ドライアイス

 ハンドルに凭れかかりながら、湧き出てくる涙を拭いもせずにそのまま駐車場で泣いていた龍宝だったが、さすがにこんなところでいつまでも泣いているわけにはいかないと、ハンカチを出して目に押し当て、濡れた頬も拭き取って車のエンジンをかけ、ゆっくりと公道に乗って車を走らせる。
 早く家に帰って、冷静になりたい。
 頭の中がぐしゃぐしゃで、何がなんだか分からないのだ。鳴戸が好きなのか、それとももはやこの愛は惰性で、本当のところでは冷め切っているのか。
 今の龍宝にはどちらが本心なのかが分からないでいた。
 そのまま激情に任せ、乱暴に運転をしながら自宅へ帰りつき、駐車場へと車を乗り入れ、自宅マンションの階段を上がる。
 そして部屋に着くなり、靴も脱がずばったりと倒れてしまい溢れてくる涙との戦いが始まった。
 泣きたくもないのに、何故か涙が次から次へと湧き出てくる。これは、後悔の涙なのか屈辱の涙なのか、どんな種類の涙なのかも分からないが、止まってくれないのだ。
 終いには、嗚咽を漏らして泣き始めてしまい、肩を揺らしてしゃっくり上げそして、鳴戸を想う。
 本心だけれど、本心じゃない。これが答えだろうか。
 ふとそう思った。かなり矛盾してはいるが、この言葉が一番しっくりくる。こういう時、男同士だということを痛感する。かといって、女という性に憧れるわけでもましてやなりたいわけでもなく、鳴戸を抱きたいと思うわけでもなく、つまりはそういうことなのだろう。
 むくっと徐に身体を動かし、靴を脱ぎ捨てて部屋へと上がり込み、そして着ていた洋服を一枚一枚、脱ぎながらバスルームへと向かう。
 涙で視界が悪い。いろいろなものがぼやけて見える。ぽたぽたと床へ涙が落ち、丸い水滴がフローリングの床にいくつも落ちる。
 乱雑な仕草で目元を払い、全裸になったところで浴室へのスリガラスを開けて熱いシャワーを頭から浴びる。
 シャワーはいつもと変わらず気持ちよく、龍宝の凝り固まった心を解してくれるようだ。
 そうやって暫く温かな湯を浴びていると、湧いて出たのは困惑だった。
 あれで本当によかったのだろうか。もはや、否を鳴戸に叩きつけてしまった今、否も応もへったくれもないのだが、あの時の鳴戸の顔が忘れられない。
 傷ついたような、ひどく驚いた顔をしていた。あんな顔をさせたのは他でもない、龍宝だ。自分で自分の幸せを手放してしまったような気分だ。実際、手放したのだ。けれど、今まで溜まっていた不満を吐き出せたという点では、否を言い渡したことはよかったようにも思える。
 もはや、自分で自分の気持ちが分からない。本当の正解がどれなのか、分からなくなってしまった。こういった問題に正解など、無いのかもしれないが誰かに教えて欲しかった。
 鳴戸を傷つけてしまった、自分の否は正しかったのか。答えが欲しい。
 そしてその異変は既に、龍宝の心の奥深くから起こっていたのだった。答えは、自分が一番よく知っているということを、後々知ることになる。
 そして、その日の晩のことだった。
 早々とベッドに潜り込み、目を瞑る。今日のことは、もう忘れて眠ってしまいたい。何も考えず、ぐっすりと。
 意識はすぐに遠のき、眠りの世界へ身を投げた龍宝だった。
 何か、薄暗いところにいると思う。ここは一体どこなんだろうと、辺りを見渡すが見覚えはなく、するとそのうちに何か温かな光へ続く道ができ、本能に従ってその光に向かって歩いて行くと、そこには鳴戸がいた。
 それも、全裸で。いつも通り、引き締まった身体をした鳴戸が手招いている。優しく笑みながら、龍宝を名を呼び、こっちへ来いと言っているようだ。
 ふと気づくと龍宝も裸で、何一つ身に着けておらず羞恥を覚えながらもそのまま鳴戸に近づくと、力強くぎゅっと抱かれ、相変わらずのその心地いい腕の中を堪能していると首元に顔が埋められる。
「いいにおい……お前は相変わらず、いいにおいだな」
 その声も、いつもの鳴戸で不可思議な点はいくつかあれど、とにかく自身を抱いてくれる腕が嬉しく、身を捩りながら龍宝からも鳴戸の背に腕を回す。
 熱いくらいの肌も変わらず鳴戸のモノで、つい涙を滲ませてしまうと頭をゆっくりと撫でてくれ、さらさらと後ろ髪を梳かれる。
「イイコ、イイコだ。泣くな。俺は怒っちゃいねえよ。だから、泣き止みな。キスもできねえ」
「……おやぶん、おやぶんっ……俺」
「分かってるから、なにも言わなくていい。ちょっと怒っちゃっただけなんだよな? 分かってるから」
「たくさん……キスしてください。俺が悪かったから、謝りますからキスが欲しい……おやぶん」
 甘えるように鳴戸を呼ぶと、そっと身体が離れてゆき、その代わりに顔が近づいてくる。
「コラ、眼ぇ瞑んな。キスの時のエチケットだぜ」
「や……見ていたいです、親分を、ずっと、ずっと……」
「穴が空いちまう」
 そっと口づけをされ、その真綿の感触にさらに涙を浮かせてしまう。そういえば、鳴戸は龍宝が泣くといつも、こういう口づけをして慰めてくれた。
 その優しさが愛おしく、龍宝からも角度を変えて口づけると応酬になり、ただ触れるだけの口づけを何度も繰り返し、次第に上がる息もそのままにひたすら唇を合わせる。
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