奥底の怪物
もちろん、抵抗を示す龍宝だが胸元を引っ掴まれているため、それもままならずかなり乱暴に引き摺られてゆく。「来いっ!」
「お、おやぶんっ……! なに」
「黙っていいから車乗れ。運転だ。行き先はお前の自宅」
先に鳴戸が車に乗り込んでしまい、仕方なく運転席へと座るが戸惑いのあまりエンジンすらかけられず様子を窺っていると、鳴戸とは思えないほどに怒りの表情を浮かべながら、助手席側の窓ガラスを轟音が立つほどにまで叩き、吠えるように怒鳴りつけられる。
「早く出さねえか!!」
思わず、肩を竦めてしまう。
怖い。
鳴戸が、心底に怖い。こんな感情をまさか鳴戸に対して抱くと思っていなかったが、かなりの怒りを見せつける鳴戸に、恐怖を覚えながら震える手を叱咤してハンドルを握る。他の人間に対して、怖いという感情を覚えたことは無いので、恐怖というものはいま初めて感じる感情だが背筋が寒くなる。怒りというものは、ここまで人を怯えさせ委縮させるものだったのだ。
まるで、人が違ってしまったようだ。いま助手席に座っているのは本当に鳴戸だろうか。鳴戸の形をした、何者かではないか。
そう疑ってしまうほどに、今の鳴戸は普段の鳴戸と比べると別人のような厳しい表情を浮かべており、黙り込んだまま車に揺られている。
手に、じっとりと汗をかきハンドルを握っている手が細かく震える。
これから自宅へ行って、何が成されるのか。どうやら、触れてはいけない逆鱗というものに、触れてしまったらしい。引き金が何なのか、鳴戸から聞いていないので定かではないが、もし香水や疑似キスマークなのだとしたら、成功どころかただ単に鳴戸を怒らせただけに終わる失敗作戦だ。
このまま、鳴戸は離れて行ってしまうのだろうか。怒らせて、そして怒られてそれだけで済めばいいが。
鳴戸とて、極道なのだ。残酷なことも、平気でできる。やろうとすれば、の話になるが何だか心配になってくる。そうなのだ、これが恐怖という感情の中身だ。しかも、鳴戸に限定される恐怖というモノ。
己が悪かったのなら、平謝りでもするつもりでいるがもし、怒りの内容によれば反撃も考えてはいる。
大体、きっかけは鳴戸が女を抱いたことから始まったのだから、それで八つ当たられていたとしたら、龍宝にだって言い分はある。殴り合いならば上等。やってやろうじゃないか。龍宝だとて、伊達に極道をやっているわけではないのだ。
強がりを肩に引っ掛け、車を走らせる。隣の鳴戸を見ると、未だ怒りが渦巻いているのか龍宝の視線に気づくなり、鋭い眼光で睨みつけてくる。
ぞっと、背に悪寒が走る。
やはり、強がりなんかで勝てる相手ではなさそうだ。今からの時間が、怖い。龍宝の愛した鳴戸が消えてしまっていないかどうか、それも怖いのだ。
怒らせてはいけない人を怒らせた。罪悪感と、後は反発心が綯い交ぜになったこの感情に名があるのだろうか。
自宅へと辿り着き、駐車場へと車を停めるとさっと鳴戸が車から降り運転席を開けるとネクタイごと首元を掴まれ、引き摺るように歩かされる。
「何階だ? お前の部屋は」
「じ、自分で歩きます! 離してください、親分!」
「逃げねえように、捕まえておく。いいから早く答えな。何階の、どの部屋だ。さっさと言え」
仕方なく、問いかけに答えると足が早まり結局、龍宝は部屋の前まで引き摺られて歩かされ、鍵を開けるよう促されたので開けたその瞬間。
渾身の力だろう、龍宝を部屋の中へと叩きつけるように放り鳴戸も靴を脱いでのしのしと歩いて近づいてくる。
反射で後ろへ下がると、ずいっと距離を詰められ思わず見上げるとすっと、しゃがみ込んだと思ったら両手が龍宝の着ていたカッターシャツにかかり、布地が裂かれるバリッといった激しい音と共にカッターシャツがボロ雑巾と化した。
一瞬、鳴戸がなにをしたのか分からず下を見るとビリビリに破れたシャツが身体に纏わりついている。反射で上を向くと、鳴戸の手にはシャツの残骸が残っており手を振ってそれを床に落としている。随分、間抜けな顔を晒していたと思う。何故、こんなことをされなければならないのか、まったく以って分からない。呆けてしまい、ぼんやりと鳴戸を見上げる。
だが、鳴戸の怒りは未だ失せていないらしく、鋭く睨みながら身体に手を伸ばしてきた。
そして露出した肌の上を、痛いくらいに擦ってきて思わず我に返り身を捩ると、さらに距離を詰められ、怯えた目で鳴戸を見るが、その表情は怒りに満ちており意識せずにのどを鳴らしてしまう。
さらに後ろに下がろうとしたところで、鳴戸の手が加減なく力任せで撫で擦ってきて、その無遠慮な愛撫とも呼べない触れ合いに抗議の声を上げる。
「ちょ、親分! 待ってくださいよいきなり、こんなことどうして! ……んっ!」
言葉は鳴戸の口の中へと消え、突然の口づけに目を見開くと鳴戸の目と出会い、徐々に閉じられてゆくのを見ていると、急にぐりぐりぐりっと強引に唇を強く押しつけられ思わず龍宝も目を瞑ってしまう。
キスすら乱暴とは。
強引に舌で口を抉じ開けられると、待っていたのはめちゃくちゃな口づけで、咥内を貪る勢いで舌を使い、舌を絡め取って柔く噛むのではなくきつく噛まれ、あまりの痛さに「んぐっ……!」と啼いてしまうと、のど奥で鳴戸が笑う。