野良猫の恋

 それは三月のある日のことだった。
 一足早い春の訪れを感じさせる木漏れ日が、鳴戸組事務所に降りかかり、それでも風は未だ冬を纏い窓から微かに冷気が流れ込んでくる。
 その二つの季節の終わりと訪れを身体に感じながら、鳴戸は昼間酒をかっ食らい南側の陽の当たる広間にて昼寝と洒落込んでいた時のこと。
「親分、鳴戸親分どこですか?」
 その声はもはや聴き慣れてしまい、誰と言わなくても分かるようになってしまった大事な子分の一人である龍宝のものだったが、とにかく今は眠っていたいという気持ちが勝り、そのまま眠りに身を委ねようとする。
 そうしたところで階段を上がってくる足音と共にまたしても「親分」そう呼ぶ声が聞こえた。まるで迷子の子どものようだ。幼げで、頼りのない声。実際の彼はそれは強く、凛々しくそして逞しいが鳴戸のこととなると途端、彼は子どもに戻ってしまう。それがいいことなのか、はたまた悪いことなのか。時々、考えてしまうのだ。頼りにされているという歓びと、それが弱みになっていないかという不安が綯い交ぜになる。
 複雑な心を胸に、そのまま目を瞑り続けていると人の気配の後、安堵の混じった声が耳に届く。
「おやぶ……ん? 寝てしまってるのか」
 声の主はやはり龍宝で、眠っている鳴戸を見ればそのまま立ち去るだろうと思っていたのだが、何を思ったのか階下へ降りるどころか襖を閉めてしまい、薄目を開けて見てみるとその場に正座して背筋を伸ばし、じっと鳴戸を見つめている。
 その視線は妙に熱く、まるで穴が開かんばかりの勢いで見つめてきて、何処か居心地が悪くなると思う。焼け焦げてしまいそうだ。こんなにも情熱的に誰かに見られたのは初めてではないだろうか。それほどまでに、龍宝から向けられるものには情念が篭っているように思う。
 いい加減、狸寝入りを止めようと目を開きかけたところですっと、龍宝が立ち上がったのが分かった。
「風邪を、引いてしまいますよ」
 そう言って襖を開けて出て行き、すぐに帰ってきてそれでも未だ眠ったフリを続けているとふわりと身体が暖かなものに覆われ、少し身じろぐとそれがブランケットだと分かった。それは嬉しい心遣いだが、龍宝は鳴戸に近づいたそのまま動かずまた少し、時が経つ。
 またしても居心地が悪くなる中、ざりという音がして龍宝が畳に手をついた音だと推測を立てていると、ふわりと鼻に掠る龍宝の持つにおいがしたそのすぐ後のことだった。
 優しいかおりに包まれたと思ったら、微かに布ずれの音がしていい加減、目を開けねばと思ったその瞬間、唇に温かく優しい感触が拡がったと思ったら甘い味も同時に感じ、口づけられたのだと気づく。
 龍宝が、自身にキス。
 まるで信じられないが、薄目を開けて見てみると確かに長い睫毛を伏せて、震わせている目元が至近距離にあった。
 心底に驚く鳴戸だ。だがしかし、嫌悪はまったく感じず、それどころか柔らかな唇から若干の心地よさが触れ合った箇所から流れ込んできて、抵抗の心すら湧かずそのまま受け止めることにする。
 随分、長いキスだったように思う。少し低い龍宝の体温と鳴戸の体温が交じり合うくらいには、時間が経っていた感覚だ。
 狸寝入りもいい加減限界だと思う頃、徐に唇が離れてゆき龍宝はすぐに離れたが部屋からは出て行かず、また暫く鳴戸を眺めていたと思ったら身体に張り付かれ、切ない声色でこんなことを言った。
「おやぶん……」
 呼んだのか、ただ呟いただけのか。分からないまま、内心戸惑っていると龍宝が大胆にも隣に寝転び、ぎゅっとスーツの胸元を掴まれた。
 どうしていいかも分からず、そのまま黙っているとあの警戒心が強くて有名な龍宝が、健やかで小さな寝息を立ててしまったのだ。これには驚きを隠せない鳴戸だ。
 いつだって手負いの猫のような気質の龍宝が、鳴戸の隣で眠り込んでしまうとは。先ほどの口づけもそうだが、今日は驚くことが多いように思う。
 両目を開け、隣を見るとあどけない寝顔を晒した龍宝が心地よさげに眠り込んでいる。しかし、なんともかわいらしい様だ。
 なんだか起きてしまうのがとても勿体ないような気がして、暫くの間黙って寝転がっていると、ぎゅうっと背広が握られ龍宝の寝言が聞こえる。
「おやぶん……鳴戸、おや、ぶん……」
 起こさぬよう身体を反転させると、龍宝の手がごそごそと動き、今度は胸元のカッターシャツを握ってくる。何か考える間もなくそっと龍宝の背に腕を回すと、表情が和らぎ幸せそうな柔らかな寝顔に変わった。
 若さゆえなのか、つやつやとした白い肌、形のいい眉、目を瞑っていても分かるほど造作の整ったその顔を手の甲でそろりと撫でるとまたしても幸せそうに笑んで、龍宝は鳴戸の名を呼んだ。
「おやぶん……」
 思わず腕を龍宝を囲むように巻きつけ、胸に抱き込むと体温が流れ込んできてその確かな温もりに、鳴戸も大きく息を吐きリラックスを心がけつつ今の時間を楽しむ。
 何故、龍宝がこんな行動に出たか分からないが存外、幸せな気分になる。こうして誰かを長時間、抱きしめたこともここ数年無いことだ。女を抱く時も、こんなことはしない。ただ抱きしめるだけという行動自体、する必要が無いからだ。
 龍宝が目を覚ますことは無く、そのまま寝入っているのを見守りつつ徐々に馴染んでゆく身体の温度が、今は愛おしいと思う。
 男同士で、だとかそういったことも思わずただただ鳴戸の胸には、今まで出会った人間に抱いたことの無い、なにかべつの感情が生まれつつあった。
 それほどまでに、隣であどけない寝顔を晒す龍宝の破壊力は絶対だった。
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