てのひらで踊る心や臓

「渡り鳥が帰ってきたぜ」
 そう言って、再び鳴戸が帰ってきた。
 今まさに、新鮮組三代目に向かって拳銃を発砲しようとしていたところに、突然現れた鳴戸。
 そして組に戻るという。
 龍宝の中で、何かが一気に弾けた瞬間だった。
 復讐の鬼と化して、捨て鉢になり静也を殺して自分も死ぬつもりだったその命を鳴戸に助けられた形になる。改めてその事実に現実味がなく、静也をその場に取り残して立ち去ったその後のことだった。
 近くに停めてあった車まで歩いて行ったことはいいが、急に膝から力が抜けその場にへたり込んでしまう。
「お、おい龍宝!? どうした!!」
「おや、お、おやぶ、おやぶんっ……俺、おれは、おれっ……ふっ、うううっううっ」
 涙が次から次へと溢れ出てくる。もはや、何がなんだか分からない。頭の中がぐしゃぐしゃで、嬉しいのか悲しいのか、虚しいのかさえも判別がつかなくなっており、その場に四つん這いになって泣きじゃくっているとふわっと、何か温かなもので身体を包まれた。
「頑張ったんだな、お前は。俺がいない間、本当に頑張った。もう頑張らなくていい。俺が傍に居る。よしよし、頑張ったな。お前の頑張りは、俺が称えてやる。よく頑張った、龍宝」
 その労いの言葉と共にきつく身体を抱かれ、思わず両手を上げると今度は正面からがっしりと抱かれ、その確かな力強さと温かさ、そして懐かしいかおりにますます涙が込み上げてくる。
 もう、なんと言っていいのか分からない。
 鬼州組に受けた屈辱。斉藤の死、静也のこの上ない裏切り。
 その身に抱え込むにはいくら精神が頑強な龍宝でも耐え切れなかった。もはや、なんでもよくなっていたのかもしれない。
 自分の命さえも、どうでもよくなっていた。
 心の支えになっていた鳴戸も帰って来ない。孤軍奮闘するには力が足りなかったということなのだろうが、この世の中がどうなろうが、龍宝には関係が無かったのだ。
 正しくは、関係なくなっていた。いくら自分が頑張っても何一つ報われることも無かった。
 心を預けていた仲間たちは死に、自分の無力さに怒りが隠せなかったのもまた、本当のことだ。
 もっと自分がしっかりしていれば、皆は死ななかったのではなかったのか。または、殺されることもなかったのではと思うとやるせなくなる。
 こんな自分など、生きていたって価値はない。
 それが結局、最終的に出した結論だった。ただ、静也だけは許せなかったので彼を殺して、なにも居なくなった世界からおさらばするつもりのところへ現れた鳴戸。
 その鳴戸に、温かな言葉をかけてもらっている。それも、これ以上ない龍宝の頑張りを称えてくれている。
 鳴戸の言う通り、今まで頑張ってきたのだ。
 頼りになる斉藤があんな死に方をして、とうとう独りきりになってもそれでもと思い、肩肘張って生きてきた。けれど、今は鳴戸がいる。
 涙が止まらない。
 これからは鳴戸が傍に居てくれる。そして、一緒に戦ってくれる。それこそ、死ぬ間際まで愛している人と戦えるのだ。
 この喜びを一体、何に例えればいいのか。
 龍宝も震える両腕を叱咤し、鳴戸の背に巻き付けるとさらに強い抱擁が返ってくる。ふわっと、鳴戸のかおりが鼻を掠る。温かなにおいだ。これ以上なく安心するにおいに、龍宝はだんだんと自分の意識が遠のいてゆくのが分かった。
 身体から力が抜けてゆく。 
「龍宝!? おいっ、龍宝! しっかりしやがれ!!」
「おや、ぶ……」
 目の前の鳴戸は必死な顔をしており、その姿を最後にぷっつりと意識が途切れ、気を失ってしまった龍宝なのだった。
 そして、その後。
 身体がなにか温かなものに触れている感触で目を覚ました。熱さともいえるその温みに、重い瞼を押し開くと目の前には真っ白な天井が見え、次いで首を横へ傾けると弾痕が残る広くて平らな男の胸が見え、さらに目線を上げるとそこには眉間に傷のある、龍宝の想い人である鳴戸が眼を瞑って、眠っているのだろうか。よく分からないが、身体になにも纏っていないことにも気づき、つい顔を赤らめてしまい身じろぐとぱちっと、目の前で瞼が開き大きな眼が露わになる。
「お、おお。起きたか。ビックリしたぜ、いきなり倒れっちまうんだもんよ。仕方ねえから、ちっとホテル連れてきたけどいいよな」
「おやぶん……俺」
「いい、なにも言うな。分かってるから。お前はこれ以上、なにも背負わなくていい。俺がいる限り、お前は自由だ。だから、安心して過ごすといいって言ってもさ、まあどうせ死んじまうわけだけど」
「お、やぶ……おやぶんっ、おやぶんっ、おれ、俺っ……うううっ!」
「また泣くか。まあ、泣きたくもなるよな。知ってんだぜ、俺。お前が頑張ってきたこと。知ってる。泣きたきゃ泣けよ。胸くらいいくらでも貸してやるからよ。泣け。気がすむまで泣きまくれ」
 ありがたい言葉をいただいたので、気がすむまで泣きじゃくる龍宝だ。我慢してきた今までのことすべてを吐き出す勢いで泣き声を上げ、鳴戸にしがみついて涙を零す。
 鳴戸はその間、ずっと頭を優しく撫で続けていてくれて、それがますます涙腺を刺激し、溢れ出てくる涙もそのままに、屈強な身体に抱きついてしこたま涙を流したくる。
 すると、頭を撫でていた手が首へと移動しぐっと、胸に顔を押し付けられる。
「っ……おや、ぶっ……?」
「気にすんな。ちっとな、抱いてやりたくなっただけだ。ああ、抱くってそういう抱くじゃなくって、抱擁の方な。お前があんまり悲痛な声で泣くからよ、きっと今までつらいことがたくさんあったんだろうって思ったわけよ。なにも言わねえで留守にしてた俺が言うことでもねえかもしれねえけど」
「いえ、いえいいんです。今あなたがこうしてここにいてくださるだけで、もう俺はそれだけで……」
 それだけで、一体なんだというのだろう。
 ぽっかりと、龍宝の心に小さな穴が空いた瞬間だった。誰にも埋められない、そんな穴。
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