#05「揺れ」

まだ重くて怠い身体をゆっくりと起こした。
部屋は薄暗く、サイドテーブルのランプがぼんやりと明るかった。
直ぐそばで腰をかけている幸村が「もうすぐ20時だよ」と優しく声をかける。身体とシーツが直に触れている感触が、数時間前のことを思い出させる。
このベッドの上で、幸村と肌を重ねた感触が至る所に残っていて、また目も合わせられないぐらい恥ずかしくなった。

「身体は大丈夫?着替えられる?」

簡単に畳まれた制服が枕元にあり、栞は少し急いで制服に袖を通し身なりを整えた。携帯を見ると、いつもより少し帰りが遅い事を心配して、母からメッセージが入っていた。幸村の家で勉強していた事を伝えると、鞄を持って帰る準備をする。

「栞、今日は全然勉強できなくてごめんね」
「ううん・・・。大丈夫、何とかなるよ!」

いつもなら幸村は自分の家の門のところで見送ってくれるのに、今日は栞の自宅玄関前まで付いてきた。

「近いのに送ってくれてありがとう」
「大切な彼女だからね」

親に気づかれてしまうんじゃないかと思う玄関で、幸村に抱きしめられ軽いキスをする。まだテスト週間というのにテニス部は明日から練習するとのことで、2人でゆっくり会うのは暫くお預けになりそうだ。
その分、大会が始まったら応援に行く約束をした。

玄関を開けてリビングに入ると、母親が「さっき精市くん来てたでしょ」と聞かれた。どうやら話し声が聞こえていたらしく「青春ねー」と言う。
栞は顔を赤くし「違うよ!」と反抗するが、母親は笑ってキッチンの方へ行ってしまう。付き合っているかどうかハッキリと伝えた事はないが、もう何となく分かっている。
栞は少しムスッとした顔で食事をとり、いつも食後に出される飲み物に違和感を感じた。

「いつもの紅茶じゃないの?」
「たまには良いでしょ?この前お使いに行ってくれた時のお茶よ。美味しいわよ」

栞にはいつも紅茶が出されていた。それが今日は、真田に連れて行ってもらった店の緑茶。特に嫌いな訳では無いが、習慣である紅茶の方が飲みたかった。
淹れて貰ったカップには、見慣れない透明感のある黄緑色が一面に広がっている。そして、爽やかで落ち着く香りがした。

真田先輩は、いつもお茶を飲むのかな。

そんなことを考えながら口を付ける。
家柄的にも和風なイメージしかなく、昔から使っているお茶屋さんだということを思い出していくと、あの日、一瞬手を握られたことを思い出して胸がドキドキした。
まだ時間の経っていない、あの一瞬の出来事。
幸村と付き合っていながら少し動揺している自分が信じがたく、残ったお茶を一気に飲み干した。そのまま自分の部屋に入り、直ぐに手にしたのは携帯だ。

「もしもし、精市?」
「どうしたの?忘れ物でもした?」
「・・・何だか声聞きたくなっちゃって」
「なにそれ。可愛い」

電話越しにクスクスと笑ってくれる声を聞いて安心する。
確かに自分の気持ちは幸村に向いていると。

「明日から練習始まるのに、ごめんね。本当に声が聞きたくなっただけなの」
「うん、大丈夫」
「テスト勉強できなかった分、これから頑張るね。おやすみ精市・・好きよ」
「俺も好きだよ。おやすみ」



次の日から予定通りテニス部は練習再開。その翌日にはテストが始まった。
幸村とは時々会い寂しさを紛らわし勉強に励むようにしていた分、今回のテストは良い結果を得られそうだった。



「弦一郎、いつもより球筋が悪いぞ。安定していない」
「すまない」
「・・・彼女のことか?」

否定するようにギロッと柳を見るが「周りに感づかれるぞ」と小さな声で言われた。
目に見えない惑わされる感覚が何なのか、ある程度分かっている。この数日間、真田の頭の中で栞の笑顔と声がリフレインされ、それは初めての恋だという事を認めざるおえなかった。

「顔を洗ってくる」

柳にそう伝えコートを後にする。
相手は幸村の彼女であることに、最初の恋が叶うはずのものではないと感じた。今の自分に恋愛はど欲を出すものではないと、蛇口の捻り頭から水を被る。生温い水が少しずつ冷んやりしていくのを暫く肌で感じ、勢いよく頭を上げた。

「きゃっ!」
「すまない・・」
「いえ。あ、真田先輩」

僅かだが、勢いよく飛んだ水しぶきが丁度通りがかかった栞にかかった。ほんの少し濡れただけで大したことはないと笑っている。

「今帰りなのか」
「・・・そうなんです。図書館に寄った帰りで」

目が合うと何でもないのに意識してしまう真田。3分ほどの他愛のない会話が幸せに感じ、もっと話しをして知りたいという好奇心が湧く。
恋というのはこんなにも簡単に意思が変わってしまうものなのか。それとも、己の意思が弱すぎるのか。
栞を見送り、濡れた髪をタオルで拭き直しながらコートへ戻る。道中、思わず短いため息が出た。まだ不器用すぎる自分と向き合うことができず、練習に支障が出ている事は副部長として許されることでは無い。

「副部長ーー!遅いじゃないっすか、次俺と打ち合いっすよ」
「あぁ、直ぐ準備する」
「先にコート入ってますよー」

ブンブンとラケットを振り回す切原を見て、帽子を被り直しラケットを持つ。せめてコートの中では余計なことは持ち込まず、練習に専念するようにと決心をした真田だった。




その日、栞は日直だった。
毎時間黒板を消し、日誌を書く。この日はおまけに先生からの頼みごとで、クラスのプリントを回収し職員室まで持っていくという余計な仕事付き。
放課後の教室で短い溜息を吐き、1人で日誌を黙々と書くが続かない。

少しでも時間があると、幸村と付き合っている自分と、真田のことを考えてしまう。今日一日、授業中は殆どそうだった。

初めて幸村とした日から、何度か身体を重ねる日があった。その度に、幸村の愛を感じるし離れたくもないと思う。だけど、真田のことを想うと胸騒ぎがする事実もあり、それを否定しようとすると胸が締め付けられる様な感じがしていた。
それに、ここ最近栞は幸村と付き合っている身として、真田と廊下ですれ違うことすら嫌気が差していた。

そんな事を考えていると勢いよく教室のドアが開いた。肩を震わせドアの方を見ると、見回りをしている先生。「早く日誌を書いて帰りなさい」と言い残し、また見回りに戻っていった。

栞は再びペンを握った。適当に空白の欄を埋めた。鞄と日誌、そしてプリントの束を持って廊下を出る。
常に頭の中は2人のこと。今日学校で何が起こったなんて何も覚えていない。時間が経てば経つほど、それぞれの想いが育っているような気がして、変な気持ちだ。

「わっ!」


ーバサバサッ


考え事をしていたせいで栞はプリントの束を落としてしまった。ひっそりとした廊下で1人、散らばったプリントを回収をしていると後ろから足音がする。
まだ廊下の幅一杯に広がったプリントを踏まれるのではないかと、少し焦っていると頭上から「大丈夫か?」と声をかけられた。
振り返りながら上の方を見ると、知っている顔があった。

「柳先輩」
「久しぶりだな。手伝う」
「すみません・・・」
「考え事をしていたいのか?」
「え、何でわかるんですか?」
「俺が後ろを歩いていたこと、気づいていたか?」

栞が廊下を歩いている途中から、たまたま柳が後ろからついてくる形になってしまったと聞かされる。とぼとぼと歩いている様子から、栞が考え事をしていると予測したそう。

「全然気がつかなかったです。流石柳先輩!」

柳のデータと鋭い観察力はバカにできないと幸村に教えてもらっていた栞は、変に悟られないよう笑って答えた。普段から接点は無いが、幸村達と同じ部員。何もない保証はない。
1枚1枚拾ってはゴミが付いていないか、丁寧に確認をしながらプリントを拾う柳。廊下には2人がプリントを拾う音しか聞こえない。


「弦一郎のことか」


栞の瞳が揺れたことを、柳は見逃さなかった。




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