にげる
異様に腹が立って、どうしようもない時。八つ当たりだとか、そんなことはしたくなくて。でもどうしたって自身の中で燻る感情の逃げ道がなくて。ならどうすれば、となった時には大抵寝逃げをするか、煙草にすがり付くか、或いは酒の勢いで忘れてしまうか、それか、泣くか。
「……珍しい姿だね、お前にしては」
しん、と静まりかえるエントランスに響いた声に俯いていた顔を僅かに上げる。見れば毛布で身体を包んだレンちゃんが居て、ああこの子はまた深夜に徘徊してるのか、いやそれは俺もだけどな、と自嘲染みた笑いが喉をついた。俺を見詰めるレンちゃんは怪訝な顔をしていて、たった今「珍しい姿」と揶揄された原因である煙草をちらりと一瞥して見せた。
「禁煙、とは決まりは無いしちゃんと携帯灰皿で処理はするよ」
言うと同時に揉み消して、カチン、と蓋を閉めてハードケースと共にスラックスのポケットへと仕舞う。口直しとばかりにタブレットを数粒放り込めば差し出された右手にケースごと握らせてやる。
「別に咎めちゃいないよ、人間だからねお前だって。何かあったのか、なんて野暮なことは訊かないさ」
美味しいね、これ。小さく喉で笑うレンちゃんとその傍らに座る俺。たまにね、こうやってやさぐれるの。アイドルだから、煙草はこういう時だけ。酒も、付き合う程度に。
「それでも、まだしんどい時は誰にも見られずに済む場所でひたすら泣き喚く」
意外でしょ、俺のキャラ的に。悪戯げに口端を釣り上げて見せればレンちゃんはふい、と視線を逸らす。
「お前の逃げ道がそれ、なだけでしょ。オレには関係ないさ」
だからオレは居ないと考えて、好きなだけ泣けば良い。それきり黙り込むレンちゃんに一言礼を伝えて、ぽたりぽたりと頬を伝って床へと落ちる涙をただぼんやりと眺め続けた。
にげる
(レン、ありがと)
(さっき、聞いたよ)
(ん、でももう一回言わせて)
(……好きにすれば)
‐End‐
20120828.