とーきょーまんじ | ナノ


「テストで百点がとれなくても、キラキラ星が吹けなくても、跳び箱で3段跳べなくても、わたしは稀咲くんのことが好きだよ」

放課後の下駄箱で偶然鉢合わせたなまえは"おはよう。今日も寒いね"と世間話をするような滑らかさでそう言った。
抑揚のない穏やかな声が静まり返った二人だけの空間で反響して、稀咲の手から握っていたスニーカーが滑り落ちた。

「稀咲くん大丈夫? 落としたよ」

ゆったりとした動作で腰を曲げてスニーカーを拾うと、"どうぞ"と手渡される。そのとき触れた指先が火傷しそうなほど熱く、受け取ってすぐ手を引っ込めてしまった。感じ悪かったかな、不安に思ってなまえを見ると、声をかけて来たときと同じ、海のように凪いだ目で稀咲を見ていて心が解けた。

ありがとう? ごめん? なんて返せばいいのか考え倦ねる稀咲の横で小首を傾げて不思議そうに"稀咲くん、大丈夫?"と言うから慌てて口を開くと、声帯が震えて、上擦って縺れた声しか出てこない。
稀咲は沸騰しそうなほど全身が熱くなって血が頬に上るのを感じ、咄嗟に俯いた。その間に、なまえが帰ってくれたらいいのにと拳を握ると、そっと伸びてきた柔い掌で包み込まれ、思わず顔を上げる。そこには目を細めて柔和に微笑むなまえがいて、稀咲は拍子抜けした。

「ッあ、…え?」
「稀咲くんの手、冷たいね」
「……どうして、」

出かけた言葉は上がったり下がったりを繰り返して、結局喉奥まで落ちて、口を噤む。なまえはテストで満点が取れなくても好きだと言うが、神童でない自分に、価値などない。勉強しか取り柄のない自分からそれを取れば何も残らないというのに、どうして? じわじわと黒い靄が稀咲を包んでいく中、なまえは包んだ拳をぎゅぅと握った。そして、どうしてって、なにが?とでも言いたげな表情で真っ直ぐ瞳を捉えて、稀咲の口が開くのを待っている。

「……みょうじは勉強ができなくても僕の事が好きって言うけど、僕はそうは思わない…」
「ふ〜ん? どうして?」

疑問の色を滲ませた瞳でじっと見詰められ、稀咲はたじろぐ。握られたままの拳が汗をかいて、なまえの熱が移ったようにずっと全身が熱い。その熱に当てられたかのように素直に心内を吐露してしまう。こんなことをなまえに言って、どうなるというのか。そう思うのに。

「だって…みんな、神童じゃない僕に興味なんて、ないから」

稀咲の震えた声や、下がりきってぎゅうぎゅうに寄せられた眉毛を見て、なまえは感情がごちゃ混ぜになった。そんなことを言わないで、わたしの好きを否定しないで。しかし思考と脳みそは混ぜっ返してどう伝えればいいか分からず、一層強く拳を握ったまま勢いのまま言葉を吐き出した。

「みんなのことは知らないけど少なくともわたしは違うよ。稀咲くんのどこが好きかって聞かれたら、分かんないくらい好き。気付いたら目で追ってて、あぁ、好きだなあって思うの。でも、強いて言うなら……そうだなぁ、稀咲くんか給食当番の時ポークビーンズ少なめで入れてくれる優しい所とか好き。苦手だって話したの覚えてくれてたんだね、ありがとう。えっと…それとね、逆上がりこっそり練習してるとこも好きだし、リコーダー下手っぴなのも可愛くてす」
「まっ、待って!!」

そんな風に自分を見ていたなまえにむず痒いような気恥ずかしさを覚え堪らず握られた手を振り解き、ランドセルの肩ベルトを代わりに握り締めた。

汗ばんだ手が舞い込んだ風によって冷やされていくのを感じて、稀咲はぶるりと身震いする。それなのに、首筋から耳の辺りがじんじんと火照って沸騰した血液が全身を駆け巡るように熱い。これ程までに素直でまっすぐ向けられる笑顔と何の混じりけもない好意を何もかも初めてで、稀咲はうまく受け止める術を知らずに戸惑ってばかりいる。

「もう、良いから……言わないで…」
「ごめんね、嫌だった?」
「そうじゃなくて…恥ずかしいから。あと、嫌じゃ、ない…」

言葉尻はどんどん小さく細いものになっていき、気恥ずかしさから身体が独りでに動き出しそうなのを必死になって食い止めてる。稀咲の心には騒ぐ波が広がり続け、彼女の声と自分の鼓動しか聞こえないようになっていた。

「そっか、よかったぁ! それじゃこれから毎日伝えるね」
「ま、毎日…」
「ごめんね長い事引き止めて。そろそろ帰らなきゃ。また明日ね!」
「えっ、あ、うん…また明日」

嬉しさを隠さないなまえの、向日葵のような眩しい笑顔に釣られて口角が上がるを感じた。彼女はあっという間に稀咲の横を通り過ぎていく。
自由な人だなと後ろ姿を呆然と追っていたら勢い良くなまえが振り返って、稀咲に手を振る。

「言い忘れてたー! 好きだよ、稀咲くん! じゃ!」

言い逃げするように運動場から走り去っていく彼女が、落ち葉を踏みつける乾いた音がやけに大きくかしゃかしゃと鳴っていた。
穏やかな嵐は稀咲の心を好き勝手掻き乱して去った。
受け取ったスニーカーをそのままに、稀咲はその場にしゃがみ込む。
初めて告白された、どうしよう。返事してないのに満足そうだった。手、熱かったな。毎日告白するってなに。明日どんな顔をして会えばいいんだろう。ぐるぐる回る思考を振り切れず、煩いほどに高鳴る鼓動の中で稀咲の脳内には彼女の、去り際の笑顔が暫く鮮明に浮かんで、離れなかった。
21’0925








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