▼ 2024/08/04(日) 22:50 #夢日記
なんだか甘いものが食べたくなって、前々から気になっていたカフェに足を運んだ。
そこは海に囲まれた小さな島にぽつんと浮かんでいる。木造建ての真っ白な肌に所々水色が差した美しい外装は教会を思わせる。
古いガラス戸を開ける。そこそこ名のしれた店のはずだが、幸運にも店内は空いていた。高い天井。木目を基調としたテーブル席がずらりと並ぶ。奥にもまだまだ空間がありそうだ。
「いらっしゃいませ」
奥から女性店員が顔を出す。赤茶色の毛につぶらな瞳。立派に人のかたちはしているが、化けた雀だと直感した。
雀の女は私を見るやいなや「げぇ」という顔をし、それ以上近付こうともせずに一番手前の席を指さして「そちらにどうぞ」とぶっきらぼうに言った。
仕方がないので指定された席に着き、テーブルに広げられていたメニューを見る。クレープ、ケーキ、和菓子…。品数は膨大だ。なかなか決められそうにない。
吟味していると、やがて店の奥から熊のような身体付きの男性がのそのそとやって来て「今日は良い天気だなぁ」と独りごちながら外を出た。雑誌か何かで見たことがある。この店のオーナーでありシェフだ。
その後ろ姿を見送ると、なるほど窓には一面青い海と空とが広がっている。
そのあまりの美しさに誘われて席を立つ。青いキャンバスに白い雲、緑の島々、遠くに見える点の船。スマートフォンのカメラを構えていくつか写真を撮った。
と、次第に白い結晶がぱらぱらと画面に映り込む。こんな真夏に雪なんて、と思っているとそれはだんだん勢いを増して空を割く。
「霰だ。危ないからお入りください」
シェフは穏やかに言うと手招きする。やや名残惜しさを感じながらも席に戻った。
店内はいつの間にか賑わっていた。雀の店員が各テーブルをせわしなく行き来する。
再びメニューに目を落とすと、どこからともなくくすくすと嘲笑声がする。
「ねえ、見てくださいあの客…」
顔を上げると雀の女が注文を取りながら、或いは料理を提供しながら、客たちに耳打ちする。
言われた客はみなこちらを見、嫌な笑みを浮かべた。
「何ですか、あの格好は」
「全く、あれでこの店に来るなんて気がしれないね」
窓に映る自分を見る。金魚のキャラクターが胸に刺繍されたボーダーのTシャツ。ボトムは深い青のパンツ、それにサンダル。カジュアルではあるがそこまで馬鹿にされる言われはないはずだ。
くすくす、くすくす。
淀んだ空気に高い天井が軋む。
しばらくメニューを片手にやり過ごしていたが、とうとう我慢の限界が来た。
「すみませんが、」
なるだけ大きな声を出した。
ぎくりと、雀の女が肩を震わす。
「やっぱり結構です。帰ります」
そこで私は未だお冷もおしぼりも配られていないことに気が付いた。無性に悲しくなって。悔しくなって。
最後に、店員に向かってずんずんと歩みを進めた。女は小さな雀の姿になってあざとく首を傾げた。
「どうしてそこまで言われないといこないんですか。ドレスコードでもあるんですか。店の雰囲気を壊して申し訳ないですがね、それなら最初にそうと言って断ればよかったじゃないですか」
私は早口にまくし立てた。
客席は静まり返った。雀は、聞こえない振りをしているのか微動だにしない。
怒りで震える拳を押さえ付けながら店を出た。霰はもう止んでいた。目の間には美しい青が広がるばかり。
店を出たところで海に囲まれているので帰路はない。ぼうと立ち尽くしていると、一艘の貨物船が近付いて来て、船長帽を被ったおじさんがひょっこりと顔を出した。
「よかったら乗せてってやろうか」
私はかぶりを振って「お母さんが迎えに来てくれるからいい」と言った。おじさんは「そうか」と言うと汽笛を鳴らして船を進めた。
天に向かって指笛を吹く。たちまち黒い影がこちらに向かって飛んでくる。
五羽の鷹だ。ひときわ大きなのはお母さん。あとの四羽は姉さんたちとお供たちが二羽ずつだ。
五羽の鷹は華麗に着地すると、人のかたちに姿を変えた。
「桃ちゃん久しぶり〜!」
ゆかり姉さんがとたとたと駆け寄って私にハグをした。
「何食べたの〜?」
おっとり聞くのはみどり姉さん。
私は「何も」と首を振って、先程店で受けた仕打ちを吐露する。改めて口にすると、やり切れない想いに自然と涙が出た。委細構わず子どものように、ゆかり姉さんの胸でわあわあ泣いた。
「何それ、許せない!」
ゆかり姉さんはキッと店を睨み付け、「文句言ってきてあげる!」とずんずん歩を進めた。私は嬉しくなって俄然そのたくましい背中を応援した。みどり姉さんは「大丈夫かしら」とやや心配げである。
「いざとなったらこれをお使いなさいな」
母さんは二人のお供をくちゃりと揉み込んで小さな箱にした。箱の中は手榴弾型の煙幕弾がいくつか詰め込まれていて、泣きっ面の犬と猿の絵が描いてある。
そうこうしている間にゆかり姉さんは店の中に入ってしまった。店の外から固唾を呑んで待っていると、暫くしてゆかり姉さんが飛び出して来る。面食らったのは姉さんが大号泣していたからだ。
「店長ずごぐ良い人だっだぁ〜!」
ゆかり姉さんは涙と鼻水で顔をぐっちゃぐっちゃにして叫ぶ。どうやら雀の女に対峙する前にシェフに捕まったらしい。
確かにシェフは良い人だけど。シェフ以外に問題があるのだ、と言いかけたところにカランコロンと店のドアが開いた。シェフが顔を出す。
「皆さん!この度はご不快な思いをさせて誠に申し訳ありません!!つきましては……」
シェフが熊のような身体を揺らしながらこちらに猛進して来る。恐ろしいのと申し訳ないのとで私たちは悲鳴を上げながら一目散に逃げる。助走に取れる土地が少なく、焦ってうまく飛べない。すぐ側までシェフの手が伸びて、島の端の端まで来て、ようやく皆の足が宙に浮いた。母の背から地上を見下ろす。
人影が、島が、どんどん小さくなって行く。どこまでも広がる海を引き離して、私たちは空の青に溶け込んだ。