※帝光時代捏造



物心ついた頃には既に、勝利は呼吸と等しい存在だった。あって当然、勝利は必然。敗北はそのまま死を意味していた。
だから、俺は勝ち続けなければならなかった。負けるわけにはいかなかった。だって俺は死にたくない。
この単純な理由の為に、俺は負け方を知らないまま、ここまで来てしまった。



「王手」
「…また、俺の負けなのだよ」

何度盤上を見直しても、真太郎の王将が生き残る道はなかった。完全に俺の勝ちだ。50戦50勝。俺は真太郎に負けたことがなかった。これは別に真太郎に限ったことではなかったし、また将棋に限ったことでもなかった。俺の勝利は必然だった。

「…まったく、なんとかしてお前の口から参りましたと言わせたいものなのだよ」
「はは、それは無理だよ真太郎」
俺は負けないからな、

大層な自信なのだよ、と真太郎は鼻で笑った。でもこれが事実だよ。だって実際、お前は俺に勝てたことがないだろう。

「今に見ていろ」
眼鏡の奥の翡翠とばちり、目が合った。射貫くような視線に、ぞわりと背筋が粟立つ。


「ねえ、真太郎」
ざりざりと駒を弄びながら声を掛ける。なんだ、と短い返事。

「敗北は、どんな気持ちだ」
真太郎の眉がぴくりと動く。嫌味か、と普段より低い声がした。
いや、単純な興味だよ。俺にはわからないから、と理由を述べれば、やっぱり嫌味なのだよ、と顔を顰められた。


「…まあ、少なくとも、気持ちのいいものではないな」
真太郎は将棋盤を見つめたまま動かない。負けた原因の手を探していたのだろう。やがてパチン、パチンと駒の配置を変えはじめた。

「…それは、死んでしまう程?」
くるくると勝敗の分岐点まで戻っていく盤上の駒を眺めながら重ねて問う。真太郎はそうだな、といって手を止めた。


「死ぬ程、或いは、死んでしまいたいと、思うことはあるぞ」
パチン、
再び駒が動きはじめる。先程とは違う手で真太郎側の兵が息を吹き返し、こちらへと攻め込んできていた。俺はそうか、とだけ返事をした。だがな、と再び真太郎が声を発する。

「それで本当に死ぬわけじゃない」

パチン、
真太郎の手が止まる。将棋盤を見ていたはずの瞳が、再びこちらを見つめていた。沈黙。自然と呼吸が止まる。


「敗北確かに辛い。
だがな、それが新たな勝利への力となるのだよ」

「…俺にはわからないよ、」


言えば真太郎は目を伏せ、はあ、と短く溜息をついた。それから安心しろ、と言いつつ立ち上がる。俺は座ったまま、真太郎を見上げた。


「俺がお前に、敗北を教えてやる」
だから、首を洗って待っているのだよ、


盤上を見れば、形勢はすっかり逆転していた。どこをどうみても、俺の王将の生き残る道はない。

王手なのだよ、と呟く真太郎の背中に、愉しみにしているよ、と笑いかけた。


/きっと私を殺しに来てね