4.5




 気の強い部下に促され、檜佐木は急遽非番をとることにした。
 ギターに触れてみたり、気の向くままに料理をしたり、久しぶりに趣味を楽しむこともできたし、それより何より心ゆくまでの惰眠を貪ることで、心身ともにかなりリフレッシュできた。
 そして二十二時を過ぎた頃、何となく隊舎の方が気になって散歩がてら向かってみることにした。春の夜風は多少の肌寒さを残しはするものの、着の身着のままで出歩くには丁度いい。ついこの間まで雪が降っていたと思ったのに、早いものだ。

 隊舎に近づくと、隊会議などで使用する大部屋から小さな光が漏れていることに気付いた。その光を見た瞬間、奇妙に嫌な予感が背筋を走る。こんな時間まで残って仕事をするような働き蟻は、知る限りではあいつしかいない。

 檜佐木は夜中にも拘らず足音を響かせながら大部屋に向かった。襖の前で霊圧を探れば、予想通り。余程仕事に集中しているのか、相手はこちらの存在に気がついていないようだった。表情を装うために一呼吸おいて襖を勢いよく開ければ、振り返って目を丸くした篁と視線がかち合う。わざとらしく眉を持ち上げて、さも自分も驚いたような顔を作ってみせた。

「なんだ、篁か」
「ふ、副隊長! こんな時間に、何をしにいらっしゃったんですか」
「いや……。厠に立ったら明かりがついてるのが見えて、消し忘れかと思ってな」

 本当のことが言えずに、どうでもいいような嘘をつく。「なんとなく嫌な感じがして様子を見に来てみたら、やっぱりお前が一人で残ってた」なんて言った日には、またあの氷のように冷たい目で睨まれるに違いない。
 篁は何度か目を瞬かせたものの、応納得がいったのか「はぁ」と間の抜けた声を出してすぐに机に向き直った。

 そうだよな、お前はそういうやつだよな。人に深く踏み込まないのが、お前のいい所であり悪い所だよ。そう思いはするが、檜佐木は何をするでも何を言うでも無く、篁の横にあぐらをかいた。篁の紫がかった黒髪が、耳からはらりと流れ落ちる。鬱陶しそうにそれを耳にかけ直す篁の横顔が、蝋燭の火に照らされてちらちら揺れてひかめいている。思えば、こうして近くで顔を見る事は初めてだったかもしれない。
 
ーー切れ長の目がその性格のキツさを助長しているかと思っていたが、なるほど目尻の睫毛が長いのか。小さな耳朶に光るピアスも、改めて見ると意外だ。……うわ、手首細ぇな。よく刀を握れるもんだ。指も細ぇし、爪も……。

 そこでやっと違和感に気付き、檜佐木は咄嗟に筆を持つ篁の腕を掴んだ。

「って、これ俺の仕事じゃねぇか!」
「はい。檜佐木副隊長の仕事量が多すぎると判断し、私が勝手に引き継ぎました」

 篁はそれが何かという表情で、平然としている。
 
 阿呆か、こいつは。体から力が抜け、大きなため息が勝手に漏れる。顔を覆った手のひらの隙間から覗き見ると、篁はやっと自分の言動を省みたのか、不安そうな表情を浮かべ始めていた。檜佐木は、自分を落ち着かせるように肺の中の空気を目一杯に入れ替えた後、篁に向き直る。

「お前さ、今朝俺に言ったよな?『私は信頼できませんか』って」
「……はい」
「それ、俺もいつも思ってるぜ。お前は全部一人で出来るって言って抱え込んでるけどよ、そりゃあ自分勝手だろ」
 
 その時、襖の僅かな間から風が吹き込み、蝋燭の炎を踊らせた。
 
 檜佐木自身としては出来るだけ言葉を選んで言ったつもりだったが、篁は首をすくめて黙り込んでしまった。表情は見えないが、腹立たしく思っているのだろうか。それともまさか、泣いている訳ではあるまい。返答を待ってみたものの、篁は自分の膝の上で握り込んだ両手をじっと睨んだまま少しも動かない。檜佐木は、また、ゆっくりと口を開く。

「……あのよ、俺とお前って結構似てると思うんだ。俺もお前と同じで……まぁ、大概何でも器用にこなせる方だったし。いや、お前が俺のこと得意じゃないのも知ってんだけどさ」

 篁紫乃という補佐官は、間違いなく優秀な死神だ。誰が見てもそう言うだろう。斬拳走鬼のバランスが良く、与えられた任務は現場だろうと机上だろうと確実にこなす。才能もあるだろうが、それだけでここまで上り詰めることはできない。檜佐木は、篁の血豆だらけの手を知っている。
 しかしその優秀さ故に、人を頼ることを知らないのだ。周りが差し伸べる手を、悪意なく払い退けてしまう癖がある。五席として九番隊に移隊して来たあの日から、篁のそんな人付き合いの不器用さが心配だった。

 春夜の生温い風に煽られて、橙色の炎が一回り大きく揺れた。それに反射して煌めいたのは、青みの強い紫の瞳。

 どこまでも透き通った水面のように湿って、凪いでいた。


「だからつまり……。俺も、もっとお前に頼るから。篁ももっと、俺を頼ってくれねぇか」
 
 篁は何も言わず、ただ檜佐木の瞳を見つめていた。何かを伝えようとしているのか、はたまた何か考え込んでいるのか、わからない。しかし、何故だかこの瞳に真正面から見つめられると無性に居心地が悪い。

 檜佐木はわざとらしく大きなため息をついて、バタバタと机の上の書類を片付け始めた。「ほら、じゃあ今日はもう寝ろ」などと言いながら、上下も裏表も関係なくかき集めてしまう。我に帰った様子の篁も、檜佐木に促されるままに片付け始める。気が付けば、卓の上の蝋燭はもう随分背が低くなっていた。明日明るいうちに、新しいものを挿しておかなかれば。

 檜佐木は適当に書類を集めて、机に叩いて高さだけを合わせた。そのまま何の気無しに流し見ると、自分の殴り書きに並んで所々に篁の几帳面な細字でメモが記されてあった。

 『現世暦一七二二年、××重霊地での、虚化した子が母親を喰らった事案と酷似 十一番隊隊士××により討伐』

 あのメモ書きからよくここまで解読できたものだと苦笑する。丁寧にまとめてあるおかげで、明日は少し手直しするだけで提出できそうだ。


 檜佐木副隊長。
 膝を叩いて立ち上がろうとすると、篁に呼ばれた気がして振り返る。余りにもか細く消え入りそうな声だったので空耳かとも思ったが、篁に向き直れば、彼女は定規を当てたように背筋を伸ばして正座をしていた。その瞳は、未だ真っ直ぐに檜佐木を射止めている。

「以前、檜佐木副隊長が私を三席に推薦したと仰っていたのは、本当ですか」

 その問いに檜佐木は、間を置かずに「あぁ」とだけ答えた。なんて事のない事実だ。

「どうしてですか、私の他にも、優秀な人材なんていくらでも」

 
 食い下がる篁を片手で制し、檜佐木は目を閉じる。
 ーー今でもはっきりと覚えている。初めて九番隊に来た篁の生気のない表情。そして、馬鹿正直に色が変わっていく瞳。生まれたての赤児の様に空っぽだった体に、こころが形作られていく瞬間を俺は確かに感じた。それはまるで、自分自身があの死神と出会った時のように。
 こいつはきっと、まだまだ強くなる。だから、先代の三席が死神を引退した時に迷わず篁を推薦したのだ。
 

 檜佐木は、ほんの僅かに口の端を持ち上げる。

「お前が一番、嘘が下手そうだったからかな」
「……なんですか、それ」
「忘れちまったって事だよ、そんな昔のことなんて」
 
理解に苦しむ様子で小首を傾げる篁に、手を差し出す。それにおずおずと応じる篁が、柔らかく微笑んだ様な気がした。
 

 ーーこれからも頼むぜ、紫乃。
 弱々しく撓う蝋燭が、二人の影を作っていた。
 
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