お返し
「井吹君、悪いんだが何か宛がう物無いか?」
暇をもてあまし、屋外の掃除でもするかと草鞋を突っ掛けた直後、背中越しにかけられた声に振り向く。振り向いた先には宮路が居て、見れば頬から血を流しているのが分かった。
「な、あんたそれどうしたんだよ」
市中の見廻りで怪我でもしたのか、そんな意味も含め宮路へと問い掛ければ。緩く首を振って見せ、ますます意味が分からず首を傾げる羽目になった。
「ちょっと稽古中に下手打ってな、……っ」
そう言って血を拭おうと挙げた右手が患部に触れることなく下げられる。どうしたものかとその部位を凝視すれば僅かに腫れているのが分かった。
「山崎の奴は出ていたみたいなんだよ」
小さく呟かれたそれに頷きを返す。久々に稽古中怪我をして気がたっていたのか、流れる血は止まる気配を見せず流石に垂れ流した状態で動き回るわけにもいかず。とりあえずと間に合わせで宛がう物を探していれば俺の様子に気付いた井吹君が今現在治療にあたってくれている。
「……悪いな、井吹君」
申し訳ないやら、情けないやらで呟けば。怪我人は黙ってろ、とぶっきらぼうな口調で返される。それもそうかと大人しく従い、治療を続ける井吹君をぼんやりと見詰めることにした。山崎君は確かに医療方も兼ねているから治療は上手い、だがそれに劣らずとも井吹君の治療は手際が良いように思われた。
「……っし、一先ずはこれで大丈夫なはずだ」
丁寧に頬を拭われ血止めの軟膏を塗られた後。水を張った桶で手拭いを濯ぎながらそう言われる。ぱしゃり、水が跳ねる音に耳を寄せながら礼を伝えれば。
「……別に、俺が誰を心配しようと自由だろうが」
僅かに俯きながら言われたそれに自然と頬が緩むのを感じ、妙に気分が高揚した。
「……そっか」
何て返すべきなのか。頭の中で問答を繰り返した結果出た、当たり障りのないありふれた返しに井吹君はそっぽを向きつつも頷いてくれた。
お返し
(有り難うな、井吹君)
(緩く笑みを浮かべた宮路はそう言っていつだかと同じように俺の頭を撫でた)
‐End‐
20110508.