願いの行く末
しかもただ見てるんじゃねえ。この視線には他意がある。含ませている、と言った方がいいか。無意識でそうやって見てしまっているのか、わざと揺さぶりをかけるつもりでこうやって見てるのか気になるところだ。「おい、なんでこっちずっと見てんだ。なんかあるか?」
疑問は、ぶつけてみるに限る。
素直にしゃべるかどうかはべつにして。
すると、ヤツはかすかに笑って目線を外し、窓に頭を凭せ掛けて歌うように言葉を口に出した。
「素敵だなあと、ただそれだけです」
なんだ、素敵って。そりゃ、俺は素敵な野郎だよ。間違いなく素敵だが、こいつの言う素敵ってなんだ。
「お前だって素敵だろ。散々女に言われ慣れてんだろうが」
「それは、斉藤さんだってそうでしょう? 素敵だって、カッコイイなって、言われているんでしょう?」
「そりゃ、事実だからな。俺は素敵でカッコイイ野郎だが、お前だって負けてねえよ。つか、すっげえかわいいからな、お前は。そこらの女よかよっぽど、上物だぜ」
すると、また少しだけ笑い、今度は黙ってしまった。視線を横へ向けると、ヤツの口元は薄っすらと微笑んでいてこの空間を楽しんでいる風に見えた。
「あなたは、本当に親分に似ている……」
突然の言葉に、思わずハンドルを持つ手がバランスを崩しそうになった。
「だからこそこんな気持ちを、持ってしまうんだ。……あなたがあまりに、親分に似すぎているから、だから、きっと……」
言葉はそれで途切れ、ぐすっと鼻を啜る音が聞こえたので思わず隣を見ると、ヤツは泣いていて流れ出る涙を拭おうともせず、悲しそうな顔をして目を擦りながらしゃっくり上げている。
「……泣くなよ……お前の涙はよ、鳴戸に拭ってもらえ。今は居ねえけど……」
「あなたは、拭ってくれないんですか。俺が泣いていて、なにも思わないとでも?」
こいつっ……!!
「嘘泣きか。だとしたら、いい加減にしやがれ。俺をおちょくると大変な目に遭うぜ。さっさと涙拭け」
「冗談で泣くことができるかできないかくらい、分かってくださいよ。少なくとも、鳴戸親分は分かってくれた。俺が泣いているといつでも……」
「俺は鳴戸じゃねえよ!!」
しまった。思わず大声が出ちまった。龍宝もさすがに驚いたようで、ひくっとのどが鳴ったのが分かった。
すると、さらに泣き出してしまい、涙ながらに謝罪の言葉を述べてくる。
「……ごめんなさい……甘え過ぎました。そうですね、あなたは親分じゃなかった。正しくは、親分ではなくなってしまったのを、少し忘れてました。……涙は、自分で拭きます」
俺の手は、勝手に動いていた。
片手でハンドルを持ち、もう片手でヤツの頬に流れている涙を拭うと、すり……と手に擦り寄って来たのが分かる。肌が熱い。そんで、これまた肌がしっとりしててやっぱり、触り心地は最高だった。
そんな頬を撫で擦りながら、俺は今夜のことを思っていた。
無事、帰してやれるんだろうか。そんなことを思いながら、手に感じるヤツの涙を拭い続けるのだった。
店に着く頃にはヤツも泣き止んでおり、ただあごに未だ水滴が残っていたのでそれを指で掬い上げると、ヤツはこれ以上なく幸せそうに頬を染めて笑い、何故だか後ろめたくなった俺はその笑顔をずっと見ていたいと思う気持ちを抑え、店の出入口へと向かう。
なんだ、なんであんなかわいい顔すんだよ。向ける相手が間違ってんだろうがっ!! 襲うぞ!! 襲われたくもねえくせにあんな顔しやがって。クッソかわいいんだよばかがっ!!
「斉藤さんっ、待ってください」
「早くしろ。店入っちまうぞ。っつーかな、お前は笑顔を向ける相手を間違えてる」
「え……」
途端、龍宝から表情が無くなった。
「お前が本当に笑顔を向けたい相手は、他にいんだろ。俺じゃなくて……べつの、お前の想い人」
「さいとう、さん……? 俺、でも、おれっ、俺はっ……おれは……」
後の言葉は続かなかった。
というのも、また泣き始めたからだ。すんすんと鼻を啜り、一生懸命眼を手で擦ってる。ああ、泣かせたかったわけじゃねえのに。
「……泣くな。涙を見せてもいい相手も、間違ってる」
「ちが、違うっ……だって、俺は……俺、おれはっ!」
涙を振り切って、ヤツは何か言おうとした。だが、本能が告げている。この言葉を聞いてはいけないと。俺たちの、バランスの悪い天秤に乗ったような関係が無くなってしまう。
そして、俺は多分ヤツを傷つけちまうだろう。これ以上、泣かせないためにも引かなければいけない。
そう思う気持ちと、涙を止めてやりたいといった気持ちが綯い交ぜになり、またしても頭が混乱してくる。
泣くな。これ以上泣かないでくれ。涙を、見せないでくれ頼む。頼むっ……!
勝手に身体が動くと思った。何か考える前に身体が動いてしまい、ヤツの身体をぎゅっときつく抱きしめてしまった。
さすがにこれはヤツも驚いたらしく、肩を大きく上下させて「ひっく!」そう言って悲鳴のような、驚きの声が上がるがすぐに、ヤツの腕が持ち上がり俺の背に添えられる。
「さいとうさん……あの、俺、おれは……」
「いい。今はなにも言うんじゃねえ。俺はズルい人間だ。だから、お前も近づくんじゃねえ。これ以上、傷つきたくなきゃ、近づくな。俺はお前を泣かせてえわけでも、それこそ傷つけてえわけでもねえんだから」
すると腕の中でふるふると首を横に振り、さらに身体を押しつけてくる。
「はあっ……腕の中、気持ちイイ……俺よりも、親分よりも、大きな身体……」
「龍宝……」
俺は、なにも言えなかった。ただただ、春の風に吹かれたままヤツの身体をきつく抱きしめることしかできることは、なにも無いように思えた。