あるはずのない魚の足跡

 そして、大皿からリゾットを少しだけ掬って皿の上に盛りつけながら手を動かし、その表情はますます朗らかなものになって、切れ長の目がゆっくりと細くなっていく。
「斉藤さんは……やっぱり、優しいですね。親分もとても優しかったけれど、優しさの質が違うというか、斉藤さんの優しさは……なんだか、くすぐったくなります。くすぐったくなった後、身体が熱くなって、嬉しいって思う。そういう、優しさ」
 ほっぺたを赤くして微笑まれ、俺の心臓は爆発寸前だ。クッソかわいい。なんだよ、俺は誰にも優しいわけじゃねえぞ。お前だ! お前だからだ!! そのくらい分かれよ!!
 って言ったって無駄か。こいつの中の俺の像を壊したくない。失望されたくないと思ってしまう。べつに、他のヤツにならなんと思われようと関係ねえがこいつはべつだ。
 かわいい龍宝に、きらわれたくはない。けれども、かわいさ故、べつの意味で裏切ってしまいそうだ。襲っちまったら、こいつはなんて反応するんだろうな。
 受け入れてくれなんて、鳴戸を想っているこいつには言えない。言えないんだよ、龍宝。
 誤魔化すようにパスタの皿を引き寄せてフォークに巻き付ける。
 どんなに想おうが、自分の思い通りになる相手ではねえことくらい、俺も自分で分からねえと。そうは思うが、気持ちはそう取ってはくれない。
 撫子、すまねえ。俺はお前を裏切ってる。裏切りながら、お前を想いながら龍宝も想ってる。だが、そんなことが通用するはずがねえことも、分かっていながら俺は……。
 俺は、ヤツを想うのを止められないでいる。
 めしが終わると、この後の話になった。俺としてはどっか景色のいいバーでヤツの横顔を肴にウイスキーでもいいかなと思っていたが、ヤツは意外にも宅飲みを指定してきた。
「あ、あの、この後ですけど……よかったら俺の家来ませんか? 話したいことがあるし……」
「それは外じゃいけねえのか。お前やたらと話がしたいって連呼してるけどよ」
「それは……ちょっと、外で話すには内容がそぐわないというか、言い辛いこと、なんで。だから、宅飲みで。いいウイスキーが買ってあるんです。氷もありますし、リラックスできると思いますけど」
「そりゃ、構わねえが……お前、俺と二人っきりになっていいのか」
 このセリフは余分だった。俺と二人になったってこいつには何の問題もねえだろ。なに言ってんだ俺は。妄想が過ぎるにも程があるぜ。
 しかし、ヤツは顔を赤らめてこくんっと、幼い仕草で大きく頷いた。
 またしても、心臓がばくばく胸の肉を押し上げながら鳴ってきた。だめだ、だめだだめだ。俺の方がだめだ。二人きりになっちまったら、なにするか分からねえ。自分の理性に自信が無い。
 だが、ヤツは嬉しそうに笑って会計票を持ち、立ち上がってしまう。
 待て、待ってくれ。
 混乱していたが慌ててヤツから会計票を手からもぎ取り、レジで金を払って店から出るとヤツが頭を下げてきた。
「すみません、奢らせてしまって。そんなつもりじゃなかったんですけど」
「いいさ、俺が払いたかったから払ったまでよ。気にすんな」
 手を振って笑ってやると、ヤツはほっぺたを赤く染めて「ご馳走様でした」そう言って嬉しそうに笑った。すると、後ろの髪が風に吹かれてふさっと流れ、思わず手を伸ばして髪に触れてしまう。
 ヤツの髪は癖毛なのか、少しチリチリしていたが触り心地がよく、いいにおいが風に乗って流れてくる。
 つい夢中になって触っていると、困惑した様子でヤツが上目遣いで見つめてくる。
「あ、あの……髪、髪を……何か付いてます?」
「ああいや、キレーな黒髪だなと思ってよ。お前はいいな、なんでもかんでもキレーで。俺なんてあれよ、染めてるから髪ボロボロ」
「はは、確かに少し痛んでるかもしれません。けど、よく似合っていると、俺は思いますよ。素敵です、とても」
 そう言って微笑まれ、その顔を見た途端、抱きしめたい衝動が走り慌ててヤツから離れて駐車場を歩く。
 今のはヤバかった。
 危うく理性が本能に飲み込まれるトコだった。あぶねえ、あぶねえ。
 ヤツが車に乗ったのを合図に、俺も乗り込む。この先……こいつの家に行ったらどうなっちまうんだろう。今でさえかなりギリギリのところで襲ってしまう衝動を我慢してんのに、二人きりなんかになっちまったらもう終わりだぞ。
 そう思う自分と、久しぶりの二人酒に心が躍ってしまう自分がいる。
 一体、本当の俺はどっちなんだ。
 龍宝が運転する車に揺られながらネオン煌びやかな流れゆく景色を眼でなんとなく追っていた。どちらも話をすることも無く、車内は無言で何だか居心地が悪い。
「おい、ラジオつけてくれ。無音がつらい」
「え、ああ、すみません気づかなくて」
 すると、途端に賑やかなラジオ番組が車内に流れ始める。やかましいDJだ。そのうちに誰かがリクエストした曲がかかり始め、何ともポップで俺たちの今の雰囲気には合っていないように思えた。
 完全に曲が空回っている。
 そのまま聞き続けていると、またDJが送られてきたハガキを読み始めた。
 どうやら、恋愛相談のようで今の彼は好きだが、新たに好きな人ができたといった内容で、どちらも同じくらい好きなのだそうだ。
 今の俺じゃねえか。

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -