放課後の校内はいつもより騒々しくなっていた。一年生のための部活見学が始まったのだ。
この時期ばかりは普段活動しているのか疑問に思われるような部活も、扉を解放して熱心に部活動に取り組むさまを見せつけている。
そんな様子を楽しみながら、帰宅部の純は昇降口へと向かった。一年生の下駄箱前には金髪の青年がいた。
「よっ、煉」
純が小走りに近付くと彼はくるりと振り向いた。
「帰るのか?ちょっと待って、靴履き変えて来る」
「ええ。向こうで待ってますね」
陽気に身を翻した純の後ろ姿を見送りながら煉は言った。先に足を進めようとすると、校舎の奥から見慣れた小さな影がこちらに向かっているのが見えた。純ではない。もう一人の、小さな家族。
「おい、何してる?」
突然呼び止められたその脚は、驚いたように、はたと止まった。短いプリーツスカートが少し揺れた。
「……何って、帰るんだけど…」
大きな瞳が疑念の色を浮かべながら煉を見上げた。また何か文句を言う気か、とでも言いたげである。
「部活見学は?」
煉が言うと彼女は短い息を吐いた。
「行かない。部活、入らないから」
「はあ?」
途端に煉の顔が険しくなる。
「お前みたいなやつこそ部活に入って少しでも社会勉強するべきなんだ。いいから何か見て来い」
「自分だって帰ろうとしてるくせに…」
「俺はいいんだよ」
小さな悪態に対して煉はひそかに片眉を吊り上げた。もちろん彼女はすかさず反論する。
「なんでー?ずるい」
「うるさいな。俺は忙しいんだ。いいから行くぞ」
煉は彼女の右腕を掴んだ。悲鳴を挙げながら必死に抵抗するのを強引に引っ張っていると、煉が待ち合わせの場にいないのを不審がっていた純が何事かと駆け寄って来た。
「何やってんの煉…と、優か」
純は困ったような呆れたような顔で煉と優を見比べた。純をすっかり放置してしまっていたことに煉は肩を落とす。
その時、煉の手からするりと優の腕が滑り出した。優はこれ幸いとばかりに駆け出した。
転んだ。
「本当にすみません…。こいつを部活見学に連れて行こうと思いまして…」
「や、俺はいいけど…」
眉を下げる煉の傍らを見ると、あっさり捕獲された優が腕をちぎれんばかりに振り回したり、左手で煉の手を叩いたりしている。握力を一気に強めると「痛い!」と叫んだきり少しおとなしくなったようだ。
「…端から見ると凄い危険な香りがするんだけど」
「そうですか。気をつけます」
困ったように笑いながらも腕はしっかり握ったままでいる所からしてどうやら離す気はないらしい。
「では、行ってきます」
それで気をつけているつもりなのか、荷車でも引くように煉は優の腕を引いてずんずんと校舎の奥に戻って行った。
「泣かすなよー!」
その背中に純が声をかけると、煉は首だけこちらに向けて会釈をして行った。
優はむくれて泣きそうな顔をしていた。
「久しぶりに一緒に帰れると思ったのに」
なおも優の手を引きながら煉はぶつぶつと小言を言う。
「じゃあ帰ればいいじゃん。私一人で見に行くから」
口を尖らせる優を煉は鋭い目付きで制圧する。
「嘘つけ。適当に時間つぶすつもりだろ」
図星のようで、優は悔しそうに声を飲んだ。そしてはっとしたように捕まれた右腕を軽く振った。
「そろそろ離してよ、もう逃げないから」
「逃げたら後でどうなるか分かってるんだろうな?」
「分かってるから離してはやく」
優は早口に訴えかけた。
校舎の奥に入ると部活見学中の一年生が目を輝かせながら各々廊下を往来している。ほとんど引きずられる形でその真ん中を通るなんて、いつぞやのお姫様だっこよりはいくらかマシだが勘弁してほしい。
煉も察したのか案外あっさりと手を離した。だからといって逃げる気力も優にはなかった。
「で、どこに行こうか──まずは無難に美術部とかか?」
いかにも面倒臭い、といった感じで煉は優に目をやる。優は曇り一つない眼できっぱりと断った。
「やだ。絵、描けないもん」
それを聞いて煉の眉間に皺が入る。
「じゃあ、吹奏楽部」
「楽器なんてできないよ…」
「裁縫部」
「無理。全然無理」
「…演劇部」
「やーーだあーーー」
「黙れ!」
急に煉が大きな声を出したので優は跳ね上がった。
「できることを磨くだけじゃなくて、できないことに挑戦するのも部活なんだよ!」
優の腕を再び取ろうと、手を宙に舞わせた煉であったが、そうだった、と思い直してやめた。
「こうなりゃ文化部片っ端から見て行くぞ。ついて来い」
言われて優はグウの音も出ずに暫く立ち尽くしていたが、やがて傍若無人な煉の背中を小走りに追いかけた。
まずは、一番近いギター部を見学した。
「初心者大歓迎」などとは言っていたものの、限度を越えた優の不器用さに部員達は苦笑する。
途中でひどく肥えた初老の男性教諭が部室に訪れ、穏和な動きで部室の隅に設置された電子ピアノの蓋を開けた。それに伴い部員達はギターを構える。新入生へのデモンストレーションの始まりらしい。
演奏されたのは、一昔前に世間を騒がせた海外バンドの代表曲だった。もはやギターの定番曲といったところか。
このバンドのファンであろう見学者達は聴き入っている。優も特に何も考えていない様子で口を開けて聞いている。
特別うまいというわけではなく、並の、ただ少しギターをかじっただけの高校生が弾いていますよという印象の演奏だった。そんな中で顧問の演奏するピアノがあまりにズバ抜けてしまっている。確かに芯の通った美しい旋律だが、周りに合わせようとしない独りよがりのピアノだった。
デモンストレーションが終わり、あちこちで拍手が起こる。部員はやり切ったような顔で、顧問は満足気に口許に自尊の笑みを浮かべ、部室を後にする。
──こんな所では何も成長しない。
「俺もちょっと弾いてみたいです」
煉は無邪気を装った微笑みでギターを手にし、鬱憤を晴らすように同じ曲を、チョーキングやピッキングを適宜交えながら弾いてやった。
ぽかんとする部員に「いやあ、難しいですね。僕等には向いてないようです」などと白々しく言ってのけると優の肩を軽く叩いて部屋を出た。優は間もなく煉について出た。
「ねえ、ギター部…」
「駄目だ。やめとけ」
「なんでー?」
優の抗議を軽く受け流しながら煉は次の部室へと向かった。
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