白昼夢に愛を告ぐ

 そしてそれが終わると、そっと首に腕が回り後ろからヤツが抱きついてきた。
「最後の……抱擁」
 ヤツの体温が恋しい。離れたくない。なのに、どうして言葉が出てこねえんだ。なんでなにも言えねえんだ。このままじゃ、終わっちまう。本当に終わっちまうのに、なんでなんだ。
 そろっとヤツが背中から離れ、俺の肩をそっと押した。
「さ、着替えてください。手当ては終わりましたので」
 終わっちまうんだぞ。
 だが、俺の意思とは関係なく身体は動き、床に落ちたスーツを拾い集めて帰り支度を始めてしまう。
 このまま帰れば、もうこいつと抱き合うことはできねえ。キスだって、できなくなるんだぞ。においを嗅ぐことも、舐めることも手を繋ぐことだって許されねえ。
 なあ、俺よ、本当にこれでいいのか? いいのかってんだよ!!
 しかしまたしても俺の意思を裏切った足は勝手に玄関に向かってしまう。そして、ヤツに背を向けた。
「……じゃあ、龍宝。またな。いや、もうまたってのはねえか。……俺は行く。俺たちは……いや、なんでもねえ。じゃあな」
 振り向こうと思ったが、それはヤツに制された。
「こちらを、振り向かないでください。なにも見ないで、あなたはただ前だけを見て帰ってください。さよなら、斉藤さん」
 玄関扉に手をかけ、開け放ったその瞬間。未練という感情が邪魔をし、つい眼だけを後ろに向けると、そこには両眼から涙を大量に零し、泣き笑いながら手を振っているヤツが居て、大きく扉を開け放った途端、その身体が大きく傾いだのが分かった。
 反射だった。何か考えるとか、そんなこともなく玄関扉のノブから手を離し、倒れかかっているヤツの身体を抱き留めていた。
「龍宝っ!!」
「ううっ、うっうっ、うううううっ! おれ、俺っ……いやだっ。さよならなんて、いやだっ、したくないっ。いやだよ、斉藤さんっ、はじめさんっ! さよならなんていやだっ!! お別れなんて、絶対にいやっ、いやだ、いやだ、いやだっ!! 矛盾してるって分かってる。困らせるってことも分かってるのにっ……俺、あなたが好きだ。別れたくないっ、諦めたくない、ずっと、傍にいたいっ……!!」
 その涙ながらの言葉に、俺の眼にも涙が盛る。
「この、ばかがっ! ばか野郎がっ!! なんでお前はいつもっ、いつもっ……!!」
 言葉は続かず、必死でヤツの身体を抱きしめることしかできなかった。そして、ヤツも俺にしがみつくようにして抱きついてきて、嗚咽を漏らして大泣きし始めた。
「俺、もっと早くにあなたと出会っていればよかった。そうすればきっと……あなたも、あなたの彼女も不幸にすることは無かったはずなのに。そして俺も、あなたと幸せになれたはず。それが、どうしようもなく、悔しいんです……!! 彼女と出会う前に出会っていたら、あなたは俺を選んでくれたかな……? それとも、やっぱり俺じゃだめだったのかな」
 なんでそんな、悲しいことを言うんだ。眼から溢れ出した涙が頬を伝い、流れていくのが感じられる。
「俺は、お前を選んでたよ。いや、過去形じゃねえ。俺は、お前を選ぶ。なあ、俺にも同じことが言えるんだぜ。お前が鳴戸と出会う前に出会ってたら、お前は鳴戸じゃなくて俺を選んだのかなって。でもお前はきっと、鳴戸を選んだと思うぜ」
「違う、それは違うっ……! 俺は、親分が帰ってきたら普通の関係に戻るつもりでいます。そうやって、親分に伝えます。あなたがいると、そう伝えるつもりでいます。俺は、あなたを選ぶ。鳴戸親分じゃなくて、あなたを……選びます。彼女がいると分かっていても、絶対に俺には振り向いてくれないとしても、報われなくても、あなたを」
「龍宝っ……!!」
 なんて野郎だ。ここまで覚悟してたなんて。こんなにもこんな俺を、好きでいてくれたなんて、知らなかった……なんにも分かっちゃいなかったのは俺の方だったのか。
 腕の中のヤツが、愛おしい。胸が痛くなるくらい、愛してると思う。
 涙が止まらない。こんなに俺を好きなヤツを泣かせて悲しませて、なにをやってんだ俺は。大切にしなくちゃならねえ、こいつだけは。俺のすべてに代えても。
 ぎゅううっと力の加減もせず、上半身裸のヤツの身体を抱きしめる。その肌はしっとりとしていて、少し汗をかいているようだった。当たり前か、こんなに泣けば。
 こんなになるほど泣かせて、傷つけて……俺に、今さら許してもらえる権利なんてあるのか? こんなに繊細で傷つきやすい野郎を思いっ切り傷つけておいて、許されるとでも思っているのか。
 でも、こいつは離したくない。どうしても、傍に置いておきたい。でも、一体どうやって……。
 逡巡が抱擁に出たのか、ヤツがゆっくりと俺から離れその両手は俺の濡れたほっぺたに宛がわれた。
「俺のために……泣かなくていいんですよ。寧ろ、泣いてはだめです。あなたに、涙は似合わない……あなたに似合うのは笑顔だ」
 そう言って、ほっぺたをびしょ濡れにして未だ眼に涙を溜めているヤツの顔が近づき、驚いているとふわっと、唇に柔らかで真綿の感触が拡がる。
 キス、されてる。
 そう気づいたのは二秒くらい経ってからで、そのままぼんやりと突っ立っているとヤツが柔らかく笑い、でことでことをくっ付けて至近距離で優しい笑顔を見せた。
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