沈黙するケダモノの叫び
俺は、星撫子が好きだ。心から愛してると言える。
だが、しかしだ。しかし……最近の俺は少しおかしい。それは自覚済みだ。
というのも、広島での出来事。あの野郎、龍宝との爛れ切ったあの情交がどうしても忘れられずにいる。
あの、キレーでエロくてかわいかったあいつ。よく泣いて、鳴戸を恋しがってたっけ。
あばよなんてカッコいいこと言って別れておきながら、俺は結局、撫子を想いながら龍宝の影を追っている。
確かに俺は撫子が好きだが、あの広島で起こった出来事以来、俺の心にはぽっかりと穴が空き、その穴の中では龍宝が俺に背を向け、憂い顔で俯きながら時折、俺の方を振り向いては「おやぶん……」とそう呼んでくる。
そしてその声を聞くたび、俺の心が震える。震えて、その振動は恋しいという気持ちに変わり、ヤツのイキ顔や、笑顔、感じてる顔を思い浮かべてしまうのだ。
そして、また腕に抱きたいと思ってしまう。ヤりたいと、思ってしまうのだ。
ヤツとはあれで終わった。猪首の運転する車の中で、握っていた手を離した時からあいつは鳴戸のモノになったはず。いや、元から鳴戸のモンだがそうじゃなく、鳴戸を想う気持ちに帰っていったはず。
そして、俺は撫子を愛する男として撫子に帰った。
そのつもりだったが、案外根が深かったらしい。それほどまでに、広島でのヤツはかわいかった。
色気の塊をしこたま抱いたからなのか、あの顔を、あのにおいを、あの身体をまた、感じたい。そう思う気持ちが日に日に増していくのを感じていた。
それと並行して、撫子が俺の隣で笑うたび、罪悪感に犯される。その笑顔を見るたびに、俺の気持ちが今、何処へ行ってしまっているのかが明白になる気がして怖かった。
あいつの、ヤツの笑顔はかわいかった。ほんのり染まる頬が色っぽくて、手で擦って撫でてやるとそれは嬉しそうに笑ったっけ。擦り寄ってくれた日には、心まで躍るようだった。
あの笑顔をもう一度。もう一度でいいから見たい。遠くで見たいんじゃない、触れるくらい近くで見たい。それがどれほど強欲なことか分かっていても、見たいものは見たい。
そして、できればでいいから触れたい。俺の手で、笑顔にしてやりたい。こういう気持ちを持つこと自体、俺はもう浮気してんだろうな。
でも、どうにもズルいことに俺は撫子も好きなんだな。だから、性質が悪い。
龍宝一筋で行くつもりならそれもいいだろうと思うが、撫子の手も離したくない。なんてわがままなんだと自分でも呆れるが、きっと俺は保険を作っておきたいんだろうな。
ヤツに、龍宝に突っぱねられた時、帰る場所があるという安心感が欲しい。それは逆に取れば、それ程俺は龍宝に傾いてるってことを想わせる。
だって、ヤツが振り向いてくれなかったらと考えるだけで頭がおかしくなりそうだ。例え鳴戸とやり合うことになろうとも、俺は龍宝を手に入れたい。ヤツの笑顔を独り占めして、誰にも見せたくない。
そんな気持ちが、最近は特に強くなっている気がする。
というのも、原因はある。訳はある。
広島から帰った後、きっと龍宝との付き合いはこれっきりになるんだろうなと勝手に思っていた。だが、何気にめしを食いに行ったり酒を飲みに連れ立って出かけたりはしている。
それが問題の一因なのだ。
ふとしたことで視線が絡まると、ヤツは途端に切なげな表情を浮かべ俺をじっと見てきたり、そんな俺もその顔がやたらとかわいいので見つめてしまって見つめ合いになったり、ふとした時にヤツの視線を感じたり。俺も、なんか見てしまうのでヤツから視線を外さずにいると目が合ってそのまま互いの顔を見たまま固まったり。
なんで、そんな俺に気のあるフリなんてするんだ、ヤツは。
俺たちは終わったはずだろうが。だったら、見るな。そんな眼をして、俺を見ないでくれ。
とは、言えない。ただ、視線を感じるだけでも喜ぶ自分がいて、視線が絡まれば心臓はドキドキと胸を押し上げて高鳴るばかり。
これが、俺か? 俺なのか?
適当に女遊びやらかして、撫子って彼女までいる俺がこの様って……頭が痛くなるが、だがヤツのこととなればべつだ。
一度、広島から帰ってから少し経った日に、流れで飲みに行くことになった。あの日の俺はヤツと飲めるってことでやけに興奮してて、酔いが回ってつい、手を握ってしまったことがある。
ヤツは、振り払わなかった。どころか、頬を真っ赤に染めて身体を震わせるばかりでいやがる素振りなんて見せず、ただただ、俺がどう動くか見ていたかったかのようだった。
あの時、抱き寄せていれば何かが変わったのだろうか。俺は、今でもヤツをこの腕に抱いていられたのだろうか、なんてことを考えてしまう。
それからは気を付けて絶対にヤツには触れないことにしているが、それでも時折、無性に抱き寄せたい衝動に駆られる。それは、撫子には持てないものだ。
俺がヤツ、龍宝に対して抱いているのはもっと、獰猛な感情のような気がする。あの澄ましたキレーな顔を、快感で歪めてやりたい。色っぽいラインの身体を舐め回して、触り倒してそのまま締まったアナルにチンポ突っ込んでめちゃくちゃにして、正気を保てなくなるまで抱き殺してやりたいといった、鬼畜なまでのこの気持ちは一体なんだ。
ヤツに対しては、もっと優しい気持ちを持って接してやりたいのに、何故なんだ。
そして、ヤツにも問いたい。どうして俺をあんな切なそうな目で見るんだ。てめーには鳴戸がいるだろうが。だから、俺は手を引いたのに。広島で、手を離したっつーのに。
お前なら、俺のために泣いてくれるだろうって、思ったのに何故。
だから、俺は黙る。沈黙を守る。ヤツを、この手でめちゃくちゃにしないためにも。あの広島での時が、いつかいい思い出になる日を信じて。