- ナノ -

残像



綺麗な瞳をしている奴だと思った。こんなご時世に、荒んだ瞳をしているわけでもなく、ただ一心に前を見詰める立ち姿に見惚れたのが最初だった。噂では鬼の副長、だとか。規律に厳しく頭の硬い人間だと聞いていたから。部下に酒を酌む姿を見てその矛盾に首を傾げた記憶がある。まるで母の様な、そんな慈愛に満ちた笑みを見せていたから。


「失礼します、土方陸軍奉行並」

断りを入れた後に扉を軽く叩く、確かこれは欧米ではノック、と呼ばれるものだったか。中から聞こえた返答に扉を開け、手に持った茶を机の上へと置いた。

「直衛と言ったか?」

茶を置き、手持ちぶさたとなった時に呼ばれた名前。顔を上げて視線を絡ませればそこにはあの強く、芯の通った真っ直ぐな瞳があった。

「なんでしょうか、土方陸軍奉行並」

何を言われるのか。それまで補佐という役に就きながらも言葉を交わすことのなかった相手に名を呼ばれたことに些か緊張をしていた。

「その奉行並っつうのは止めろ。長ったらしくて言いにくいだろうしな」

俺の視線から何を見たのかは知らないが。不意に表情を緩めてそう言った、それがやけに軽い口調でのことだったから。またも噂との矛盾に首を傾げる羽目となったのを記憶している。

「見れば年もそう違わないだろうしな」

呼び捨てで構わねえよ、そう言われ何故俺は素直に頷いたのかはもう覚えていない。補佐の立場で上司を呼び捨てにするのも如何なものかとは思う、けれどもそれを望んだのが土方だったから。俺は初めて奴を見たあの時から、きっとこの男と繋がりを持ちたくて仕方なかったのだろうと自己完結をした。


不意に気付いたその姿。見れば何か、噛み締めるように唇を閉じて瞳を瞑っている土方。どうした、なんて声はかけない。ただ共に居る書斎で、じっと何を言うこともなくその姿を見詰め続けた。
好き勝手に任せやがって。呟かれたその言葉は小さな声量で、土方自身も誰に聞かせるといったつもりもなく不意に洩れた言葉なのだろうと解釈した。


俺の血を飲め、と。口にした言葉に後悔はない。ただ思うのはあんたばかりが背負う必要はない、と。どうか伝わりはしないだろうかとじっと、その瞳から目を逸らすことをせずに見詰め続けた。
それから数日後、またも聞こえた呻き声に了承の確認も取らずに書斎の扉を開ける。そこに居た土方はやはり以前と同じように胸元を強く掴み、ただただ喉の渇きを鎮めようと唇を噛み締めていた。

「直衛」

俺に気付いた土方はふい、と視線を逸らす。その動作に頭の奥がぐらつくのを感じて一人舌打ちをする。机の引き出しから小刀を取り出し、首元を浅く切りつける。頸動脈だとかそんな太い血管ではなくて、少し血が滲む程度の切り口を指で確認して土方の腕を取った。ぐ、と抱き寄せて自らの首元に促せば。馬鹿野郎、と。小さく呟いた土方は唇を傷口へと寄せて滲む血を啜ったのが分かった。
血を啜られる、といった感覚は何と形容すべきなのかは未だに分からない。少し擽ったいような、それでいて頭の芯がぞわりと疼く感覚に自然と息が漏れた。


「土方、」

口元を拭う土方の身体を再度引き寄せる。先程の土方がそうしていたように抱き寄せた腕の中に居る土方の首元へと顔を埋める。ずっと目の端にちらついていた項に舌を這わせるとうっすらと汗の味がした。ひくり、と跳ねた肩には気付かぬ振りをしてそのままの体勢で首元へ吸い付けば。ぎゅう、と衣服の肩口を握り込まれるのが分かった。空いた手を土方の腰へと回して更に強く抱き寄せる。数分間そのままにした後に唇を離せばそこには赤く色付いた鬱血痕が見えた。

「俺も、あんたに痕を付けたかった」

言い訳宜しく呟いたそれは今となれば大した意味を持たず。それからというもの、吸血の度に土方は俺の首元へ、俺は土方の首元へと互いに痕を付けることが常となった。


響いた一発の銃声。敵味方が入り乱れる中にあった一本の大木の根本にあんたは居た。肩に背負った全ての荷物を降ろしたような、至極穏やかな表情で眠るあんたの傍らに膝を着く。少し先では未だに乱戦の音が聞こえるのに。俺と土方の回りは一切の音がなく、ただただ無音だった。土方、と名を呼んだところで何かが変わるわけもなく。降り下ろした拳に砂利が食い込む感触だけが酷く現実的だった。頬を伝って口に流れたそれは、以前に土方の首元へと顔を埋めた際のそれと同じ味がした。



(あの瞳が見れなくなる、と)
(気付いた時にはあんたは居なくて)
(溢れ出る感情の意味を必死に気付かぬ振りをした)