とーきょーまんじ | ナノ


「...こんなもん置いてって、帰ってくる気かよ、バカ」

数ヶ月前に別れた恋人の、置いていった革靴を夜な夜な磨いている。それはもう病的に、気が変になりそうな程には。
恋人だった蘭は気紛れにも程があって、愛嬌のある猫みたいな人だった。別れた恋人の、とは言ったものの実際には別れ話の一つもなく、ふらりと帰って来なくなった、だけなのだ。連絡一つも寄越さずに、“そんじゃあ、行ってくるなぁ”と緩やかにわたしの頭を撫でた、それきっり、帰って来なくなった、だけ。

わたしの住む小さな小さな箱は思い出の詰まったアルバムみたいで、何処を見ても鮮明に愛し合った日々が蘇る。
視界の一面に広がる白と濃い青色が歪に真っ二つに別れた壁紙は、わたしが徹夜で貼り付けた剥がせるタイプの真っ白な壁紙に蘭とふたりで刷毛を持って塗りあったもので、途中で飽きてしまった蘭のせいで半分しか濡れていない。部屋の半分を締める馬鹿でかいソファは、「狭い部屋だからそんなに大きなソファは要らないよ」と制止するわたしを無視して蘭が勝手に購入してきたものだし、70インチのバカみたいな大きさのテレビだって「デカい画面の方が迫力あんだろ」という理由でこれまた勝手に設置してったものだし、もこもこのカーペットも気持ちが良さそうだからと掃除のしにくさなど考えもせずに敷いていった。
こういった具合でわたしは日々、蘭との思い出の中で、生活をしている。

蘭がへんに靴なんて置いていくから、わたしは心のどこかで有りもしないもしかして、を考えてしまう。
だからお風呂場には蘭が気に入ってたLUSHのキラキラのバスボムを捨て切れずに保管しているし、一段高い場所に置き換えられたシャワーが未練がましくそのままにしてあるし、3年目の記念日でプレゼントして爆笑された挙句気に入られて、週4で履いていたわたしの顔がプリントされたパンツも、「オレメロンのやつが好き」と言われてから初めて買った味付きの歯磨き粉も、パンツのお礼にと渡された蘭とのイケイケグラサンツーショットのお揃いTシャツも、一度だけ強請って書いてもらった、ラブレターと呼ぶには余りにも雑すぎる手紙も、何もかもわたしは未練がましく、捨て切れないで持っているし、帰ってくるのを待っている。

人が1人、減っただけ。ただそれだけなのに、わたしの心は空っぽで、この狭い部屋すら、随分と広く感じてしょうがない。

玄関の鍵はもうずっと開けっぱなしで、わたしは帰ってくることのないもう一人の家主の帰りを待っている。今日も、明日も、蘭を忘れるその日まで、待っている。

21’0914






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