彼が穴に落ちるのは日常茶飯事のことだけれど、自分が穴から彼を拾い上げる確率は微妙なものだ。出来れば全て自分が拾い上げたいのだが、ずっと隣にいるわけもなし。

「えへへ、今日は留だね」
「おうよ。ほら、足に力入れろ」

穴に落ちることを不運だと思っても、嫌いではないらしい。例えばそこにある綺麗な空の色、土の香り。何より手を掴んでくれるその暖かさを知ることが、とても貴重な体験なのだと。だから僕は大丈夫なんだと笑う彼は、とても晴れやかな顔をしていた。忍を目指す者としてそれはどうなんだと文次郎辺りなら言うかもしれないが、笑った伊作があまりに愛しい表情をしていたから、その場は彼を抱き締めるだけに終わったのを覚えている。

「風呂入ってこいよ。この後別に何もないだろ」
「そうだね…じゃあそうしようかな」

ひらひらと手を振り、彼はありがとねと呟いてから風呂場へ向かった。とりあえず伊作救出は成功。自分は道具修理の続きでもしようと、足をそのまま長屋に向けた。



「ただいま」
「おかえり」

桶を三つ程直した所で、部屋に伊作が戻ってきた。汚れた忍装束は水に浸かっているようで、彼の手元にはない。清潔な石鹸の香りが、ささやかに部屋に漂った。

「修理中かい?」
「ああ。一年坊主が転んでな」
「なるほど」

その時の風景が容易に浮かんだのか、彼がくすくすと笑う。自分も苦笑いを浮かべながら、桶に釘を立てた。可愛い後輩の失敗など、簡単に直してやれる。優しいね、と零したその言葉は、彼の額を小突くだけに留める。あまり構うとそっちに気が取られてしまうので。
「ねえ、留、留さん」
「何だよ」
「僕ね、君の手が大好き」

何だ何だと彼を見ると、にっこり笑って手に触れてくる。左手が彼にそっと頬ずりされた。柔らかい感覚が手の甲を滑る。暖かい。

「僕を拾い上げてくれる。撫でてくれる。触れてくれる。愛しんでくれる。…優しい。大好き」

もちろん留だって大好きだよ、なんて呟く声はしっかり自分の耳に届いた。全く本当に愛しい野郎だ。どうしてここまで人の心を揺さぶれるのか。

「あっ、ねえ、手に嫉妬しないでよ」
「馬鹿。遅ぇよ」

穴から彼を拾い上げるのは自分でありたい。それが絶対に叶わなくても、彼が好きと言ってくれる手を伸ばせるならそれでもいいかと思う。だけどやっぱり、大好きと言われるのは自分自身だけでありたい。修理途中の桶は後回しだ。
彼の髪に頬に額に唇に。口付けを滑らせたら、くすぐったいよとまた彼が笑った。





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