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夏のおわりと

※現代注意
「こどもだと思っていたのに、いつの間にかおとなの顔をしてるんだ」

別段誰に話すわけでもなく呟かれたそれに返事を返すことは躊躇われた。医療用の白い眼帯に覆われていない左眼が写す存在は俺の位置からは見えない。だからといって長船が示す相手を知りたいという欲求は沸かなかった。相手としても俺に聞かせるつもりはなかったのかもしれない。答えを寄越さずに、ぢゅと音を立ててストローを経たカフェオレが妙に舌に残った。

「お前が知らないだけかもしれないだろう」
「そうかな」
「いや、分からないが」
「あはは、どっちなんだい」

軽やかに弾む笑い声は長船のものがひとつ。その後に続くのは俺が喉を鳴らして笑った音。

「お前はおとななのか?」

ちら、と僅かに高い位置にある隻眼に問う。俺がフェンスに肘を預けていることもあって普段は拝むことのない下からの長船を覗き込んでのその言葉には曖昧な笑みが返された。少なくとも、そう笑って返す反応は妙におとなぶったガキのすることだろうと思ったままのことを口にすれば風に揺れる前髪に指を絡ませた長船はバツが悪いかのように小さく舌打ちを漏らす。

「お、珍しい。生徒に大人気の長船先生の舌打ちはレアだな」
「させた本人がよく言うよ」

悪い顔をして笑うのはおとなの専売特許だ。

「告う気はないんだろう」
「さあね」
「てっきり肯定が返ってくるかと思えば」
「驚き、だろう?」
「五条の真似か?」
「まあ今行動を起こすのは時期尚早、とは思っているかな」

短くなったタバコを携帯灰皿にねじ込みながらの言葉に肩を竦める。不意に横から攫われたカフェオレのパックは俺の右手から長船の右手へと移っていた。

「ゴミ捨てといて」
「オーケー、任されたよ」

何の躊躇いもなく咥えられるストローに登っていくカフェオレ。口直しに使われたそれを長船に預け、勢いを付けて態勢を整える。びゅう、と吹いた風に白衣の裾が揺れたのを感じた。

「結局なにも解決していないな」
「別に解答が欲しくて宮路先生に話したわけでもなかったしね」

スーツの襟元を正してフェンスから背中を退けた長船はそのまま此方を振り返ること無く歩いて行く。

「また何か悩んだら付き合ってやるよ、次はビールが良いな」
「あははっ、それはどーも。考えておくよ」

後ろ手にゆるく振られた革手袋を見送りつつ伸びをする。見上げた空は青かった。



夏のおわりと

 20170812.