回想5


「こんにちは」

放課後、借りていた本を返し図書室から出てきた俺を、1人の生徒が呼び止めた。

「榎本くんだよね?」

華々しいオーラを身に纏ったその人は、視線が合うと俺の元へ近づいて来た。俺は驚きのあまり一歩後ずさる。

──夏休み前に図書室で先輩を訪れてた人だ…。

彼は間近でみると想像していたよりずっと華奢で、俺より10cmほど背が低かった。人形のようにこじんまりとした顔にはバランスよく目、鼻、口とパーツが揃い、色は陶器のように白く、髪と同じ色をした瞳は零れ落ちそうな程大きかった。焦げ茶色の髪はふわふわとウェーブを描いていて、触り心地が良さそうだと内心思ってしまった。女の子と言われても信じてしまうような、美少年がそこにはいた。

彼は俺を冷たい表情で見ていた。口元は形式的な笑みを浮かべているものの、視線だけで心臓を刺されてしまうと錯覚してしまうほど、双眸は俺を強く睨みつけていた。

──吉野静だ、と直感的に俺は確信した。


「そうです、けど…」

綺麗な顔が睨むと迫力が凄い。俺は若干圧倒されながら何とか答えた。

「今ちょっといいかな?」

吉野は廊下の先を指差した。どうやら移動して話をしたいらしい。

――どうしよう、鏡の言ってた制裁的なことされるのか?着いていかない方がいい?でも手紙の真意も知りたいし…。

少し悩んだ後俺がゆっくりと頷くと、「こっち」と吉野は乱雑に言い放ち指差した方向へ歩き始めた。どんどん膨らむ行きたくない気持ちと戦いながら、俺は重い足でその後を追った。







「手紙読んでくれた?」

空き教室に入った途端、吉野は挑戦的な表情で俺にそう問いかけた。先ほどより声のトーンが低い。

──やっぱり、この人があの手紙を…。

今朝の事件の犯人が分かっても、何故か怒りは湧かなかった。ただ、目の前の人物に対する恐怖心だけがジワジワと込み上がってきていた。

「ああ、その手の絆創膏。読んでくれたみたいだね。あ、自己紹介忘れてた。俺3年の吉野静。よろしく」
「……」

場の空気に不相応な明るい口調でペラペラと話す吉野に、俺はただ下を向きゴクリと唾を飲み込む。何であんなことをしたのか、どういうつもりだ、とここで詰る勇気を俺は残念ながら持ち合わせていなかった。


「それで、図書委員やめる決心ついた?」

その言葉に、俺は目を見開き思わず顔を上げた。吉野は教室の1番後ろの机に腰掛けると、ふてぶてしい表情で横を向いた。しかしその視線だけはしっかりとこちらを向き、返答を求めてくる。

──何で俺はここまでこの人に嫌われているんだろう?

明確すぎる敵意に、俺は汗ばむ手を握りしめる。
……そうだ、この人は俺と先輩の仲を誤解しているのかもしれない。
必死で頭を働かせ、導き出した答えを伝えようと俺は口を開く。

「あの、俺と先輩は委員会の仕事を普通にやっているだけで…、先輩とどうこうなろうっていう意思は全くないんです」
「そういうの関係ないんだよね。君は穂積に必要ない。邪魔な存在なの」

──"邪魔"?どういうことだ?
予想外の答えに俺は混乱する。
俺の反応を見た吉野はフン、と鼻を鳴らす。

「…先輩がそう言ったんですか?」
「言ってたらどうする?」

猫みたいに若干吊り上がった大きな瞳が俺を真っ直ぐに見据える。いつのまにか俺は自分が巨大な猫に追い詰められたネズミになったような錯覚に陥っていた。

「……先輩がそう言ったなら、考えます、けど」

──先輩が、俺を邪魔だと言った?俺なんか先輩に迷惑がられることしたっけ?
ガツンと鈍器で頭を殴られたような衝撃とともに、俺は頭の中が真っ白になった。

俺と吉野の間に、窒息してしまいそうなほど重い沈黙が流れた。その沈黙を最初に破ったのは吉野だった。

「──穂積が君を邪魔だと言ったの。だからすぐに穂積の視界から消えて欲しい。分かった?」

強い口調で吉野はそう言い、

「三日以内に委員会辞めてね。辞めなかったらどうなるか分かってるよね?」

と続けた。
……落ち着け、これは吉野の嘘かもしれない。嘘で、先輩は本当は俺のこと邪魔だなんて思ってないかも。
──でも、そんな嘘までついて吉野が俺を先輩から遠ざけようとする理由は何だ?
やっぱり、俺が先輩に、何か嫌な思いにさせることをしてしまったのか?直接言いづらいから吉野が俺に伝えた?

どんどんマイナス思考のスパイラルに陥っていった俺は、最終的に吉野の要求に頷いてしまった。

「じゃ、そういうことで。よろしくね」

俺の反応に満足したのか、吉野は機嫌良さそうにそう言うと教室から出て行った。俺は一気に力が抜け、そのまま床に尻餅をついた。やっと息が楽に出来るようになり、深く息をつく。吉野は猫の様な、蛇のような男で、何度かその雰囲気と重圧感に押し潰されてしまいそうになった。

どうしよう。
俺はただ、平穏にこの学園で暮らしたいだけなのに…。どうしてこうなったんだろう。先輩にこんな親衛隊長がいるなんて知らなかったし、しかも
こうやって脅されるなんて…。

俺はしばらくその教室で頭を抱え、呻き声を上げていた。









結局、俺は委員会をやめることを選んだ。
委員長にその旨を言いに行く時は理由を深く掘り下げられるだろうといくつか言い訳案を考えてから行ったものの、「辞めたい」と言ったら意外にも理由を聞かれることもなくすんなりと了承された。もしかしたら吉野が何か裏で手を回したのかもしれない。図書委員になることを勧めてきた先生にも、特に何かを言われることはなかった。それを俺は少し気味悪く感じた。

鏡がその後俺を訪れてきて、無事辞められたか聞いてきた。辞めたことを伝えると、「よかったね、これで平穏な学生生活が続けられるよ」と何故かすごく嬉しそうに言われた。

──俺はこの選択が正しかったのかよく分からなかった。ただ、俺は先輩と色づいた楽しい時間を過ごすことより色のない平穏な日々を過ごすことを選んだ。

俺は恐れたのだ。臆病だから。もう、辛く苦しい思いはしたくない、と。

図書委員を辞めて、先輩とは会う機会がなくなった。会いに行きたい気持ちもあったが、あの吉野のことを考えると行動に移すことは出来なかった。このまま先輩が高等部へ進学するまで、俺は先輩ともう二度と会うことはないと思っていた。



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