俺はコートから少し離れた並木道にいた。
木の根元に座り、優しく吹く風を感じる。
なんとなく寂しそうな風。包み込むような、微かな風を。
ふと、リナリアのあの怯えた顔が思いうかぶ。
そして、寂しそうな、悲しげな顔も。
違う。そんな顔をさせるためにここに連れてきたわけじゃないんだ。
手で顔を押さえ、深く息を吐いた。
自分が情けなくて堪らない。
俺は、いつからこんなに感情に流されやすくなったのだろう。
「…リナリア。」
きっと、俺のことは嫌いになっただろうね。
自嘲気味に呟き、俺はあの華のような笑顔に想いを馳せた。
あの笑顔はまた見れるだろうか。
そんなことを、ぼんやりと考えていた。
いや。きっと、無理だろう。
絶望的に、そう感じる。
そこで、一瞬自分が信じられなかった。絶望的に感じた自分が。
どうしてこんなにも、リナリアの笑顔が見れないだけで悲しく感じるのだろうか。
そこまで考えたけれど、その先は躊躇った。
答えを出してしまえば、もう戻れない気がした。
今まで溜めてきたもの全てが、溢れだしてしまう気がした。
リナリアを初めて見たときに感じた感情。リナリアを知っていくにつれて増えていった感情全てが。
もう、どうしようもない。
今までも、何度もそれは感じていた。
どうしようもないんだ。潔く、認めてしまえ。
そう思った瞬間、俺の中で無理に閉じていた感情が、溢れだした。
今までの記憶が、まるでフラッシュバックをしているように甦る。
リナリアの吸い込まれてしまいそうな綺麗な淡いブルーの瞳。
ぷくっと膨らんだ、魅力的な桜色の唇。
柔らかい、女性独特のラインをした身体。
ふわりとした、甘い香りのする髪。
ころころと変わる表情。可愛らしい動作。
ピクリと動く耳。気まぐれに、ゆらりと揺れる尾。
大輪が咲き誇るような、あの笑顔。
そして、高く澄んだ声。形のいい唇をゆっくりと動かし、リナリアは俺を呼ぶ。
"せーいち"
「…好き、だ。」
好きだ。リナリアが。
俺は、リナリアが好きだ。
たとえ元は猫であっても。いつも感じていたじゃないか。
何度も、心の中で繰り返した。
まるで今まで認めていなかった分を取り戻すかのように。
一度認めてしまえば後は簡単で、俺の感情全てを許すことができた。
胸の高なり。リナリアが関わる相手への嫉妬。
そして、独占欲。
簡単じゃないか。認めることなんて。
無意識に身体に入っていた力がふっと消えた。
俺は今まで、なぜ認めようとしなかったのだろう。
そう思うと、今までの苦労が少し馬鹿らしく思えてきた。
「ふふ…、ははっ!」
堪らず、俺は笑い声を上げた。
こんなに、簡単なことだったのに。
ひとしきり笑い、俺はゆっくりと瞳を閉じた。
先程は寂しさを帯びているように感じた風が、今は清々しく感じる。
そして瞳を開け、おもむろに立ち上がった。
もうあれから何分経ったのだろうか。
大体二十分か三十分ほどだろうと予想する。
ベンチへ戻ろう。あの心地いい、リナリアの隣に。
ベンチへの道を、俺はしっかりと踏みしめ、歩き出した。
まだ試合をしているようで、テニスコートに近づくにつれてあの軽快な音が聞こえてきた。
その音に誘われるように、俺の心も浮き立っていく。
こんなにすっきりとした、清々しい気持ちは初めてかもしれない。
そう思いながら、俺は少し足のスピードを速めた。
やがて、テニスコートにつく。
試合はやはり、俺達立海側が勝っているようだ。遠目からでも、すぐにわかった。
テニスコートからベンチに視線を移した。
リナリアは、どうしているだろうか。
「…、?」
しかし、ベンチに走らせた目はリナリアを見つけることができなかった。
それに、なんとなくベンチにいるメンバー達は焦っているように見えた。
真っ赤な、燃えるような赤い髪が目に入る。
丸井がいるのに、なぜリナリアの姿が見えないのだろう。
そう思い、俺はベンチまでの道を急いだ。
「みんな、どうしたんだい?」
「ッあ…ゆ、幸村君…!」
俺が声をかけると、皆は身体をビクリと跳ねさせた。
そして、青い顔でこちらを振り返る。
何かが起きた、ということは一瞬でわかった。
そしてそれが、リナリアに関係しているということも。
俺は声を低め、しっかりした口調で聞いた。
「丸井。リナリアは、どこだい。」
その瞬間、丸井は青い顔を更に青くした。
震えている唇が紡いだのは、同じくらい震えた細い声。
それを聞いた瞬間、俺は目を見張り、自分の耳を疑った。
「ご、ごめん…幸村君。
…ッ、リナリアが…いなくなった…。」
君を傷つけた。
―俺の気持ちは、空回りしていた―
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