アネモネの恋

 その後、タクシーを拾い自宅へと帰り着いた龍宝は早速、バスルームへと行き頭から熱いシャワーの湯を浴びる。気づくと、身体中に鬱血痕が散りばめられており先ほどまでの時間が嘘でなかったことが鮮明になる。
 へその横に真っ赤な痕。そっと撫でると、まるで鳴戸に舐められているようだ。思わず顔を赤くしてしまい、それを振り切るようシャンプーを手に取り頭を洗い始める。
 しかし、鳴戸はなにか気になることを言っていた。そんなつもりでなければ、どんなつもりとは日本語的にもおかしなところがあるが、なんとなく言いたいことは分かる。
 もしかすると、関係が終わるかもしれない。
 そんな予感を秘めた言葉に龍宝は両手をぐっと強く握りしめた。いつかは来ると思っていた。鳴戸とそういう意味で別れる日がやってくることは分かっていた。
 だが、頭で分かっているのと心で分かっているのとではまた、違う。鳴戸に欲しがってもらいたい。だが、それは叶わぬ願いなのかもしれない。わがままを言っていい相手ではないし、困らせるつもりも、ないのだ。鳴戸から拒否されれば引き下がるのみ。
 龍宝は大きな溜息を吐き、その場にしゃがみ込む。
 どうか、未だ傍にいて欲しい。幸せを壊して欲しくない。いくらそれが、叶わぬ望みでも。
 シャワーを浴び終わると、すぐにベッドにダイブする。眠たくて仕方ない。あまりにも激しい情交に三度も付き合わされたのだ。けれど、幸福だと思う。愛する人に何度も求められれば誰だって悪い気はしないはず。それは龍宝も例外ではなく、鳴戸と交わした情交のことを考えながら眠りへと落ちていった。

 ふっと眼が覚め、時計を確認してみると昼を少し過ぎたくらいの時間帯で、ぼーっとしながらベッドから起き上がる。
 頭をがりがりと掻き、バスルームへと向かう。眠気覚ましにはちょうどいいだろうとシャワーのコックを捻り、熱めの湯を身体に浴びる。
 今日は誘ってもらえるのだろうか。僅かな期待が胸に灯る。確かに疲労は感じているが、それ以上に鳴戸との情交は魅力的で多少疲れても眠れば復活する程度のものだ。
 身体が熱く感じる頃、漸くシャワーの湯を止めてバスタオルで身体の水分を拭き取る。その後、適当に家にある食材で朝食兼、昼食を見繕って食べ組事務所へ車を使って向かう。
 鳴戸は、来ているのだろうか。
 複雑な心境に陥りながら車を走らせて組事務所の駐車場へ車を停め、玄関を潜ると挨拶の応酬が始まり、辺りを見渡すが鳴戸は未だ来ていない様子だった。
 何故か、急に落ち着かない気分になってくる。来るなら早く、来て欲しい。その願いはすぐにでも叶い、がちゃっと乱暴に玄関扉が開くとそこには鳴戸がおり、組員たちと挨拶を交わしている。龍宝もすぐに鳴戸の方へと向かい、声をかけた。
「おはようございます、親分。昨晩はよく眠れましたか?」
「ああ、まあな。そこそこってやつだ。それより龍宝、ちょっと二階へ来てくれねえか」
「……? ええ、もちろん行きますが」
 鳴戸の表情はどこか冴えないもので、龍宝は戸惑いながら鳴戸の後ろへ続き二階へと上がる。そして、広間まで来たところで急に鳴戸が振り向き腕が伸びてきて抱き込まれてしまう。
「おっ、親分っ!? どうしたんですか、いきなり」
 答えなかった鳴戸に訝しく思っていると、ポケットの中に何かが捻じ込まれた。
「ホテルの鍵だ。……先に行って、待ってろ」
 たったそれだけを言いつけられたと思ったら、突き飛ばされるようにして身体を押され、鳴戸と離れてしまう。
「おやぶん……?」
「話はそれだけだ。ふあ……あー、眠ぃ。俺はちっと寝るから邪魔すんなよ。他のやつらにも言っとけ。二階には誰も上げるな」
「分かりました……」
 いつもの鳴戸と、やはりどこか違うと思う。どこがと言われても困るが、明らかに違っているのだ。戸惑いを隠せない龍宝だったが、それを知る術も持ち合わせてはいない。
 肩を落として、階下へと向かう。結局、鳴戸のなにも分かってはいない。そのことが浮き彫りにされたようで悲しく、切なかった。
 そして、夜になり龍宝は独り、指定されたホテルに向かっていた。
 ホテルへ行くのであれば、何故共に行こうとしないのか。それに、昼間の態度も気になる。なにかいやな感じがすると思う。
 乗っているタクシーの中の空気は湿気っていて、僅かに雨のにおいがする。
 目的の場所へと着くと、早速キーの番号を確かめて部屋へと向かう。今日は五階らしい。『505』とキーについているチャームに印字してある。
 部屋に入り、シャワーでも浴びようと思ったがなんとなくそんな気分でもなく、無言のままスーツに手を掛けた。今日は少し汗をかいてしまったが、におうほどでもないだろうとごそごそとベッドへと潜り込む。
 部屋の明かりは落としておいた。
 もしかしたら、一番最初をなぞりたい、そういった趣向かもしれないのであれば電気は消しておくのがエチケットだろう。
 枕に頭を置き、ぼんやりと天井を眺める。恋しい人はいつやって来るのだろう。今日は一体、何度抱かれるのだろう。そんなことをつらつらと考えながら時を過ごす。幸せな一時だ。今からの時間の鳴戸は、自分だけのもの。
 早くやってきて欲しい。
 龍宝は微笑を浮かべ、ごそっとうつ伏せに寝転びこれからの時間を想う。
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