とーきょーまんじ | ナノ



人が恋に落ちる瞬間というのは必ずしもロマンチックで可愛らしくキラキラと光るようなもんじゃないらしい、と思ったのは先日の兄ちゃんのなまえに対する奇行やあの日以来「竜胆〜ピー助来ねぇの?」としつこく聞いてくるため、まあ、あれは他に類を見ない兄ちゃんなりの恋に落ちる瞬間だったのかもしれないな、と弟のオレは思ったのである。

△▼△▼

【今日兄貴いない】
【大丈夫?本当に大丈夫?だましたらきらいになるからね】
【いねーから早く来い】

あれからなまえは兄ちゃんが出掛けたのを見計らって兄ちゃんとオレの家に来るようになった。
メールで何度も本当に本当?と確認に確認を重ね幾つものRe:が並んでいるのは、以前出てったはずの兄ちゃんが戻ってきてなまえを見つけた瞬間何処から取り出したのか、何故かサイズがぴったりな可愛らしい小ぶりの花柄のシフォンワンピース(それ以外にもミュールやチェックのワンピース、何故かフルートやスイカを持たせたこともあった)を無理矢理着させて写真会を開催したことがあるから、かなり警戒しているのだ。
泣き喚いてりんちゃんりんちゃんとオレに助けを求めるなまえの姿と瞳孔の開ききった兄ちゃんのにたり顔。思い出すだけで胃が痛む。
それでも兄ちゃんとオレの家を気に入って入り浸っているから冷蔵庫にはなまえが好きだと言っていたどこのスーパーでも売っている3つ入りの安いプリンとオレンジジュースが常備されるようになった。しかしそんな平和であたたかな日常がいつまでも続くはずがなく───俺には関係ないけど世にいう「地獄のテスト週間」の最終日に事件はおこった。
いや事件はちょっと言い過ぎたかもしれない。

「あいつの顔が見たい」

オレが学校から家に帰って借りてた映画でも観ようとリビングのドアを開けた時、ソファにうつ伏せになった兄ちゃんがぼそっと呟いたのだ。
ソファからハミ出た左側の手足をだらりとカーペットに垂らして「あいつの顔が見たい」のあいつなんてなまえしかいないし、うわこれ相当キテんなと弟のオレは察知して自室に入り速攻でなまえに電話をかけた。
ツーコールで出たなまえは欠伸をしながら間延びした声で「どうしたのぉ~ふぁ~」と2度目の欠伸をこぼした。

【今すぐ家に来い、頼む】
【今すぐぅ?やだよ~べんきょーしすぎて疲れたし今から寝るもん。絶対寝てやるんだから。それに明日会えるし我慢して!じゃあねりんちゃんおやすみ~ふぁあ~あ】

一気にまくし立てたなまえは3度目の欠伸をして即電話を切った。ツーツーと無機質な音が耳元で繰り返され静かな部屋に響く。……まずい、これはまずいぞ。どうする竜胆考えろ。兄ちゃんをどうやったら……。
ハッと、オレは閃いた。そうだ、明日。電話でなまえが言っていた通りオレ達は明日会う。
勢いよくドアノブを回しリビングに駆けた。可愛い弟の笑顔と朗報を持って兄ちゃんの元へ行くオレはなんて出来た弟なんだ、まじでたまには褒めて。
普段の兄ちゃんなら「オレ山とか無理。虫とか草アレルギーなんだよなぁ~」と宣っていただろうに、どうしても栗拾いがしたいから連れてけと駄々をこねたなまえと明日山へ行くと話したら「オレ山大好き♥」と弾んだ声でソファからのっそり起き上がった。なんて現金なんだ。

結果としてなまえを売るかたちとなってしまったが兄ちゃんを復活させる為なら安いもんだ。許せなまえ。

△▼△▼

「りんちゃんの裏切り者!嫌いだぁ!ばか!自販機のアイスみたいな髪してる!眼鏡!」
「悪かったって。それよりオマエの語彙力どうなってんだよ」
ウキウキルンルンとしてるなまえをバイクのケツに乗せて目的地に辿り着いて早々に、何処からともなく現れた兄ちゃんがトトロよろしくバカでかい葉っぱを片手になまえに近付き、無理やりそれを握らた。
キッとほんのりまるいアーモンド型の瞳を細めてオレを睨むなまえが、クソみたいな語彙でオレを罵るがまあ甘受するよ、お前が言う通り確かにオレは裏切り者だしな、と憐れみの目を向けた。てか、ホント何してんの? 兄ちゃん。

「おいこらピー助、無視してんじゃねぇぞ」
「ひぅっ、あ……」

あぁ、胃が痛んできた。地獄のセルフ写真会の開始だ。勢いと押しが強すぎる兄ちゃんにびびり固まるなまえ。
既に何十回とシャッターは切られている。今までの写真の枚数を合わせたら一体何冊の写真集が作れるんだろうな、と数え切れない枚数を思い身震いした。こわ。完全にストーカーのそれだよ。

「オマエ森の妖精だろ。ユニコーン呼び出せよ」
  「ら、……ら、ら…んさんは怪獣だから火吹けるの?!」

相当名前を呼ぶのが嫌らしいなまえは下唇を強く噛んで今にも溢れ出しそうな涙を堪えて言う。
しかし相手は兄ちゃんだ。同情するわけもなく、俺と同じ淡い瞳を細めて「どもってんじゃねーよ。吹けるわけねぇだろ」と低くもらした。
恋愛経験の少ない俺でもわかるけどさ、それマジで好きな子に対する態度で合ってんの? 絶対違うよな。

「なにこのひと!!」

ついに目尻から雫を落としたなまえがバカでかい葉っぱの茎から手を離し俺の元へかけると、前回のようにパーカーを捲って冷たい秋風と共に入り込んできた。もう一枚着てて良かった。
中でモゾモゾ動く小さな生き物が「私だって無理だし!」とくぐもった声で再び叫び、それに負けない声量で舌打ちした兄ちゃんにびくっと身体を震わせた。

「ピー助」
「……ピー助じゃないもん」
「なまえ」
「……知らない人に名前を呼ばても無視しなさいって言われてます……」
「じゃあオマエの飼い主呼びな」
「……っ、うっ……、……うぅ……り、りんちゃん......」

ぎゅうっと俺にしがみついて助けを求めるなまえにどうしたものかと兄ちゃんを一瞥した。
ポケットに両手を突っ込んで立ってるだけなのに、兄ちゃんは雑誌の特集に載ってそうなほどいかしてる。枯葉のさざめく音も鳥の囀りも太く立派な幹に張り付く苔も、雑に切り取って無理やり合成したように見えるほど俺の兄ちゃんは森に似つかわしくない。きっとこんな状況じゃなきゃ腹を抱えて笑ってただろうな。とか言ってる場合じゃないんだよな。今そのいかしてる兄ちゃんに泣かされてる小動物が俺の胸の中でぴーぴー泣いてんだから。

「あ〜、兄ちゃん、なまえ泣いちまったし今日はもう終わりでよくね?」
「……」

俺の声は届いているのかいないのか、淡い虹彩は瞬きもなくじぃっと俺の腹のあたりを見詰めている。やっぱりなまえに会うと変なんだよなあ。

僅かな罪悪感に心臓が締め付けられるのを、服の上からなまえの背中(だと思われるところ)を摩って紛らわすけど下から「そんなんで許さないからぁ!」と鼻頭をヒートテックになすられているような気がする。まあこれも甘受する。
なまえに気を取られていると大きな影に全身がすっぽり覆われていて、目の前にはすっと感情の抜け去った顔の兄ちゃんがぬっと立っていて。気付けばパーカーの中にあったはずの温もりが消えていた。

「兄ちゃん?」
「っな、に」

俺となまえの声が重なる。兄ちゃんはやっぱり無表情のまま、色の無い瞳で涙でびしょびしょになったなまえを見下ろしている。
そして何も言わずに緩慢な動きで上体を曲げ、三編みがゆらりとなまえの顔を隠すようにぶら下がる。
兄ちゃんとなまえの距離が一気に縮まり、ひゅっと息を漏らしたなまえが後退ろうと足を浮かせた瞬間、間髪入れずに兄ちゃんの長い腕が伸びて細く骨張ったてのひらがなまえの小さな後頭部を掴んで顔を僅かに傾け、間抜けに開いた血色のいい口に唇を合わせた。

は、はあ!? なに、してんの、兄ちゃん?!!

「っぅ!?」

なんで今キスしてんの?! とかなまえファーストキスじゃねえか!とか思うことは沢山あったのにどれ一つ口から出ることはなく、呆気に取られていた。のも束の間、兄ちゃんは暴れるなまえを無視して啄むように何度も、それこそ恋人にするみたいに優しく唇を食む。

「ん、ぅふ、っ、」

なまえは酸欠なのか恐怖を感じたのか、再び涙を流して、それを見下ろす兄ちゃんの瞳はゆらゆらと淡い熱を孕んでいて、俺は思わず口を開けた。
比喩でもなんでもなく、なまえがまじで茹でダコのように顔を赤らめて地面にへたり込むと、兄ちゃんは満足したのか抑えていた手を離し何もなかったように澄ました顔をして踵を返してしまった。

取り残されたのは全身真っ赤になって放心状態のなまえと困惑で立ち尽くすことしかできない俺。

気の利いた言葉なんて微塵も浮かばないまま、座り込んだなまえの前に屈んで肩に触れる。と、それすらも今のこいつにしたら刺激になるらしくびくりと身体が跳ねて慌てて手を離した。
そういや初めて会った時もいきなり泣かれたよなあと懐かしくもなりつつ、今はそんな場合じゃないんだよ。流石に俺だって混乱してんの。

「大丈夫か?」

しゃがんでなるべく目線を合わせて言うと「だいじょ、ばない」と弱々しく吐き出した。そりゃそうだろ。俺が女で、しかもファーストキスがあんなふうに奪われたとなると兄ちゃんの頬ぶん殴ってたかもしんないし。

「立てるか?とりあえず落ち着けるとこ行こうぜ。な、ゆっくりで良いから」

うん、と力なく頷いたなまえの手を引いて、持ち上げるように立たせた。泣くのを堪えるように奥歯に力を入れているのは見受けられるものの、多分もう大丈夫だろうな、とは思いつつ念のため手は繋いだままゆっくり歩き出す。
少し進んだところにちょうど木製の小さなベンチがあり、そこに腰掛けさせると「あのひと、ほんとに、なんなの」とか「りんちちゃんのばかぁ」とか文句を口にしながら、子供のような小さな手できゅっと俺の手を握る。

「えー……あー、本当悪かったと思ってる」

正直俺もどうすりゃ良かったのかよくわかんねーんだけど、なんか、ごめんとしか言えなかった。本当に謝るべきなのは兄ちゃんだし。まあ半分俺のせいみたいなもんだけど。と、申し訳ない気持ちから項垂れた俺を見て、ぷいっとそっぽを向いたなまえがぼそりと「怪獣というか、ケダモノじゃん。絶対許してあげないんだから」と呟いた。

それからどうやってなまえを家に帰したのか俺自身どうやってここまで来たのかも覚えてないほど疲労困憊した俺は、鉛のように重い身体を引きずって家のドアノブに手を掛ける。ここが家なのに帰りたい、とまで思ったのは初めてかもしれない。
意を決してガチャリ、音を立てて扉を開く。
玄関に入ると兄ちゃんが履いてたローファーが綺麗に揃えて置いてあり、廊下の奥の、リビングに通じる戸が僅かに開いてそこから漏れ出た明かりと人の気配に無意識にため息が出た。
兄ちゃんにならってブーツを脱ぎ揃えて、クリーム色のスリッパに足を滑り込ませてからすり足気味で進むと、俺がドアノブを握るより先に扉が開いて、反射的に一歩後ろに下がった。
そして出てきたのは当然兄ちゃんで、薄い唇に三日月型の笑みを貼り付け眦を細めたその顔を見た瞬間、全身の力が一気に抜けた。

「に、いちゃん、ただいま」
「おかえり竜胆。なぁ、これ見ろよ。可愛いだろ〜」

手に持った束の内の一枚をヒラヒラと振って俺に見せてきた兄ちゃんの声は心做しか弾んでいる。

「え? あ、はっ? 兄ちゃんそれ全部現像したの?」
「10枚以上も同じ顔してンだよ。うけンだよなぁ」
「じゅっ......」

何を言っているのか理解できなかったしする暇もなかった。なんで同じ顔の写真を10枚以上も現像した? 何やってんの? なんのためにこんなことを? そんなのもう一つしかないだろ。

「凄えよく撮れてンな……」
「可愛い弟の頼みとはいえやンねぇよ」
「……」

いや別に頼んでねえし要らねえしと心内毒づく。
俺との会話に飽きたのか、兄ちゃんは写真の束を握ったままゆらりと背を向け自室へ戻っていった。

一人残されたリビングで、うっとりと柔く目を細めた兄ちゃんが放った『これ見ろよ。可愛いだろ〜』が何故か永遠に繰り返されている。
あれはやっぱり、何度思い返しても恋をしている人間の顔だった。そうなればやはり兄ちゃんの奇行は恋煩い故ってことになる。患ってるとしか思えない。俺がなまえを家に連れて行ったあの日、兄ちゃんがなまえを見つけて抱き締めた瞬間から、奇妙な、分かりづらい片想いを拗らせているってことに。








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