえ、そうなんだ」
詩織がすず華に目を向けると、彼女は恥ずかしそうに萎縮してしまった。
「あ、ごめんなー。こいつ、人見知りだから」
咲子はそんなすず華の様子を見て豪快に笑う。
「わ、私、ここにいても大丈夫なのかな……」
「もちろんだよ!」
気を遣う詩織に応えたのは意外にもすず華の方だった。
「そうだぞしおりん。あたしたちは、あんたと話したくて連れてきたんだから」
咲子がのんびりとした口調で語る。どうして、と詩織が聞くと、咲子は涼しそうな顔で正面に広がるグラウンドを見た。
「どうして、ねえ…。要するに惚れたんだよね」
ぽかんとする詩織を挟んで、咲子はすず華に目を向けた。
「すずも、そうだろ?」
「ご、誤解を招く言い方はやめてよ…」
すず華は真っ赤になって慌てふためいた。かーわいーい、と咲子が意地悪く笑う。
「ちょ、ちょっと待って。それってどういう…」
つられて詩織まで顔が熱くなって来た。咲子はそんな二人をしばらく見比べて楽しんでから応えた。
「今日、女子たちに色々ツッコまれてさ、言い返してたじゃん。それまでただ流されるだけの奴かと思ってたんだけどさ、お、やるじゃんこいつ、って思ったんだ」
「わ、私も…後ろから見てて凄いなって思ったんだ…。私ならきっと、あんな風に言えないから……」
咲子に続けてすず華も遠慮がちに応えた。詩織はまた、顔が熱くなる。
「あ、あれはカッとなってつい…」
「んでも、本心はどっちなのさ」
咲子の言葉に、はっとなる。確かに感情的になって発した一言だったが、それは間違いなく詩織の本心だった。
「君はもう少し、我が儘になっても良いんだよ」
背中に添えられた手が温かくて、涙がこぼれそうになる。
「ありがとう、山下さん…」
「さっこ、でいいよ。あと、この子はすず。ウチらもしおりんって呼ぶし。なー?」
「う、うん」
詩織とすず華は同時に返事をして少し俯いた。それから目が合って、「よろしく」と言って微笑んだ。
「それよか早く飯食っちゃって。ここ、教室からちょっと遠いし体育の準備で先生らが早めに来ちゃうのが唯一の難点なのよねー」
そう言うと咲子はフルーツ牛乳を飲み干し、親指を立ててみせた。その様子がおかしくて詩織は吹き出す。
結局弁当は完食できなかったが、詩織は胸がいっぱいになった。
その日から咲子とすず華と詩織は気さくに話すようになった。
すず華は相変わらず口数は多くなかったが、咲子と一緒によく笑った。
ある日。詩織は担任に頼まれた提出物を届け、教室に戻ろうとしていた。
すると、偶然、先の階段を咲子が降りて行くのを見つけた。
「さ──」
「あ、さっこじゃん」
追いかけて声をかけるつもりが、階段を上がって来た別の女子生徒が咲子に気付いて話し掛けた。邪魔をしてはいけない気がして、詩織は反射的に影に隠れてしまう。
「どこ行ってたの?」
「購買。ボールペン忘れちゃって」
「えー、言ってくれれば貸したのにー」
「いやあ、どうせ切れかけてたから買わなきゃだしね」
「ふーん。そういえばさ…」
女子生徒は相槌を打つと一呼吸置いて、急に声をひそめた。
「さっこ最近、瀬戸さんや清水さんと仲良いよね」
突然自分の名前が出て、詩織はドキッとする。すぐ後ろに詩織がいることなんて知らない咲子はなに食わぬ様子で「んだ」と答えた。
「あの子ら地味だしさあ。特に清水さん。この前のことで、彩香ちゃん達にちょっと目つけられてるんだよ。一緒にいない方がいいよ」
詩織の心臓はバクバクと跳ね、冷や汗が噴き出した。
彩香は、以前詩織を質問責めにした女子グループの中心核だ。嫌がらせなどをされることはなかったが、時々冷たい視線を感じていた。
「ね、だからさ、またあたしらの所にいなよ」
話し相手の女子生徒は、どうやら以前まで咲子とよくつるんでいたらしい。
彼女の言葉に、それもそうだな、と冷静さを取り戻し始めた詩織は思う。咲子まで嫌われる必要はない。嫌われてほしくない。すず華もだ。寂しいけれど、私は一人でいよう──
「ありがと」
咲子は答えた。
「でもあの子らといると楽しいんだよね。今はあの子らといたい。誰にどう思われてるかなんて関係ないっすわ」
詩織は耳を疑った。ここから飛び出して「いいよ、そんなの」と言いたかった。でも嬉しかった。素直に受け入れたかった。
「でも…」
「何。ヤキモチ焼いてんのか?心配すんなって。みんな愛してんぜベイベー」
トントントン、と咲子が残りの階段を降りて行く足音がした。女子生徒が、ため息を吐く。
やがて彼女が上って来るのに気づいた詩織はそろそろと階段を上がり、適当に隠れた。
その後無事に教室に戻った詩織は、咲子の顔を見るなりにやけてしまい、ドン引きされるのだった。
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