それからは、試合を始めるにあたって腕を慣らした。
氷帝の数あるテニスコートを使い、軽くラリーを続け、打ち合う。
レギュラーのメンバーはなかなか好調のようで、軽々とコート内を駆けていた。
俺とリナリアはテニスコートの横にあるベンチに腰かけていた。
俺の隣に座っているリナリアは、左右を行き来するテニスボールを目で追っていた。
その瞳は新しい玩具を見つけた子供のように無邪気で、キラキラと輝いていた。
思わず口元がゆるみ、薄く笑い声がこぼれてしまう。
リナリアの素直な反応は、いつ見ても心が温まる。
隣で何度も小さく感嘆の声を声を上げているリナリアに顔を向け、微笑んだ。
「楽しいかい?」
「にゃ!うんっ。」
「ふふっ、それならよかった。」
リナリアが笑顔でいてくれるのなら、連れてきた甲斐というものがある。
今のところ特に問題はない。リナリアの耳も尾も隠れている。
これなら、今日は大丈夫だろう。
安心しながら、俺はすぐ見える時計に目を移した。
あぁ、もう時間だ。
ウォーミングアップを始めて十五分になる。
俺はゆっくりと立ち上がって、二度手を鳴らした。
パンパン、と高く乾いた音が鳴り響く。
そうすれば、ラリーをしていたメンバーはすぐにラケットを振るのを止めた。
楽しそうに見ていたリナリアは少し残念そうに立ち上がりながら俺の後を追ってきた。
「それじゃあ、水分補給をして。
少し休憩したら、始めよう。」
「へへっ、やっとッスね!」
赤也は嬉しそうに声を上げ、リナリアは首を傾げていた。
これから何をするの?そう言いたそうな表情だ。
おそらく他のメンバーにもその疑問が伝わったのだろう。
柳生がゆっくりとリナリアに近づいた。
「これから、練習試合があるんですよ。」
「れんしゅー、じあい…?」
またリナリアはきょとんとした表情をした。
何度も口にしていた言葉だが、リナリアには具体的なイメージがつかめないのだろう。
柳生は優しく微笑み、また口を開いた。
「テニスの勝負をするんです。
それで、技術を競うんですよ。」
そう言われたリナリアは少しの間首を傾げていた。
すると、どこかでピンときたのか、リナリアはぱっと表情を明るくさせた。
そしてうんうんと首を縦に振りながら嬉しそうに声を上げた。
「わかった!れんしゅーじあい!」
そう言ったリナリアに、レギュラーのメンバーは笑みを向けていた。
無邪気なその様子にまた笑ってしまう。
笑い声がもれると、リナリアは華を咲かせたような笑顔をこちらに向けた。
俺との間にあった距離を少しつめると、自然に手に触れ、ぎゅっと握ってきた。
そのあまりにも自然な動作に驚いてしまう。
俺の手は、リナリアの"居場所"のようなものになってしまったらしい。
反射的にドキリと跳ねた俺の心臓。嬉しさを感じていることが自分でも十分わかった。
いつから、だろうか。
いつから、俺はリナリアといることに安心を覚え始めたのだろう。
リナリアの薄茶色の髪が陽にあたり、輝きを増した。
あぁ、俺にとってリナリアは"光"なんだ。それはおそらく、レギュラーたちも同じだろう。
大輪の華が咲き誇るような笑み。
リナリアの魅力は、うまく言葉にはできない。
きっと、誰もがそう思っているはずだ。
リナリアの髪をゆっくりと手で梳いた。
ふっと視線をずらすと、跡部がこちらを見ているのに気づいた。
跡部も、その魅力にあてられたのだろう。
けれど、負けるわけにはいかない。テニスと、同じように。
俺はこんなにも負けず嫌いだっただろうか。
そう思い、苦笑した。これもリナリアの影響なのだろう。
気づけば、跡部はこちらに向かって来ていた。
「おい、もういいか。」
その声に、リナリアはキラキラ輝く淡いブルーの瞳を向けた。
氷帝のベンチの方に目を移せば、あちらも準備を整えていた。
跡部は眉根を寄せていて、なんとなく不機嫌なように見える。
「あぁ。時間をとってすまなかったね。
もう、十分だよ。」
言い聞かせるように、はっきりと声を出した。
レギュラー達のウォーミングアップも、十分だ。
負けてはならないというレギュラー達の心構えも、十分だ。
そして、俺の"気持ち"も、もう十分だ。
俺はリナリアの手をぎゅっと握り返した。
跡部の方を向いて、挑戦的に微笑む。
「今日も、勝たせてもらうよ。」
そう言うと、跡部の表情が一瞬固まった。
そしてちらと跡部はリナリアに視線を移す。
俺がリナリアのことについて言ったのだと、ほとんど感覚的にでもわかったのだろう。
リナリアは俺達のやり取りを不思議そうに、首を傾げて見ていた。
跡部はふっと表情を緩めると、おもむろに口端をつり上げた。
「ハッ、おもしれぇ。
だが、勝つのは、俺だ。」
「ふふっ、楽しみにしてるよ」
そして、跡部はあの鋭い瞳をリナリアの方に流しながら氷帝のベンチへ戻っていった。
一息吐いて、俺はリナリアに視線を移した。
自分のことを話されているなんて、リナリアは気づいていないだろう。
きょとんとしたままでも、その瞳はキラキラと輝いている。
俺はその瞳に誘われるように微笑み、リナリアの手を優しく包んだ。
この温もりは、離さない。離すわけにはいかない。
ただ漠然と、そう考えていた。
そんな俺の考えが伝わるはずがないが、リナリアは嬉しそうに表情を輝かせた。
思わずドキリと高鳴る心臓は、俺の言うことをきかない。
これは、もう、手遅れか。
感覚的にそれを感じ、俺は静かに笑った。
リナリアは俺の気持ちも露知らず、あの魅力あふれる笑顔を咲かせる。
おそらく一方的に大きくなっているこの気持ち。
どうしようもないもどかしさと、それでもいいと思っている心が渦を巻く。
けれど、まだその答えを出すべき時ではないと感じていた。
深く息を吐きながら微笑み、リナリアの頭を軽く撫でる。
俺のすることは決まっている。負けるわけには、いかない。
「せーいち?」
何も言わない俺に、リナリアは首を傾げた。
俺はほとんど無意識に、安心させるようにリナリアを見る。
あのキラキラした瞳は心配そうに俺を見つめていた。
だんだんと穏やかな気持ちになっていくのを感じながら、俺はゆっくり口を開いた。
「リナリア、約束は覚えてるかい?」
「にゃ?うん。」
「それなら、よかった。」
ふっと気持ちが楽になっていくのがわかった。
その安心感がリナリアにも伝わったのか、嬉しそうに口元を綻ばせる。
俺は自然とレギュラーメンバーに視線を移していた。
すると、何となく面白がっているような、気合いを入れたような表情が目に入る。
俺は全員の表情を見てから、軽く笑った。
今日は大変な一日になりそうだ。
そうもう一度心の中で呟いて、リナリアの顔を見た。
添えるように優しく、けれど固く繋がれた俺とリナリアの手。
その手をゆっくり引くようにして、俺達はテニスコートの中心へ向かっていた。
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