- ナノ -

断片



いくら名前を呼ぼうとも、今目の前で地に横たわるその人が蘇るわけもなく。ただただ溢れ出す感情をどうしようも出来ずにひたすら地に拳を降り下ろした。呼んだ名前は確かに知っているはずなのに、いざ口に出そうとしたところで音になることはなくて。それならば俺は今誰を見て、誰を呼んでいるのか。

「……っ、」

あと少し、もう一歩で思い出せる。そう思った直後、視界が真っ暗になったのが分かった。



昼休みの空き時間を利用して何か描くかと、中庭にスケッチブックを片手に向かえば。不意に肩へ走った鈍い痛みに思わず手に持っていた荷物を落とす羽目になった。見ればぶつかってきた相手は俺よりも高い位置に顔があって、その顔は俺に気付くと途端に眉根を寄せその場に落ちたスケッチブックと購買で買った昼飯の入ったビニール袋を拾い始めた。

「悪いな、とりあえずぶちまけちまったもんは全て拾ったが怪我とかしてねえよな?」

俺に拾った荷物を手渡したそいつは腰を屈めてこちらを覗き込みながら眉間に皺を寄せて心配げにそう聞いてきた。その問いに浅く頷きを返せばそれまでの表情が一転、途端に微笑を浮かべ「なら安心した」と安心した素振りを見せる。その表情が何故か、酷く見覚えがあるものだった気がするのは気のせいなのか。

「…あんた、何処かで会ったことないか?」

不意に気付いたことがあり、前後の脈略も関係なしにそう問えば。一つ二つの瞬きをして見せたそいつはへらりと悪戯げな笑みを浮かべた。

「何、それって新手のナンパか。生憎とあんたに会った記憶は無いな。あー、俺は直衛千里。一年、そっちは?」

俺の言葉を否定したそいつに名前を聞かれて。それはそうか、と納得をしつつも自己紹介をすれば「平助と同級な」と見知った名前を口に出されたのが分かった。

「…っ、」

あんたは平助と知り合いなのか。そう聞こうとした直前、ぐらりと傾く直衛の身体を咄嗟に支える。拾ってもらったばかりの荷物を放ったのは急だったからと言い訳をしておく。

「……わり」

僅かに呼吸を荒げたままに直衛は額に脂汗を浮かべて辛そうに呟いた。とりあえずと、近場のベンチに腰を降ろさせて呼吸を落ち着かせる。その間に水道でタオルを濡らしてきて直衛の首元へと宛がえば。数分の後に落ち着きを取り戻した直衛は「慣れているんだな」と弱々しく苦笑を浮かべて見せた。



(少し目眩がして、な)
(肩を竦めてそう呟いた直衛は端から見ても顔を青白くしていて酷く体調が悪そうだった)