「今日は、なんだか調子がいいッスね。」



コート横に設置されたベンチに腰かけながら、赤也が笑った。

今コートに入って試合をしているのは仁王と柳生。ダブルスだ。

確かに、二人の調子はいつもと比べると上々だ。

先程のウォーミングアップと同じように、軽々とコート内を駆けている。

息も上げずに走り、何度もスマッシュを決めていた。

そして、また何度目かわからないハイタッチの音が高々と響いた。



「にゃ、すごいっ!」

「へへっ!だろ。」



リナリアの驚きの声に、赤也が得意そうに頷いた。

リナリアは瞳を輝かせて、興奮気味に声を上げている。

まだ繋がれている手はリナリアにより固く握られていた。

楽しそうなリナリアを見ながら、ふと思う。

帽子の中に入れられた耳。スカートの中に隠れている尾。

今のリナリアは本当に俺達と同じ"人間"のようで、不思議な感覚だった。

ずっとこのままだったら、…。

そこまで考えて、やめた。

リナリアの姿がどうであれ、リナリアはリナリアだ。

無意識にリナリアを見ていた目を、空へと移した。

リナリアの瞳のように、淡く綺麗で、キラキラしているブルーの空。

所々にある真っ白な雲だって、空の美しさを引き立たせている。

少しだけまどろむように瞳を閉じると、軽快なテニスボールを打ち合う音がよく聞こえた。



「精市。」



静かな声で名前を呼ばれ、俺はゆっくり瞳を開けた。

声の聞こえてきた方に顔を向ける。

蓮二は穏やかな様子で、ノートに何か書き込んでいた。

今日のデータをつけているのだろう。そう思って、俺は口を開いた。



「どうしたんだい?」

「今日、仁王と柳生が…いや、このメンバー全員の調子がいいのは、なぜだと思う。」

「あぁ…。」



曖昧な声を出して、俺は考え出した。

けれど、それは特に考えるまでもない。

メンバーの一人だけが調子がいいのなら話は別だ。

それが全員となっている。

となると、何か"特別"なことがあるということだ。

そのことは、おそらく俺が一番わかっているだろう。

隣で、寄ってきた赤也と丸井と一緒に試合を応援しているリナリア。

視線を移しながら、俺は微笑んだ。



「リナリアが、いるからだろうね。」

「あぁ。そうだろうな。」



繋いでいる手に、優しく力を入れた。

そうすれば試合に夢中になっていたリナリアはピクリと反応する。

大きな、ぱちっとした瞳をこちらに向けて、リナリアは首を傾げた。



「なぁに?」

「なんでもないよ。」

「あぁ、気にすることはない。
仁王と柳生を応援してやれ。」



蓮二がそう言うと、リナリアは少し考えたように俺を見た。

俺はその視線に応えるように微笑む。

そうすれば、リナリアは笑顔になりながら赤也と丸井と応援に戻った。

その様子を蓮二と顔を見合わせ、微笑んでいた。

それから、コートに入っている仁王と柳生に視線を移す。

対してコートでラケットを握っているのは、氷帝の宍戸と二年の鳳だ。

その二人は悔しそうに顔を歪め、息を乱していた。

これなら、もう楽に勝てるだろう。いつも以上に。

点数板を見てみれば、その差は歴然の5ー0。

軽く息を吐いて俺は反対のベンチに視線を走らせた。

氷帝のレギュラーメンバーは皆、不満気な空気を漂わせている。

その中に、こちらを…いや、リナリアを見ながら話している人物がいた。

跡部と、忍足だ。二人は目配せしながらリナリアを見つめていた。

しかも、リナリアを見ているのがその二人だけでないということに気づく。

向日、二年の日吉。しかもコートに入っている宍戸と鳳までもが気にしているような仕草を見せていた。

優越感と、ほんの少しの嫉妬のような感情。そして焦燥感。

それらが俺の中にあらわれた。リナリアが、注目を集めていることへの。

周りの視線に気づくのと同時に、連れてこなければよかったと考えてしまう。

連れてこなければ、リナリアの存在を知っているのは"俺達"だけだった。

この醜い感情は…あぁ、そうだ。独占欲だ。

そんな感情が俺にもあったのかと苦笑した。

悔しいような、無性に苛つく感情。胃がムカムカと変に動いていた。

思わず身体がこわばる。リナリアと繋いでいる手にも無意識に力が込められていた。



「っ、」



リナリアが驚いたように身体を跳ねさせた。

怒られた子猫のように、ビクビクと俺の様子をうかがう。

先程までの楽しそうな雰囲気は一瞬で静まってしまった。

それでも、俺の気持ちはおさまらない。

自分の行動への苛立ちが、周りを見えなくさせていた。

その苛立ちはベンチ内のメンバーにも伝わったようで、皆は青い顔でこちらを見ていた。



「お、おい…幸村。」



弦一郎の戸惑ったような声が聞こえる。

俺は、自分の浅はかさに嘲笑すらしていた。

この気持ちを。このどうしようもない苛立ちを、一体どこにぶつけたらいいのだろう。



「せ…せ、いち…?」



まただ。また、聞いてしまった。

リナリアの怯えたような声。震えた、か細く消えてしまいそうな声。

聞いた瞬間、俺ははっと我に返っていた。

思わずビクリと身体が跳ね上がる。

俺は今、何をしていた…?

どうしてリナリアはこんなにも怯えているのだろう。

そう思って、初めて気づく。無意識に力が込められていた自分の手に。

俺か。俺がリナリアを怯えさせていたのか。

反射的に手を離した。

周りが見えなくなっていた自分が、情けない。

ベンチの静まりかえった空気が、痛いほど俺を突き刺してきた。



「ご、ごめん…リナリア。
ごめん、すまない…。」

「…せーいち。」



無意識に俺は何度も呟いていた。

リナリアの瞳にはまだ怯えている色がうかんでいた。

あぁ…仕方がない。そう思って、俺は顔を俯かせる。

仕方がない。仕方がないんだ。

リナリアが、俺に怯えてしまっても。

逃げるように立ち上がり、俺はベンチから離れようとした。

その時、ちょうど試合が終わったことを告げる声が大きく響く。

試合を終えた仁王と柳生は、運動によって流れる汗を拭きながら、こちらに向かってきていた。

点数板を見てみると、6ー0。

一ゲームも取らせなかったようだ。

俺の足は自然とそちらに向かっていて、リナリアには背を向けていた。

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