ひろあか | ナノ


うんとかすんとか好きとか言って

爆豪勝己


朝目を覚ました瞬間から、鼓膜を震わせる雨音にうんざりしていたし、なんとなく身体がしんどいような気がしていた。ただ、それだけ。今日の予定を思い出しただけで、なんだか、なんだかなあと。どうしても元気が湧かないのだ。我ながら、本当に最低だと思う。

【雨だしまた今度にしない?】

ソファに寝転びながら激しく窓硝子に当たる雨粒を見詰めて、重い指先で送信ボタンを押す。正直な話今日が雨であろうと晴れであろうと、断る気で居たのだが。
送ったラインは一瞬で既読が付いて、これまた一瞬で返事が来た。文面だけでも分かる不機嫌そうなその相手に、うわあ、と鉛が注ぎ込まれたように重たい身体を起き上がらせて、ノロノロとクローゼットの中身を取り出した。はあ、どうしよう、何着よう。これじゃないあれじゃないそうじゃない。色々試して結局無難なモヘアニットにジーンズ。
洗面所で顔面のチェックをする。まあ、いつも通りだ。薄い化粧に外ハネのショート。人前に出ても恥ずかしくないだろうという程度に普通。
そうこうしている間に無常にもチャイムは鳴った。

『今行きます』
『おー』

そう、来たのだ、わざわざ。【雨だしまた今度にしない?】という私の切実な思いに対し一瞬で【行くから準備しとけ。1時間後に着く】と。そして時間ぴったりに本当に来たのだ。
テレビドアホンのモニターに映る爆豪は黒いマスクに帽子といった、如何にも、という変装で、流石人気ヒーローは違いますなあと感心しながら待たせるわけにも行かないので急いで家を出た。

「わざわざここまで来なくて良かったのに」

キーケースを取り出して鍵を閉める私の手元をじっと見下ろしている爆豪は、深く被った帽子の下から責めるように赤い瞳を細めた。あぁ、やっぱり、怒ってる。
鍵を閉め終えたのを確認するやいなや、爆豪の少しだけカサついた厚い手のひらがするりと私の手のひらに合わさって、一瞬にして絡め取られてしまう。

「こうまでしねえと逃げんだろうが」

最早その回答が先程のものなのか、今こうして攫うように手を握り歩いていることに対してなのか分からないまま「ごめん」とだけ呟いた。気不味い沈黙が続く中、数時間前に送ったラインの内容を思い出して居た堪れなさに視線が下がったまま、エントランスまで辿り着いてしまった。

「……」

立ち止まった爆豪の手が僅かに震えたのを感じて仕方なく上げた視線の先、一切の手垢すらない透明な自動ドアの向う側は、嵐だ。
降りしきる雨が地面を叩きつけ跳ね返り、風がごうごうと吹き荒れ、絶え間ない稲妻の光が見計らったように彼方から降り注ぐ。そして、そんな大雨の中を壊れた傘を片手に駆けていくサラリーマンの姿。私は唖然とした表情のまま固まるしか無かった。
『やっぱり、また今度にしたほうが良かったね』なんて軽口を叩けるほど私と爆豪の間に横たわる溝は浅くない。深いというわけでもないけど。
どうしよう、どうしたものか。そんなもの、こうなった以上一つしかないというのに。暫しの逡巡の後、意を決して口を開いた瞬間、ピカリと空に一筋の閃光が走った。

「あ、……のさ、うち、来る?」

途端、先程より激しく、更にバケツをひっくり返したような激しい雨音と共に雷鳴が轟く。神様は完全に爆豪の味方らしい。
何とも言えない微妙な空気の中で、静かに顎を引いた爆豪を視界に入れながら、今度は私が爆豪の手を引いて来た道を引き返した。

仕方ない、仕方ない、仕方ない、を何度も繰り返す。だって、とてもじゃないけどあの天候の中駐車場へ向かうのは危険だったし、爆豪が幾ら安全運転だからといって暴風によって大きく揺れる車に乗ってもしかしたらこれ以上悪くなるかもしれない嵐の中を進むなど絶対に嫌だった。だからといって折角、(頼んでもないのに)来てくれた彼に対して「帰ってくれ」などと言えるわけもない。だから、仕方がなかった。そう自分に言い聞かせても、心臓は厭に脈を打って、どくどくどくのたうち回るように苦しい。
結局、家に上がってからもずっと黙り込んでしまっている彼にどんな態度でいれば正解なのか分からなくて、冷蔵庫から適当な食材を取り出して「小腹空いたね」と軽食の準備に取り掛かることにしたのだ。勿論緊張で腹の減りなど全く感じていなかったわけだけど。
口実として作り始めた軽食はあっという間に出来上がってしまい、食事中も碌に会話という会話をしなかった私達の間に流れる空気は、やはり重たく、ずっしりとした湿気を纏っていた。
───何故、何故こうなってしまったのか。それだけをここ数ヶ月考えている。きっと全て私の勘違いで、自意識過剰だと思えれば、今まで通り私達は笑い合えて、隣同士に並んで出かけることだってできたはずなのに。

頼れる親友であり同期だと思っていた彼はいとも簡単にその関係を崩した。いや、爆豪が悪いわけではない。きっと私だけが悪い。私だけが、
あの日、2人きりの部屋で、炬燵に入れた脚が爆豪の足に触れた時、ふと見上げた爆豪の顔は親友の顔ではなかった。知っている筈の赤い瞳の奥で揺れる熱が、しっとり濡れた瞳が、私を欲しいと言っていた。
思い返してみれば、爆豪は最初からそうだった。私にだけどこか甘く声音は優しく、瞳の中は蕩けるほど熱く燃えて、いた。私はずっとそれに、気付かないようにしていた。
そしてその唇が開くまでもなく、私は爆豪が言いたいことが、思っていることが手に取るように分かってしまった。目は口ほどに物を言う、とはよく言った。今までの一度も彼をそういう目で見てこなかった私にとってそれは恐怖以外の何者でもなかったのだ。
一度意識してしまえば今までの触れ合いが途端に性的なものに感じられて、はらりと落ちた私の前髪を払おうとした爆豪の手を咄嗟に避けてしまった、あの、心地の悪さから、罪悪感から、今日までずっと避けてきた代償が、今、きている。
現場ではいつも通りに接してくるくせに二人きりになった途端接触を避けられ距離を取られるなんて、彼からしたら全くもって意味が分からないだろう。だって爆豪は私にまだ何も、言っていないのだから。


「最近態度悪かったよね、ごめん」

灰色の空に閃光が走り抜ける。
爆豪は家に入ってからというもの存在感を消して、ただただ静かに私の一挙一動を観察するように眺めているだけで、特に何をしようという下心は一切見受けられなかった。距離は十分に取られ手を繋ぐ以外の接触はまだ、ない。
腕を組んで窓際の壁に寄り掛かる爆豪の双眸が、ソファの上で膝を抱えている私を来た時と同じように、責めるように見下ろしている。

「ごめん」

何に対してと聞かれたら困る。無意識に溢れた気持ちは、多分、きっと、爆豪の想いへの拒絶だった。告白すらさせずその気持ちを踏み躙って捨てさせようとしている自分の愚かさや残酷さには殆呆れている。それでもやはり、怖いのだ。親友だと、思っていた男に異性として見られているのが、この関係が崩れてしまうのが、たまらなく。
膝の間に顔を埋めた私を見て爆豪がどう思ったのかは分からない。ただ、私よりずっと冷静な爆豪は、落ち着かせるように、どこか請うように「隣、座ってもいいか」と声をかけてきた。

「……どうぞ」

顔を上げずに言うと、ゆっくり足音が近付いて、人一人分離れた所に爆豪が座りソファが沈む。

「押し掛けて悪かった」
「…………え、」

あ、謝ってる。爆豪が。驚いて思わず顔を上げると、やはり気を遣って私から少し離れて腰を下ろしている爆豪が続け様に「勝手に触れて悪かった」と。そう言い伏せられたまつ毛にギョッとする。あまり見たことのない、傷付いたような顔に、声音に、纏まらない思考で上擦った言葉が口をついて出る。私はそれに少しだけ後悔した。

「べ、……別に、許可さえ取っていただければ触ってもらって全然いいんですけど」

本当に何を言ってんだ。何を言ってんだよ。爆豪も何を言ってんだよという顔で私を見ている。そりゃそうだ、散々自分を避けて今日だって当日ブッチしようとした女が「許可さえ取っていただければ触ってもらっても全然いい」なんて、いい訳あるか。なんだそれ、なんだそれ。

「ごめん爆豪がそんな顔してるから、私ちょっと吃驚して、忘れてほ───」
「触りてェ」

お前に、みょうじに触りてェ。前みたいに。
切実だった。剥き出しの心臓を、心を、差し出されているような、真っ直ぐさがそこにあって、空からぶら下がる透明な糸が私を操るようにこくこくと頷いてしまう。
爆豪は同意がなければ手を出さない。無理矢理手篭めにするような人ではない。分かっていたのに、怖かった。20年間恋愛とは無縁だった私にとって、頼れる親友から向けられる好意は脅威ですらあった。興味もないのに面白いからと観せられた映画の中の男は、相手の気持ちを確かめもせず強引に唇を奪い、いつも乱暴だった。一方的に好きになって一方的に求めることが恋愛だというのならそんなものしなくていい、私は、そんなもの知らずに生きていきたい。
でも爆豪は、映画に出てくる自己中心的な、一方的に好意をぶつけ満足するような人間ではない。分かっていたはずなのに。

僅かに腰を浮かせた爆豪が、拳二つ分空けて隣に座り直した。向かい合って、そっと、膝を抱える私の手に触れて、解いていく。

「あ、あつい」
「仕方ねえだろ」
「仕方ねえんですか」

脚は床に降ろされ、左手はやんわり絡め取られている。数ヶ月前までは何の気なしに触れていたはずのその手は、私が知っている体温よりずっと高く、湿っているせいか掌がぴったりとくっ付いている。触れている指先から移る熱が身体中を駆け巡り、緩やかに心音が早まっていく。
嫌ではない。爆豪の手が、嫌ではなく、寧ろ、落ち着ちつく。視線を手から爆豪に移す。唇を結んで同じように私を見ていたその顔は、桜色に染まっていて、そんな顔もするんだと心臓の奥がやたらと騒ぎ出す。

「それも仕方ないの?」

揶揄うようにして右手で指差した頬にぐっと一層強く唇を結んだ爆豪が、仕返しと言わんばかりに繋いだ手に力を込めた。燃えるように揺れる赤い瞳に映る自分の顔は、鏡で見たより可愛く思えた。これが、爆豪から見た私なのだろうか。もしそうなら、私の瞳に映る爆豪はどんな顔をしているんだろう。

「───」

雨音より小さな声が足元に沈んでいく。え? と聞き返そうと僅かに身体を寄せた私を、静かだが鋭い眼差しが貫く。蛇に睨まれた蛙のように、まるで身体が言うことを聞かず、爆豪から目が離せない。

「……仕方ねえだろ、好きになっちまったんだから」

ふたつのあかい目玉は獣のようにぎらぎらとした熱を孕み、けれども慈愛や優しさを含んでいた。
私を怖がらせないようゆっくり上げられた手が、爆豪自身の額に当てられ、はぁ、と参ったように溜息をつく。額を滑って前髪をくしゃりと混ぜたまま俯いた爆豪の声は低く、掠れていた。

「惚れた方が負けなら、俺は随分前からテメーに負けっぱなしなんだろうな、クソ。認めたくねェけど、そうなんだよ」
「……え、…………え?」
「俺がテメェに惚れたことに対して、謝るつもりも、撤回する気もねぇ。今すぐ受け入れろとも言わねェ。ただ、辛気臭え顔で避けんのだけやめろ」

突然の暴露だ。今まで静かに心のなかで育てていたであろう恋心を、突然、ごっそりと裸のまま目の前に突き出してきた。剥き出しの好意が、そこに、ある。

「ま、け、……私、爆豪に勝ったの?」

なんと言って良いのか分からない。何が正解なのかわからない。分からないまま、負けたと心底悔しそうに白旗を握る爆豪が、私の言葉に奥歯を擦り合わせてわなわなと身体を震えさせる。

「こっから勝ちゃいいンだろうが。絶対ェ勝つ。見てろ、今度はテメーが負ける番だ」
「爆豪、私と両想いになりたいの……?」
「ッそうだって! 言ってんだろうが!」
「言われてないような気がするけど……」

気付けば気不味さはどこか遠くへ飛んでいて、代わりに胸を満たすのは言い様のない幸福感だった。じわりじわりと頬が緩んでいくのが分かる。どうしようもなく嬉しくなって、私は思わず笑ってしまった。すると一瞬だけぎょっとしたように目を見開いた爆豪もふっと笑って「ハッ! ダラシねー顔」なんて言う。君も相当だけど、とは言わない。
笑い声が止んで、一瞬シンと静まった。煩いほど窓を叩きつけていた雨はいつの間にか止んで、風は衰え雷鳴すら聞こえなくなっている。嵐が、過ぎたのだ。
地獄のように赤い空の色が部屋を染め上げて、私と爆豪の顔も同じように色を付けている。何ヶ月か胸の中で抱えていた恐怖は嵐と共に消え失せて、代わりに芽生えたのは生温い好奇心と、少しの好意。私は、親友ではない爆豪のことを知りたい。

「もう片方の手も、繋いでいい?」
「ん」

おそるおる手を伸ばすと、緩慢な動作で伸びてきた手に掴まれぎゅう、と指を絡めれば、同じくらいの強さで握り返される。触れ合った肌は熱いけれど、やはり不思議と、不快ではなかった。

「なんか、爆豪なら、大丈夫な気がしてきた」

なにが大丈夫なんだ、と聞き返されることなく、フンッと得意気に鼻を鳴らした爆豪が絡まった指先を、確かめるようにゆっくりと撫ぜる。映画のそれとは違い、爆豪の、剥き出しの好意は柔らかく身に染みていくようで、心地いい。。
一方的に押し付けるだけが恋ではない。一方的に求めるだけが恋ではない。強引さはなくていい、心を溶かす優しさがあれば、それだけで。

2022‘0311





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