とーきょーまんじ | ナノ


どんな場所に連れて行こうが彼女は子供のようにはしゃいで“今が人生で一番楽しい”ととびきりの笑顔で言う。その顔は少し前に二人で見に行った満開の向日葵畑の向日葵よりも眩しくて、思わず目を細めた。
妹がいたらきっとこんな風に過ごしていたんだろうかと、ふと彼女と歩く兄ちゃんの姿を想像する。歩幅を合わせて荷物を持ったりして、“お前はどんくさいからなぁ”と彼女の手を引いたりするんだろうか。......いや、全く想像できない。“お前トロいから置いてくぞ”なんて言って俺に任せて自分一人ですたすた歩いて行く兄ちゃんしか浮かんでこない。実際どうなんだ?気になりだしたら妄想というのは止まらなくて、隣で喋る彼女に適当に相槌を打ちながら兄ちゃんとなまえが一緒にいるのを想像したけどしっくりくるものはなくて、いくら考えたって所詮は俺の中の妄想に過ぎないのだと現実世界に戻ることにした。

「ねぇ、わたしりんちゃんの家に行ってみたい」

この女はいつも唐突だ。
急に立ち止まったかと思えば腕を組んで俺の返事を待っている。これはお前が頷くまでわたしは此処から動かないぞ、という彼女なりの意思表示で、少し間抜けに見える。
背がやたらと小さくてひょろっこい彼女が腕を組んで仁王立ちしようが迫力なんて微塵も感じない。寧ろ小動物が威嚇しているようで、やはり間抜けだ。

「あー、別にいいけどなんもねぇよ」
「人のお家ってだけで楽しいからいいもん」

俺が頭を掻いて返事をするとなまえは組んでいた腕を解いて鼻歌交じりに近付いて来た。そのままぶらぶらさせていた手を俺の手に絡めて「お家どこにあるの?」とスキップしながら言われたら、俺はもう絡められた手を優しく握り返して、家に連れていくしか選択肢がなくなっていた。



「わ〜広いねやっぱりりんちゃん王子様なんじゃない?!快適すぎる。今が一番幸せかもしれない!」
「相変わらず安いなお前」
「失礼だね、お高い女ですよ!あ、りんちゃんリンゴジュース〜きんきんのやつ!」

無駄にでかいソファの上で厚かましく寝転びながら手足をバタつかせる彼女を無視して冷蔵庫から透明なペットボトルを二本取り出した。お高い女のくせにリンゴジュースを御所望とは。そもそもこの家にジュースはない。あってせいぜい酒だろう。

「制服シワんなるぞ」
「そんなの知らないよ〜!ねぇこれ水じゃん!」
「うるせー文句言うな」
「次からリンゴジュース置いといてね」
「また来んのかよ」
「来るよここはもうわたしの家でもあるからね」
「まじでどうなってんだお前ん家の教育方針」

けたけたと楽しそうに笑う彼女にきんきんに冷えた水の入ったペットボトルを押し付けて少しだけ捲れたスカートを直した。本当に世話が焼ける。
そもそも、ここに来るまでに25分はかかった。まず俺と兄ちゃんの住むマンションを指差して「これが家」と言えば「わ、すご、凄すぎ!なにりんちゃん王子様なの?!」とはしゃいで5分。エントランスからエレベーターホールをちょこまかと「ここまで来たら住む芸術作品じゃん!」とよく分からないことをぶつくさと言って回って20分。廊下でもきゃぴきゃぴとはしゃいでいたけど流石に早く家に入りたかったから担いだ。スカートの中身なんて知るか。俺は早くこの幼女みたいな高校生を突き刺さる視線から隠してしまいたかった。

彼女が仕方なく、といった感じでペットボトルの蓋を開けたのを確認して、湧き上がってくる尿意を解放すべくトイレに向かった。
たったそれだけの間で、だ。
ひゃあだかきゃあだか彼女のか細い悲鳴が聞こえて慌ててリビングに戻った。ソファに彼女はいなくて、視線をあげるといつの間にか帰って来た兄ちゃんがなまえの両脇に手を突っ込んで持ち上げていた。親が子供にするようなやつではなく、なんというか珍獣を見つけた人間がなんだこれは?と観察しているようなそれだ。それってどれだよ、なにが起こってんだ。

「兄ちゃ、ん......なにしてんの?」

兄ちゃんは瞳孔をかっぴらいて俺の方を向いて、腕を少しだけ下ろして彼女を抱きしめた。

「なあ竜胆この生き物なに?」
「っえ、なに?」
「なんだこの生き物。妖精かぁ?はは、まじでちっせー」

俺の声は一切聞こえない、といった感じで腕の中に閉じ込めた彼女の顔を何度も覗き込んでいる。その度“ひぃい”とか弱き生物の鳴き声が聞こえる気がしたけど無視した。兄ちゃんまじで、なにしてんの?

「なぁ、なまえビビってるし離してやってくんねえ?」
「これお前の女?」
「いやちげぇけど」
「ふーん」

聞いているのか聞いてないのか分からない相槌をうってなまえをソファに下ろすと、兄ちゃんは何事もなかったように自室へ戻っていった。本当に嵐みたいな人だな。

「な、に、なに、竜胆くんあの怪獣は、なに!?」
「落ち着けよ。それと怪獣じゃなくて俺の兄貴な」
「わたしが妖精に見えたって言ってたよ、やばい人?!」

あわあわと俺のTシャツの袖を握って揺らす彼女の頭に手を置いて、緩やかに撫でれば少しだけ落ち着いた。のも束の間、兄ちゃんが部屋から出てきて俺からひったくるように彼女を奪うと、全身を触り出した。一瞬の出来事で止めるのも忘れて呆気に取られている。本当にどうしたっていうんだ。

「り、んちゃ、りんちゃん、たすけて」
「俺は蘭な、蘭ちゃんって呼んでいいぞぉ」
「あっ、...りん、ちゃ、」

怯えている。完全に。彼女のアーモンド型の瞳いっぱいに涙が溜まって今にも溢れそうだ。小さくりんちゃん、と呟いて俺を見ている。兄ちゃんは触れていた手をポケットに突っ込んでメジャーを取り出すと、今度は身長をはかりだした。まじで妖精かなんかだと思ってんの?

「兄ちゃんどうしたんだよさっきから」
「うぅ、うっ」
「おいチビ泣いてんじゃねぇよ。怖いことなんかなんもしてねぇ〜だろうが。それともどっか痛えの?」

とうとう泣き出したなまえの顔を覗き込んだ兄ちゃんが雑に袖で涙を拭いて、メジャーを引っ込めた。それからボソッと透明じゃんと言っていたが涙のことか?ピンクの液体や宝石の粒を流す人外だと本気で思っているんだろうか、俺はもう怖くなってなにも聞けなくなった。

「泣き止めよピー助。そんな垂れ流してたらお前ちっこいんだから枯れちまうんじゃねぇか?」

もうカオスだ。けたけた笑う兄ちゃんに滝のように泣いているなまえ、をただ突っ立て見ている俺。地獄か?ここは。
なまえは兄ちゃんから解放されると今までで見たことのない動きと速さで俺のTシャツの中に顔を突っ込んできた。直で当たる息が擽ったい。流石の俺も謎の罪悪感を感じで服の中でもぞもぞと動く彼女を兄ちゃんから隠すように持ち上げてぐるりと背を向けた。

「あ、おい鼻水腹に擦り付けるな、くそなまえ!」

不快過ぎてなまえを引き離そうと伸ばした手はあっさり掴まれて、「これはりんちゃんの責任でもあるんだよ!」と涙声で言われたからなにも言えなくなった。まあ確かに止めなかった俺も悪いかもしれない。悪かったよと再び抱き締めると更に顔を腹に押し当ててきやがった。

「......」

ふと、背後から殺気にも似た視線を感じて振り向くと、兄ちゃんがメジャーをソファに投げてゆらりと玄関へ向かって行く。一瞬見えたその横顔が酷く冷え切っていたから中途半端に開けた口を閉じて、声はかけなかった。今日の兄ちゃんいつにも増してわかんねぇな。







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